記録ID: 8540358
全員に公開
ハイキング
京都・北摂
若狭街道針畑越(2)針畑越ー針畑谷ー久多
2015年04月26日(日) 〜
2015年04月28日(火)


- GPS
- --:--
- 距離
- 59.1km
- 登り
- 1,817m
- 下り
- 1,595m
コースタイム
1日目
- 山行
- 3:22
- 休憩
- 2:15
- 合計
- 5:37
9:23
7分
スタート地点東小浜
9:30
9:37
22分
若狭姫神社
9:59
10:19
38分
若狭彦神社・森林の水PR館
10:57
11:00
24分
鵜ノ瀬
11:50
13:35
20分
上根来廃校(昼食)
15:00
コンター370付近
2日目
- 山行
- 8:21
- 休憩
- 3:13
- 合計
- 11:34
5:36
70分
コンター370付近
6:46
23分
林道合流
7:09
9分
古道分岐
7:18
7:23
46分
池の地蔵
8:09
9:13
13分
根来峠(休憩)
9:26
9:45
25分
見晴らしポイント
11:30
12:17
33分
生杉サンキライ前昼食2
12:50
13分
針畑診療所
15:00
15:20
83分
平良
16:43
12分
今坂峠
16:55
17:00
5分
久多下の町
17:10
オグロ谷・遊歩道看板奥1分テント
3日目
- 山行
- 7:49
- 休憩
- 3:43
- 合計
- 11:32
6:20
55分
遊歩道看板奥1分テント
7:15
7:45
80分
オグロ坂取付(忘れ物回収)
9:05
9:35
4分
800m付近(昼食)
9:39
9:50
9分
オグロ峠
9:59
10:05
5分
峰床山への分岐
10:10
22分
中村分岐
10:32
0分
林道フジ谷峠分岐
10:30
11:00
18分
フジ谷峠休憩・崩落探索
11:18
11:28
8分
フノ坂道との合流点
12:00
17分
尾越
12:17
12:30
19分
前坂峠
12:49
12:50
5分
大見三叉路
12:55
13:17
80分
大見小野谷峠分岐(昼食”)
14:37
23分
大見尾根乗越
15:00
15:10
9分
和佐谷峠休憩
16:01
9分
古道橋BS
16:10
16:30
35分
影山橋
17:05
17:45
5分
鞍馬・楽楽
17:50
■鯖だけではなかった鯖の道
※過去ログ整理です。元報は下記別ブログにありますが、地図が使い物にならなくなったので、地理院地図を使って軌跡を表しときたいための投稿です。
・手書きGoogleMapからの再編集なので、S、Gの位置が逆になったりおかしいのがあります。
・記事登録日かなにかでヤマレコで自動的に付される記事年月日は実際と違います。後日訂正します。
・引用サイトが閉鎖などでリンク切れになっているのが多いです。関連ワードで再検索をお願いします。
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2015/4/27
さて、根来坂の登りにかかる。
根来坂は登り降りの坂道、峠名は根来峠または根来坂峠、今日は根来から針畑に越えるので針畑越としておく。逆の場合は根来越。
3.針畑越:http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-194.html
4.針畑越下り:http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-195.html
5.針畑谷:http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-196.html
※過去ログ整理です。元報は下記別ブログにありますが、地図が使い物にならなくなったので、地理院地図を使って軌跡を表しときたいための投稿です。
・手書きGoogleMapからの再編集なので、S、Gの位置が逆になったりおかしいのがあります。
・記事登録日かなにかでヤマレコで自動的に付される記事年月日は実際と違います。後日訂正します。
