◆疾風!!暴れん坊天狗岳! 〜 西天狗岳・東天狗岳 - 渋御殿湯から中山峠経由往復
- GPS
- 05:37
- 距離
- 10.7km
- 登り
- 958m
- 下り
- 952m
コースタイム
08:40 渋ノ湯温泉ホテル
10:09 黒百合ヒュッテ 気温マイナス4度
10:26 中山峠
11:31 東天狗岳 気温マイナス6度
11:52 西天狗岳 気温マイナス6度 12:08 下山開始
13:00 黒百合ヒュッテ
14:13 渋御殿湯駐車場 気温1度
所要時間5時間37分 移動距離10.1km 累積標高差1002m
天候 | 曇天と強風 天狗岳の天気:Mapion天気予報 http://www.mapion.co.jp/weather/spot/L0581005/ |
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過去天気図(気象庁) | 2012年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
車で一気に標高1880mまで上がるので傾斜は厳しく、凍結していた場合は要注意。 渋御殿湯の手前1キロ区間は、極細なうえに、ダートのほうがマシかと思われるような荒れ果てた舗装路。状況によってはチェーンも。 速度に気をつけないと段差で思いっきり車がジャンプします。 この日は渋御殿湯駐車場までは凍結はありませんでしたが、渋御殿湯の駐車場そのものが、「スケートリンク」となっていますので、夏タイヤではキケンです。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
◆登山口・駐車場 ○渋御殿湯駐車場 1日1000円。見た目20台程度。舗装。先に渋御殿湯で受付を済ませてから入庫。ただし、宿前の敷地内への午前7時前の進入は禁止。 この駐車場は冬の方が混雑するとかで、この日は平日なのに10台くらい駐車。トイレは駐車場に併設。 ○渋ノ湯ホテル前駐車場 1日1000円。3台くらい。未舗装。お金は封筒に入れて、ホテル入口にあるポストの中に入れる。トイレなし。ホテル自体は、営業していないような雰囲気。 登山ポストは、渋ノ湯ホテルの先、鉄橋の手前にある奥蓼科補導所(無人)にあります。 ◆トイレ ○渋御殿湯駐車場隣・公衆トイレ 観光地風小屋型。利用可能。 ○黒百合ヒュッテ 未利用のため詳細不明。 ◆危険箇所等 黒百合ヒュッテの先、中山峠までであれば、大勢の人が歩いたようで、特に危険箇所はありませんが、その先、森林限界を越えると状況が豹変します。 前爪付きアイゼンは必須。ピッケルは積極的に使わなければ登れませんでした。 森林限界を越えると猛烈な突風が、だいたい2分間隔くらいの周期でやってきます。「ぐうおおお」という轟音が聞こえたら、すぐさま、ピッケルを雪面に深く突き刺し、両足を踏ん張ります。 轟音の聞こえた約2秒後には、その場に立っていることすら困難な烈風が吹き付けます。よろけてバランスを崩しそうになるので、この時はとても歩けませんでした。 30秒くらい耐えますと、風が弱まったような気がするので、歩き始めます。そして、また猛風が・・・の繰り返しというわけです。 地吹雪のおかげで、顔の極わずかに露出した部分に氷のツブが当たって痛いのなんの。 バラクラバはあったほうがよろしいようです。 樹林帯を抜けますと、風のためにトレースはあっという間に消えます。下山時には自分の歩いたばかりのトレースが既に消えていました。 東天狗岳の東側の崖は雪庇にご注意。東天狗岳の山頂付近は、強風で雪が飛ばされて岩が露出していました。わずかに残っている雪はほぼ氷でした。 西天狗岳への登りは雪崩と滑落要注意です。もしもの滑落を停止できなかったとしたら、真実に命はありませんので思い残すことのないように・・・。 実際のところ、この日登った人の大半が、突風のために森林限界の手前で引き返したようです。 西天狗岳まで行った人は、私が肉眼で見た限りでは自分を含めて7人です。 あと、渋御殿湯の駐車場は、ほぼ全面が「氷」で、イナバウアーができそうなくらいのスケートリンクとなっています。 車を降りたとたんにツルツル滑って転倒しそうになり、自分の車のカドに足をぶつけました。ある意味、危険箇所です。 ◆温泉 渋ノ湯温泉・渋御殿湯 ¥800 10:00-15:00 見事な総木造り内風呂。源泉らしき小さな冷泉と、沸かした内湯。消毒しているそうですが、硫黄臭で気になりません。 http://www.gotenyu.com/ 他、渋温泉渋辰野館や、明治温泉旅館、横谷温泉旅館でも日帰り入浴は受け付けているようです。 ◆バッチ 黒百合ヒュッテにて、400円でピンバッチタイプと安全ピンタイプの2種。デザインは違います。 |
予約できる山小屋 |
黒百合ヒュッテ
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写真
感想
懐かしのファミコンゲーム『暴れん坊天狗』をふと思い出し、ふらりと天狗のように風に舞いながら天狗岳に登り、猛烈な烈風の洗礼を受けて、まさに『暴れん坊天狗岳』でございました。
朝から雲が立ち込めていましたが、天気予報を信じて天狗岳へと向かったわけです。
登り始めて黒百合ヒュッテまでの間の樹林帯は、ガッシリと人力除雪されており、時折、日差しがあってよかったのですが、なにやら、風の轟音が聞こえてきます。
嫌な予感を感じながら黒百合ヒュッテに到着。空を見上げてみますと視界は開けているものの真っ白け。ここで、栄養補給と休憩とアイゼンの確認。
ここらで、次々にすれ違った人達は山頂へ行ったのだろうか。
中山峠を少し過ぎる辺りまでが樹林帯で、その先は風から身を隠すものなし。体がよろけるほどの猛風で、今までに体験した風の中では、5番目くらいの強さ。
