・・・50年前ですから、ガリバー旅行村などという施設はもちろんありません。
大擂鉢から小白谷に入り、寒風峠へ登り返して北小松に抜けろ・・とありますが
いま、この道が通れるのかどうか、小生では寡聞にして判然としません。
ただ、あくまで本文から受ける印象ながら、滝に沿っての渓流コースは
現在と比べるとだいぶ歩きやすかったようですね。
いまはご承知の通り「上級者向け」どくろマークが点在する道筋になっています。
79頁の写真は大擂鉢、例の「八徳」の巨岩でお弁当を使うハイカー。
キャプションには「これを八淵と読める人は少ないが」とありますが・・う〜ん
あの篆刻文字「八徳」と「八淵」どっちが本当なんでしょう?
本文・頁90〜93/「比良縦走コース」の案内
現在、比良縦走というと八雲ヶ原から武奈〜釣瓶〜蛇谷ヶ峰、朽木へ抜けるのが
一般的ですが、ここでは奥比良へは向かわず、北比良の釈迦岳〜ヤケオへ抜けて
そのまま近江舞子へ降りるコースを紹介しています。
後の方を読んでみれば、さもありなん。この当時、蛇谷ヶ峰周辺は全山がヤブで、
「初心者は行かない方が良い」という記述がありました。
【本文・前略】なおこの縦走コースは(中略)かなり長いので途中一泊した方が
よい。ちょうど適当な場所に金糞峠の家があって、これは年間営業していたので
大変都合がよかったが、昭和36年8月中旬で営業を止めねばならぬことになった
(中略)山上で営業していた小屋は、比良ロッジが出来る前はここ一軒であった。
(中略)峠の家がなくなるのは本当に残念である。【後略】
うわぁ、金糞峠に通年営業の小屋があったんだ その名も「峠の家」。
その写真が90頁下に載っていますが、場所はおそらく峠から奥ノ深谷へ降りた、
いまは八雲へ向かう木橋のあたりでしょうか。
この記述のあと、93頁で「比良索道の所有となり、土日祝は営業を続ける」とい
う改訂追補があります。まァ、いずれにしても今はロッジも含め、いっさいがっ
さい跡形もないのですが、この辺りの記述は本当に興味深いです。
ほか追補箇所には「元の所有者は、新しく正面谷に小屋を建てるらしい」とありま
すが、これは実際に建ったのでしょうか・・。
【本文・前略】ヤケオ山から梅ノ木谷の山腹に沿って南小松に下る。この新道は
膳所高校の山岳部が開拓したものだとのことで(中略)道標に「お茶漬け新道」と
ある。聞けば山岳部の先生のあだ名だそうで(中略段落)
ヤケオの頭から寒風峠へも行ける。しかしこれは寒風峠から登り口がうかがわれる
が、ひどいヤブで道らしいものはないから、一般登山者は入らない方がいい。
【後略】
ここも読んで「えッ」と驚いた箇所
煩しい説明は避けますが、現在は「ひどいヤブ」の大石道が正規ルートで、
この「お茶漬け新道(ヤケオから下)」の方が廃道なのは周知の通り。
なお、この「山岳部の先生」が元・膳所高校の中井一郎氏(比良ガイド本も数多く
書いておられます)であり、今は廃道になっているヤケオから南小松へ降りるルー
トが「中井新道」と呼ばれています(あだ名じゃなくなったんですね)。
本文の通り、釈迦岳からヤケオの間もこの中井氏と当時の高校生が拓いた道なので、
出自から云えば「中井新道」は、いま稜線上だけしか歩かれていない訳だ。
ほか、92頁下の写真は往時の比良登山リフト終点「釈迦駅」から堂満岳を眺めた
一葉。これも現在の状況と比べると感慨深いですね。
・・・などと逐一拾っているとキリがありません。小生の拙い感想など無視され
写真を拡大のうえ、ぜひ本文の方を追って戴ければ、と思う次第です
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