・引用サイトが閉鎖などでリンク切れになっているのが多いです。関連ワードで再検索をお願いします。
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2015/4/27
さて、根来坂の登りにかかる。
根来坂は登り降りの坂道、峠名は根来峠または根来坂峠、今日は根来から針畑に越えるので針畑越としておく。逆の場合は根来越。
3.針畑越:http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-194.html
4.針畑越下り:http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-195.html
5.針畑谷:http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-196.html
過去天気図(気象庁) | 2015年04月の天気図 |
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アクセス |
写真
今日の熊鈴2種。右はスイス製のカウベル。たしかインターラーケンで買ったもの。テストでザックにつっていても位置によって満足にならなかったので、ラジオにするかも。
クマは出る時は普通に出るそうだ。下山後、鞍馬の楽楽でひとり祝杯をあげている時、若女将?のいうのには、トレランで走った客が「気づかずに走っていて、ふと横を見ると、それはクマだった」ということで、鈍感なクマもなかにはいるので、熊鈴は必須である。
クマは出る時は普通に出るそうだ。下山後、鞍馬の楽楽でひとり祝杯をあげている時、若女将?のいうのには、トレランで走った客が「気づかずに走っていて、ふと横を見ると、それはクマだった」ということで、鈍感なクマもなかにはいるので、熊鈴は必須である。
どうやら杉植林帯と落葉樹の2次林の境を行くらしい。杉樹林にはいったり、急に明るくなったりする。北面の尾根なので、谷筋には春になっても遅くまで雪が残ったのだろう。落葉樹は疎林になっていて、下草はまだ皆無だ。
植林帯を過ぎると、落葉樹の林になり展望が開ける所に出た(6:07)。まだ30分ほどしか歩いていないが、休憩。急ぐばかりが能ではないだろう。
尾根上の道は深くえぐれた道がジグザグに上がってきており、まさしく古道の雰囲気だ。
尾根上の道は深くえぐれた道がジグザグに上がってきており、まさしく古道の雰囲気だ。
◆谷側のすぐ下に見える旧道
林道に登って振り返ると、右に尾根筋の道がある。左手には、林道やや下に旧道の痕跡が見える。旧道は場所によって崩落が激しく、雨の後や、春先、雪が解けた後は通れないこともあっただろう。その際、右手の尾根筋の道を通ったかと思われる。
ゴザ石があるはずだが、樹に隠れてうまく見えない。神様がゴザを敷いて滑り降りたという・・・・きわどい所を古道が通っていたものだ。
林道に登って振り返ると、右に尾根筋の道がある。左手には、林道やや下に旧道の痕跡が見える。旧道は場所によって崩落が激しく、雨の後や、春先、雪が解けた後は通れないこともあっただろう。その際、右手の尾根筋の道を通ったかと思われる。
ゴザ石があるはずだが、樹に隠れてうまく見えない。神様がゴザを敷いて滑り降りたという・・・・きわどい所を古道が通っていたものだ。
【2】根来峠逍遥
■根来峠に到着(8:09)
念願の根来坂(若狭側)を登りきった。変な急坂もなく、おもに落葉樹林の中をゆったりと登る道で、新緑、早春の花、雪、景色も楽しめるすばらしい道だった。根来峠ですこしゆっりしたい。
■根来峠に到着(8:09)
念願の根来坂(若狭側)を登りきった。変な急坂もなく、おもに落葉樹林の中をゆったりと登る道で、新緑、早春の花、雪、景色も楽しめるすばらしい道だった。根来峠ですこしゆっりしたい。
根来峠針畑越、昔に一度来たことはあるが、ほとんど忘却の彼方であった。覚えているのは、尾根づたいに(多分おにゅう峠方面から)来て、ちょうど南面が伐採の後で、残木が散らばっており、見通しはよかったが、低いササの生えた尾根筋の道だったということだ。峠で百里ヶ岳をみて「ああ、あれが百里か」と言ったことも覚えている。