断念しようかどうしようか思案していると、彼方の西天狗岳から4人組が下ってくるのが見えました。
コンパクトデジカメで、ズーム撮影していると先頭の人が滑落。数メートルで何とか停止。事なきを得る。
これを見て、真実にやばいと感じる。ふと、東天狗岳を見上げてみると、そこには二人組が見える。時折、耐風姿勢をとっている。
でもまあ、行けるところまで行ってみるかと進んでみますと、標高をあげるごとに、徐々に風が強まってくる。
ピッケルを雪面に深々と突き刺して、どうしようかと考えていると東天狗岳の山頂が目前に。
ああ、もうこんなところまで登ってきていたのかと、うっかり東天狗岳山頂まで到達。
風が少し弱まったような気がする。眺望を楽しんだあと、これなら、行けるとばかりに、西天狗岳への鞍部へと下りはじめる。
東天狗岳から西天狗岳への登りは、斜度がきついうえに、トレースは強風で直ぐに消え、滑落すれば無事では済まない状況。風が少し弱まったとはいえ、体をふらつかせるには十分な強さ。
極度に緊張しながら西天狗岳山頂へ。東天狗岳から見えていた光景とあまり変わりませんけど、まあ、満足です。先にある展望所までは、とてもとても。
いつもやってるセルフ撮影も、とてもとても。ザックを雪面に置くと、風で滑ってどこかにいってしまいそうな気がして、三脚も出せず。
誰もいないから、仕方なく苦し紛れにピッケルを撮影しました。
結局、一番の猛風が吹き付けていたのは、中山峠の先の樹林帯を抜けた先から、東天狗岳への登りの区間でした。
それにしても、晴れている日に天狗岳に登った人が実に羨ましいわい。このところ、山で青空を見ていないので、たまには青い空が見てみたい。というわけです。
余談ですが、自宅から渋御殿湯駐車場まで往復した距離が、444.4キロでした。何故、こうも「4」が並ぶのか。何かの暗示なのだろうか。
と思っていたら、さらに、ガソリンスタンドで給油して自宅までの距離が、4.4キロ・・・。これは、暫くおとなしくしていたほうが良さそうだ。
この2回の山行記録、ファミコンと登山のコラボ、お見事ですね
それでいて死語も巧みにまぶしていらっしゃいますね
山ガールとの出会いが、、、。
山とは全く関係ないのですが、
Yahooニュースで初めて知りましたが、ゲーム保存協会なるNPOがあるそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120326-00000080-san-bus_all
ゲーム保存協会
http://www.gamepres.org/
ガールは、いたことはいましたが、すれ違っていないので、どこかしらで引き返してしまったようです。
まあ、どこへ行こうとしていたのかまでは知れませんけど。
ピッケルを持っていたので、やっぱり、天狗岳ですかね。
もはや、死語は体の一部です。あえて使ってみることがナウイのです。
クソゲー保存会ですか?
私のコレクションしているクソゲーたちが光り輝く日がくるのでしょうか。
保存会代表の言葉「ゲームは大切な思い出」・・・ですか。
クソゲーを集めていながら言うのもなんですが、私の人生にテレビゲームは必要なかったかな。というわけです。
あえてコレクションしているのは、それらを見つめなおすことで、自分がいかに時間を無駄にしてきたかという反省を噛み締めるためなのかもしれません。
結局のところ、ゲームは誰かが考えたものであって、その中には、予定調和的な「結末」が既に用意されているわけでして、誰がやっても同じ結果にしかなりません。
いつのころからか、そのようなモノには興味を持てない体質になってしまいました。
例え、多少の異なる結末になろうとも、それも製作者が予め想定しておいた「結末」の範囲内でしかないわけでして、いわば、プレイヤーは製作者の意図に足を縛られながら、俎の上で遊ばされているようなもの。
そのように考えますと、テレビゲームというものは・・・長くなりそうなので、この辺で。
つまり、山には登山道はあれども、山自体は人間の力の及ぶべくもない存在なわけでして。
そこには無数のキケンが潜んでおり、それらを自分の経験と知識を駆使して切り抜けて山頂へと辿りつき、
そこで誰かの用意した「結末」とは無縁の景色を眺めた時、もはや、ゲームを楽しむという感覚が私の人生から消え失せてしまいました。
ですが、ゲームを楽しめる人は幸せかもしれません。ゲームで命を落とすことはないですからね。
うわぁ、クソゲーを語るつもりが真面目になってしまった。
部活の空き時間に勉強もせず麻雀、パチンコ、スロットに嵌っていた10代後半を思い出しました。
あの頃に登山の楽しさを知っていたら、とも思うのですが、きっと遭難していたことでしょう(笑
反面教師として、「大切な思い出」です。
山の場合は、己の力を知り、計画通り登って無事に下山するという点では予定調和的なのかもしれませんが、
自身の存在(生存)をかけて、その結末を創造する点で大きく違うのでしょう。
1955様。
小学校、中学校、高校と信じられないくらいにゲームをやりすぎました。当時は、人生においてゲームほど楽しいものはないと考えていたような気がします。
社会人になったら給料をはたいて、ありとあらゆるゲームを買ってやると考えていましたが、いざ、労働するようになると、金を出せばいくらでも手に入るものに、いつしか興味がなくなってしまいました。
不思議なものですが、ゲームに費やした時間は、これからをどう生きるかを考えるうえで、重要な要素だったのかもしれません。
そう考えますと、あながち、無駄でもないのかもしれません。
ま、実のところ、今のゲームは操作や説明書が複雑すぎて、もうついて行けないというのもあったりします。
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