帰宅後調べてみると、昭和43年11月4日 長治谷−三国岳(北のみくに岳)−クチクボ峠−生杉−大倉谷−根来峠(ピストン)・・・こんなルートだった。尾根筋ではなかった。記憶というのはいいかげんだ。
帰宅後調べてみると、昭和43年11月4日 長治谷−三国岳(北のみくに岳)−クチクボ峠−生杉−大倉谷−根来峠(ピストン)・・・こんなルートだった。尾根筋ではなかった。記憶というのはいいかげんだ。
ブナの老木も枯れてしまった。
せっかくなので、1時間ほど取って早めの昼食と散歩でもしておく。メニューは「にゅうめん」。フリーズドライだが結構いけた。温かいものを食べると落ち着く。ここで残った水(沢水)も捨てた。
分水嶺尾根筋の南面。樹木が成長はあまりない。もっと大きくてもよいと思うけど、ボクの記憶違いがあるかもしれない。
せっかくなので、1時間ほど取って早めの昼食と散歩でもしておく。メニューは「にゅうめん」。フリーズドライだが結構いけた。温かいものを食べると落ち着く。ここで残った水(沢水)も捨てた。
分水嶺尾根筋の南面。樹木が成長はあまりない。もっと大きくてもよいと思うけど、ボクの記憶違いがあるかもしれない。
■一石一字塔
地蔵堂の裏手の木の根元には一石一字塔が建っている。
大乗妙典 一石一字塔
徳宇浄鎌 信士
寛政九 丁 巳七月吉日
一石一字塔は、偏平な子石等に経文を書写して埋めた場所に建てられたもので、寛政9年(1797年)に針畑の住人である林彦大夫の書写・埋納によって建てられたものであるという。
高島市、びわ湖源流.com http://biwako-genryu.com/rekishi-walk/post-155.html
地蔵堂の裏手の木の根元には一石一字塔が建っている。
大乗妙典 一石一字塔
徳宇浄鎌 信士
寛政九 丁 巳七月吉日
一石一字塔は、偏平な子石等に経文を書写して埋めた場所に建てられたもので、寛政9年(1797年)に針畑の住人である林彦大夫の書写・埋納によって建てられたものであるという。
高島市、びわ湖源流.com http://biwako-genryu.com/rekishi-walk/post-155.html
■パノラマで京の遠さを実感
左のへの字の山はP871mか?その後ろに見えるのが蛇谷ヶ峰、中央の遠くの山塊は武奈ヶ岳、さらに蓬莱、打見。ちょっと手前に来て、鎌倉山。その右手に皆子山の頭だけちょっと見えて、三国(さんごく)岳のM型が見える、こんな感じだと思うがどうでしょう?
鎌倉山は知らなかったが、下山して朽木小川あたりを歩いていると、「鎌倉山しりませんか?」と聞いてきた女性ハイカーがいて、初めて知った。彼女らは全然違うところを探していたのだった。
左のへの字の山はP871mか?その後ろに見えるのが蛇谷ヶ峰、中央の遠くの山塊は武奈ヶ岳、さらに蓬莱、打見。ちょっと手前に来て、鎌倉山。その右手に皆子山の頭だけちょっと見えて、三国(さんごく)岳のM型が見える、こんな感じだと思うがどうでしょう?
鎌倉山は知らなかったが、下山して朽木小川あたりを歩いていると、「鎌倉山しりませんか?」と聞いてきた女性ハイカーがいて、初めて知った。彼女らは全然違うところを探していたのだった。
さらに、尾根を下ってP762に肩のあたりで再度パノラマ写真を撮ってみた(9:30)。左手から、鎌倉山、三国(さんごく)岳の尾根、中央遠くに、芦生の京大演習林の山々が見えているはずだ。三国(みくに)岳は手前の山塊に隠れてよく見えない?合ってるだろうか?
この辺り小入谷の林は里山の匂いがする。同じ峠下でも北面の若狭側は「奥山」の風情だった。上根来は早朝、小入谷は陽光降注ぐ昼間という違いはあるが、南面ということでの明るさがある。根来坂の中腹でも明るさの雰囲気に違いがあるようだった。
沢で顔を洗って休憩する。杉林の林床にはミヤマカタバミがたくさん咲いていた。
根来坂、針畑越(根来越)、この古道はもちろん、京へ鯖を運ぶ道でもあったが、それ以上に針畑谷(あるいは久多谷)の人々の生命線でもあったようだ。それは焼尾地蔵堂の御詠歌に現れている。要所要所に休憩や宿泊もできる地蔵堂がこしらえてあった。それ以上に、地蔵祠もこしらえてあった。生活の生命線を護るためである。深掘れ道のある地蔵街道。実際歩いてみると、そのことがよくわかる。
根来坂、針畑越(根来越)、この古道はもちろん、京へ鯖を運ぶ道でもあったが、それ以上に針畑谷(あるいは久多谷)の人々の生命線でもあったようだ。それは焼尾地蔵堂の御詠歌に現れている。要所要所に休憩や宿泊もできる地蔵堂がこしらえてあった。それ以上に、地蔵祠もこしらえてあった。生活の生命線を護るためである。深掘れ道のある地蔵街道。実際歩いてみると、そのことがよくわかる。
さて小入谷へ。それには名物、徒渉2回。ボクは少し上流に行ったが、水量によっては難儀するかも。
2回めはかなり上流にいって、エイヤ!で渡り、くるぶしまでズボッと来て、水が入ったかと思ったが、ちゃんと撥水していた。
2回めはかなり上流にいって、エイヤ!で渡り、くるぶしまでズボッと来て、水が入ったかと思ったが、ちゃんと撥水していた。
屋根更新用の萱(ススキ)が干してある。
先日、帰省したら実家の作業小屋にも数束残してあった。もうトタン被せでいらないはずなんだが・・・記念に置いておいた。ボクの田舎では萱場は、山手の畑にならないような斜面、空き地にある。夏は虫がよく出るので、虫取りによく入ったが、萱(ササ)の葉は鋭く、よく切れる、それも深く。何度ケガをしたことか。
こちらは萱場にはことかかないだろう。
先日、帰省したら実家の作業小屋にも数束残してあった。もうトタン被せでいらないはずなんだが・・・記念に置いておいた。ボクの田舎では萱場は、山手の畑にならないような斜面、空き地にある。夏は虫がよく出るので、虫取りによく入ったが、萱(ササ)の葉は鋭く、よく切れる、それも深く。何度ケガをしたことか。
こちらは萱場にはことかかないだろう。
これが小入谷の春だ。まさに里山の風情。若狭側の奥山の風情とはまったく違うし、なによりも明るい。ここが約450m、根来峠が約830mなので、標高差380m、少しがんばれば登れる高さだ。
この風景はボクの田舎とよく似ている。ボクの田舎はこんなに標高は高くはないが、標高差で300mくらいの山があるので、里から見上げるとこんな感じだ。やはり懐かしさは感じる。
この風景はボクの田舎とよく似ている。ボクの田舎はこんなに標高は高くはないが、標高差で300mくらいの山があるので、里から見上げるとこんな感じだ。やはり懐かしさは感じる。
■針畑ルネッサンスセンター
写真は源流の駅 「山帰来」。
隣に鯖のへしこ、鯖のなれずし、手造りこんにゃく、風呂よもぎなどの特産品をの加工を行っている工場があった。地域活性化のセンターの機能があるらしい。どちらも本日は休み。月曜日に来るモノズキはいないと見える。
サンキライは、入山届ができるのほか、物産販売、「山と人の博物館」、トイレなどもあり、針畑周辺の山の基地になっているようだ。
http://harihata.exblog.jp/
http://welcome-to-harihata.jimdo.com/
ちなみに、サンキライはサルトリイバラなのか、中国原産のケナシサルトリイバラなのかよくわからない。ケナシサルトリイバラがここに生えているとは思えないが・・・サンキライについて詳しくは;http://www.geocities.jp/kinomemocho/sanpo_sankirai.html
休みではしょうがないので、ルネサンス工場の隣にある藤棚で昼食。(11:30−12:17)
写真は源流の駅 「山帰来」。
隣に鯖のへしこ、鯖のなれずし、手造りこんにゃく、風呂よもぎなどの特産品をの加工を行っている工場があった。地域活性化のセンターの機能があるらしい。どちらも本日は休み。月曜日に来るモノズキはいないと見える。
サンキライは、入山届ができるのほか、物産販売、「山と人の博物館」、トイレなどもあり、針畑周辺の山の基地になっているようだ。
http://harihata.exblog.jp/
http://welcome-to-harihata.jimdo.com/
ちなみに、サンキライはサルトリイバラなのか、中国原産のケナシサルトリイバラなのかよくわからない。ケナシサルトリイバラがここに生えているとは思えないが・・・サンキライについて詳しくは;http://www.geocities.jp/kinomemocho/sanpo_sankirai.html
休みではしょうがないので、ルネサンス工場の隣にある藤棚で昼食。(11:30−12:17)
■生杉を少しのぞき見する
生杉は、昭和43年11月4日、三国岳(北のみくに岳)−クチクボ峠経由で降りてきたことがある(須後まで行って、ちゃんと入林許可は受けてるよ)。その時もこの写真のような光景だったのを覚えている。もっとも、季節は秋、トタン被せでなく茅葺きの屋根であったが、この杉の里の光景はそのままだ。
水を汲んでいると、英語が聞こえてきた。みると、日本人の若奥さんとガイジンの若い女性が自転車に乗ってしゃべりながらやってきた。軽く会釈。鄙には希なというと大変失礼だが、国際化している。さらに若い人が住みついている。後日、いろいろ調べると、Iターン組、通い組など、元々の住人以外の人が土着しているようだ。この土着というのが重要だ。いろいろ調べると、土地の人とも融和して、単に住むという以上に、農業生産もし情報発信もしている。おそらくは生杉は限界集落なのだろうが、なかなか先端的な動きをしていて安心した。
ボクの田舎も、数年前にIターンでコメつくりをやりたいと言う人が現れて、綾部市と京都府の農村定着プログラムによる研修にはいり、昨年やっと独り立ちできた状況にある。この方の定着に奔走してきた近所のSさんは先日亡くなってしまった。ボクはそのおじいさんの熱意に動かされて、入植当初、家を貸すことになったし、もちろん田んぼも作ってもらっている。この春からは当家の田んぼは全部貸すことになった。田んぼの地代はゼロですよ!今後コメだけで食えるかどうか非常に不確定ではあるが、農村存続の期待感は村の人、皆が持っている。
モノを(情報でもよいが)作るというのが重要だと思う。この針畑谷でも、下って行くにつれて、別荘や山小屋のような建物が無人で朽ち果てているのを何軒もみることになったが、生産をしない、あるいは良い季節だけの「こしかけ居住」は、現地にとって何の役にもたたない。通いであっても生産するというのが重要だとつくづく思うのだ。
生杉は、昭和43年11月4日、三国岳(北のみくに岳)−クチクボ峠経由で降りてきたことがある(須後まで行って、ちゃんと入林許可は受けてるよ)。その時もこの写真のような光景だったのを覚えている。もっとも、季節は秋、トタン被せでなく茅葺きの屋根であったが、この杉の里の光景はそのままだ。
水を汲んでいると、英語が聞こえてきた。みると、日本人の若奥さんとガイジンの若い女性が自転車に乗ってしゃべりながらやってきた。軽く会釈。鄙には希なというと大変失礼だが、国際化している。さらに若い人が住みついている。後日、いろいろ調べると、Iターン組、通い組など、元々の住人以外の人が土着しているようだ。この土着というのが重要だ。いろいろ調べると、土地の人とも融和して、単に住むという以上に、農業生産もし情報発信もしている。おそらくは生杉は限界集落なのだろうが、なかなか先端的な動きをしていて安心した。
ボクの田舎も、数年前にIターンでコメつくりをやりたいと言う人が現れて、綾部市と京都府の農村定着プログラムによる研修にはいり、昨年やっと独り立ちできた状況にある。この方の定着に奔走してきた近所のSさんは先日亡くなってしまった。ボクはそのおじいさんの熱意に動かされて、入植当初、家を貸すことになったし、もちろん田んぼも作ってもらっている。この春からは当家の田んぼは全部貸すことになった。田んぼの地代はゼロですよ!今後コメだけで食えるかどうか非常に不確定ではあるが、農村存続の期待感は村の人、皆が持っている。
モノを(情報でもよいが)作るというのが重要だと思う。この針畑谷でも、下って行くにつれて、別荘や山小屋のような建物が無人で朽ち果てているのを何軒もみることになったが、生産をしない、あるいは良い季節だけの「こしかけ居住」は、現地にとって何の役にもたたない。通いであっても生産するというのが重要だとつくづく思うのだ。
神楽殿、舞殿?
現役かなと思っていたら、実際に神楽が奉納されている。祭礼の準備も村人総出(多分?)で行われている。村の力強さを感じる。ちなみに、ボクの村の鎮守ではもう祭礼は亡くなって、近くの総社のほうで行うようになっていると思う。
http://somanokai.blog65.fc2.com/blog-entry-843.html
http://somanokai.blog65.fc2.com/blog-entry-558.html
ご祭神は大山咋神 猿田彦命 応神天皇らしい。
http://www.genbu.net/data/oumi/hiyosi3_title.htm
現役かなと思っていたら、実際に神楽が奉納されている。祭礼の準備も村人総出(多分?)で行われている。村の力強さを感じる。ちなみに、ボクの村の鎮守ではもう祭礼は亡くなって、近くの総社のほうで行うようになっていると思う。
http://somanokai.blog65.fc2.com/blog-entry-843.html
http://somanokai.blog65.fc2.com/blog-entry-558.html
ご祭神は大山咋神 猿田彦命 応神天皇らしい。
http://www.genbu.net/data/oumi/hiyosi3_title.htm
【5】針畑谷をくだる
■ここは中牧
トタン被せの家だが、まだまだトタンは新しいが、住んではいないようだ。ボクの家は少し塗装がハゲてきているので、それよりずっと立派だ。使わないとしたらこれは惜しい。
■ここは中牧
トタン被せの家だが、まだまだトタンは新しいが、住んではいないようだ。ボクの家は少し塗装がハゲてきているので、それよりずっと立派だ。使わないとしたらこれは惜しい。
生杉にしろ、中牧にしろ土地は結構広い。まとめて耕作すればかなり効率もよいと思うのだが、耕作の形態はどうなっているんだろう。問題は昨今の異常気象か、シカ害か。ゴツイ獣害除けネットの支柱が痛々しい。
バスが帰って行った。なんと1日に5本ある。最終は5時過ぎで、これに乗れは、朽木市場で乗り継いで、その日のうちに京都、大阪に帰れる。ボクの田舎は1日4本だぞ。最終が3時45分なので、仕事時間が足りず使いにくい。
針畑診療所(12:50)
玄関には「針畑休憩所」という大きな看板がかかっていた。高島病院の出張診療所も兼ねているようだ。針畑地区の中心になる施設ということか。たしかにこういう過疎地の場合は、医療が一番の問題だ。しかし、仮にボクがここで急に具合が悪くなったらどうしたらよいんだ?という疑問はある。
事前に申し込めば宿泊もできるようだが・・・
玄関には「針畑休憩所」という大きな看板がかかっていた。高島病院の出張診療所も兼ねているようだ。針畑地区の中心になる施設ということか。たしかにこういう過疎地の場合は、医療が一番の問題だ。しかし、仮にボクがここで急に具合が悪くなったらどうしたらよいんだ?という疑問はある。
事前に申し込めば宿泊もできるようだが・・・
古屋郵便局(13:06)
ここで家に電話をかけたがでない。途中で呼び出しに切り替わったがでないので、100円パーになった。誰を呼び出したんかね?
それはともかく、右手のピークは丹波越の傍のピークなのか?
ここで家に電話をかけたがでない。途中で呼び出しに切り替わったがでないので、100円パーになった。誰を呼び出したんかね?
それはともかく、右手のピークは丹波越の傍のピークなのか?
桑原に入る手前で三国(さんごく)岳が見えた。次回は登ってやろう、って昔、登っていたのだ。
昭和42年11月3日、七瀬を出発して、由良川源流を溯行、岩谷を行きすぎて、中山まで行ってしまった。岩谷出合いで幕営後、11月4日、岩谷を詰めるが、すぐに行き詰まって、尾根を登った、と記録にある。尾根を登り切った所はゆるやかな平原状で落葉がふかふかして良いところだった。ここにはリヤカーか大八車の残骸があって、なんでこんなところに?と思ったものだ(もっとも、翌年には北の三国岳にも登っていて、その山頂部も同じようなところだったので、そこと混同したかも知れない。)
西のピークへ至る尾根が急登で酷いササブッシュだった、と書いてある。下りは久多谷の三軒家に降りて、その日は久多小学校の校庭にテントを張らせてもらって、子どもと遊んだとも書いている。
言っておくが、ちゃんと須後まで行って演習林の入林許可をもらっている。今回、三国岳(さんごく岳)を計画する時に、ずいぶんWEBのレポートを読んだが、「昔は演習林に自由に入れたのでよかった」というのが大半で、生杉からフラッと何も考えずに入っている。勝手に入ったらあかんやろ!自由に入るのが間違っている。そんなことをするからオーバーユースと言われ、滋賀県側からの入林が禁止されるのだ。
次回は丹波越を狙いたいが、あの雲の右手あたりが峠だろうか?左端が経ヶ岳なのか。楽しみだ。
昭和42年11月3日、七瀬を出発して、由良川源流を溯行、岩谷を行きすぎて、中山まで行ってしまった。岩谷出合いで幕営後、11月4日、岩谷を詰めるが、すぐに行き詰まって、尾根を登った、と記録にある。尾根を登り切った所はゆるやかな平原状で落葉がふかふかして良いところだった。ここにはリヤカーか大八車の残骸があって、なんでこんなところに?と思ったものだ(もっとも、翌年には北の三国岳にも登っていて、その山頂部も同じようなところだったので、そこと混同したかも知れない。)
西のピークへ至る尾根が急登で酷いササブッシュだった、と書いてある。下りは久多谷の三軒家に降りて、その日は久多小学校の校庭にテントを張らせてもらって、子どもと遊んだとも書いている。
言っておくが、ちゃんと須後まで行って演習林の入林許可をもらっている。今回、三国岳(さんごく岳)を計画する時に、ずいぶんWEBのレポートを読んだが、「昔は演習林に自由に入れたのでよかった」というのが大半で、生杉からフラッと何も考えずに入っている。勝手に入ったらあかんやろ!自由に入るのが間違っている。そんなことをするからオーバーユースと言われ、滋賀県側からの入林が禁止されるのだ。
次回は丹波越を狙いたいが、あの雲の右手あたりが峠だろうか?左端が経ヶ岳なのか。楽しみだ。
■平良
平良に行くまでに道は針畑川よりかなり上のほうを通る。対岸に沖積地はあるが東側は切り立った崖になっているし、堰堤もあった。街道としてはここは難所であったに違いない。徒渉も困難なので、増水した時は通れなかっただろう。丹波越の道が使われたのも納得できる。
平良に行くまでに道は針畑川よりかなり上のほうを通る。対岸に沖積地はあるが東側は切り立った崖になっているし、堰堤もあった。街道としてはここは難所であったに違いない。徒渉も困難なので、増水した時は通れなかっただろう。丹波越の道が使われたのも納得できる。
平良分校。昭和38開校、平成9年に休校になったとのこと。山村の衰退を表わしている。
向こう岸には平良ふれあいセンターキャンプ場が開設されていた。後で調べると、どうもファミリのオートキャンプみたいなところで、ボクみたいな徒歩旅行者はお呼びでないようだった。
向こう岸には平良ふれあいセンターキャンプ場が開設されていた。後で調べると、どうもファミリのオートキャンプみたいなところで、ボクみたいな徒歩旅行者はお呼びでないようだった。
■小川津
もうすぐ小川(こがわ)だ。
古代より近江の国には「杣」が作られていたという。材木を伐り出す山のことを「杣、杣山」といい、京や奈良の都の宮殿や寺院などの造営・維持のため、材木採るこ多くの杣が開発されていた。
http://www.biwako-genryu.com/kutsuki/post-57.html
その材木は、安曇川を利用して筏流しによりびわ湖に運び、遠く宇治川、巨椋池を経由して、京や奈良に運ばれていたという。古文書(天平宝字6年(762)の正倉院文書)には、高嶋山作所の中に「小川津」という津があったことが書かれていて、それがここの小川だろうという説がある。
http://www.biwako-genryu.com/kutsuki/post-59.html
小川付近の針畑川は写真のようで、瀬の場所ををうまくコントロールすれば筏を流すのはできそうに思える。びわ湖沿岸にも小川という地名があるので、ここが小川津かどうかは微妙なところだが・・・
この筏流しの安全を願って、「シコブチ神」信仰が誕生している。針畑谷にも、シコブチ神を祀る神社はあったが、今回はすべてパスした。ちょっと気になる神様ではある。
http://www.biwako-genryu.com/rekishi/shikobuchi.html
http://blogs.yahoo.co.jp/keeekn/65239427.html
もうすぐ小川(こがわ)だ。
古代より近江の国には「杣」が作られていたという。材木を伐り出す山のことを「杣、杣山」といい、京や奈良の都の宮殿や寺院などの造営・維持のため、材木採るこ多くの杣が開発されていた。
http://www.biwako-genryu.com/kutsuki/post-57.html
その材木は、安曇川を利用して筏流しによりびわ湖に運び、遠く宇治川、巨椋池を経由して、京や奈良に運ばれていたという。古文書(天平宝字6年(762)の正倉院文書)には、高嶋山作所の中に「小川津」という津があったことが書かれていて、それがここの小川だろうという説がある。
http://www.biwako-genryu.com/kutsuki/post-59.html
小川付近の針畑川は写真のようで、瀬の場所ををうまくコントロールすれば筏を流すのはできそうに思える。びわ湖沿岸にも小川という地名があるので、ここが小川津かどうかは微妙なところだが・・・
この筏流しの安全を願って、「シコブチ神」信仰が誕生している。針畑谷にも、シコブチ神を祀る神社はあったが、今回はすべてパスした。ちょっと気になる神様ではある。
http://www.biwako-genryu.com/rekishi/shikobuchi.html
http://blogs.yahoo.co.jp/keeekn/65239427.html
■針畑谷のオアシス(15:54)
ここでエネルギーとお茶を補給。へたり込んで休憩した。店の中を見るとショーケースに缶ビールがあったので買おうとすると・・・・お留守!これにはがっくりきた。
ここでエネルギーとお茶を補給。へたり込んで休憩した。店の中を見るとショーケースに缶ビールがあったので買おうとすると・・・・お留守!これにはがっくりきた。
【6】久多へ
さてあとひと踏んばりで久多に入る。ルアーセンターの池を過ぎると山城の国・京都府だ。そこはもう久多。
久多に入った途端これだ。(16:23)。中に石仏があったと思うのだが、石がおいてあるだけ。よくみると石仏らしい石なのだが、まさかこれが本来のものとは思えない。
さてあとひと踏んばりで久多に入る。ルアーセンターの池を過ぎると山城の国・京都府だ。そこはもう久多。
久多に入った途端これだ。(16:23)。中に石仏があったと思うのだが、石がおいてあるだけ。よくみると石仏らしい石なのだが、まさかこれが本来のものとは思えない。
■久多川を渡る(16:25)
右へいけば久多下の町、左へいけば梅の木である。この左手で針畑川と久多川が合流する。
この付近では山城国が異常に近江に食い込んでいる。中心に久多川と針畑川の合流点があることに注目したい。これは筏流しの利権をめぐり両川の合流点を、ある時の支配者が、古来の国境を越えてごり押しして編入してしまったような感じだ。そんなことを書いた文書は知らないのだが・・・あまりにでき過ぎの国境線だ。久多川と針畑川の材木が集結する合流点をおさえることは相当有利な立場になるはずだ。
久多は平安期までは京都の寺社の荘園で、室町期には足利将軍家領、後に醍醐三法院に寄進され、江戸期は朽木藩の預かり地だったらしい。古代の国制では近江だが、江戸期になるまでは、実際は京の寺社や将軍家のものだった。
http://blogs.yahoo.co.jp/keeekn/65239245.html
右へいけば久多下の町、左へいけば梅の木である。この左手で針畑川と久多川が合流する。
この付近では山城国が異常に近江に食い込んでいる。中心に久多川と針畑川の合流点があることに注目したい。これは筏流しの利権をめぐり両川の合流点を、ある時の支配者が、古来の国境を越えてごり押しして編入してしまったような感じだ。そんなことを書いた文書は知らないのだが・・・あまりにでき過ぎの国境線だ。久多川と針畑川の材木が集結する合流点をおさえることは相当有利な立場になるはずだ。
久多は平安期までは京都の寺社の荘園で、室町期には足利将軍家領、後に醍醐三法院に寄進され、江戸期は朽木藩の預かり地だったらしい。古代の国制では近江だが、江戸期になるまでは、実際は京の寺社や将軍家のものだった。
http://blogs.yahoo.co.jp/keeekn/65239245.html
■今坂峠
今ごろから登りかい!というほどの坂道。コンクリートの登り道は疲れる。
この峠道は明治の中ごろに開かれた、と伏木さんの「近江の峠」にはある。それまでは山道の難所であったらしい。
今ごろから登りかい!というほどの坂道。コンクリートの登り道は疲れる。
この峠道は明治の中ごろに開かれた、と伏木さんの「近江の峠」にはある。それまでは山道の難所であったらしい。
行きすぎて、久多いきいきセンターまで行ってしまった。漁協の建物には自動販売機があったので利用できそうだ。ここで気がついたこと、久多谷や針畑谷ではGoogleMapが使えない!
オグロ谷のほうに入って行くと、鯖街道の看板があった。「小浜出て 久多を通って 出町まで」 正しく、「出町」 と書いてある。さすが京都だ。
オグロ谷のほうに入って行くと、鯖街道の看板があった。「小浜出て 久多を通って 出町まで」 正しく、「出町」 と書いてある。さすが京都だ。
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