晩年の頑固親父の印象とは異なる、はにかみ気味の穏やかな表情だった。
鎌仙人と言えば以前、山と高原地図(奥秩父か奥多摩)の冊子の巻末に載っていたエッセイを思い出す。
既に手元には無いが、だいたい以下の様な内容だったと記憶している。
◇ ◇ ◇
小屋に泊まりに来た登山客に対して、主人(鎌仙人)が一人一人に聞いている。
「お前達はどこから来た。何?三峯だと。ならばこの先の小屋に泊まりなさい。これから疲れた登山客が大勢来るのだ」
殆どの客がその様に追い出される中で、私(筆者)が「朝一に日原から長沢背稜を越えてきた」と告げると、主人は辛うじて宿泊を許してくれた。
翌朝、「今日は天気が崩れて雨が降り続くから、早めに下山しなさい」と言う主人の忠告を無視して、私は縦走路に向かった。
結果、荒天に阻まれて疲労困憊となり、再び小屋に引き返してきた。
主人は私を見るなり一言、
「言うことを聞かなかったな」
そしてもう一言、
「これ位のことで、山を嫌いになっちゃいけねえ」
◇ ◇ ◇
私はこのエッセイが好きで、山仲間と三峯の話をする度に「何?!三峯だと?」
と鎌仙人の口真似をするのがお決まりになっていた(笑)
あの冊子、捨てなきゃ良かったな。
メルカリで探してみるか。
それだと鴨沢からじゃ、泊めてもらえそうにないですね😅
確かに身体能力は昔の人の方が上だったかもしれませんね(無謀というか)。
[仙人]というあだ名の付く山小屋主人も多かった様な。超人的な人達だったのでしょうね😂
「なに?三峯だと?」
むちゃくちゃジワるんですけどww
近所の図書館に昔のヤマコー地図あったから今度探してみよう。
先日の危険バリルート尾根から来たなんて言ったら逆に「山をなめるな」と怒られそうだな。
鎌仙人の言葉ジワるでしょう!
家の本棚を探したけれど、2012年度の雲取山の地図の冊子では、もうエッセイは外されていました😲
それ以前の山と高原の地図は、コロナの頃に断捨離してしまったみたい。捨てなきゃ良かった😅
>「山をなめるな」と怒られそうだな。
うんうん、経験が足りないと叱られるし、はみ出していたらもっと叱られそう😂
このエッセイ、手元にはないのですが、私も覚えています。
「言うこと聞かなかったな」の後、盛大に囲炉裏を焚いて筆者のずぶ濡れの衣服を乾かしてくれたとのこと。
心底、山が好きだったのですね。
良い想い出をありがとうございます。
>囲炉裏を焚いて
確かに!そんな描写があった事も思い出しました🙋
筆者が雨の中を歩いている最中、鎌仙人の(雨は降り続ける…)の言葉が頭の中で鳴り響いて、引き返したのですよね🙋
共有出来て嬉しいです。
ありがとうございました。
ハハッ!
今週は夫婦登山で、また「奥多摩」行っちゃいました〜😁
鎌仙人は、私の先日の山行(2日連続登頂)に、どう思うのか気になります〜🤣
奥多摩に御夫婦で行かれたのですね!レコ楽しみ😂
鎌仙人が、Tさんの先日の二日連続雲取山をどう思うか?ですね。
うーん…でも別にルート外していないし、早く下山しているので、お咎めは無しかと🙆
ただ三日連続は止めとけ、と言われそうwww
この話は何度か、別のところでも読んだ気がしていて、古いガイドブックやエアリアを探してみました。
手元の2004年版の山と高原地図にありました!
友人Sの兄の話の方が記憶に残っています。授業をさぼった学生を叱り飛ばして下山させ、鴨沢まで無事降りるのを見届けたと。
2004年版まではありましたか!
私が持っていたのも2000年前後の物です。そして断捨離してしまいました😅
友人Sの兄の話も思い出しました。貴重な情報ありがとうございました🙇
私も雑誌山と渓谷かどこかで読んだ記憶があり、いろいろ探してみたところ、秋山平三という方が書いたもので、中公文庫の「ちいさな桃源郷」という本に収容されているのを図書館で借りて確認しました。
私の初の本格的な山行は雲取山で山荘で幕営した想い出は忘れられません。ただ、新井新太郎さんの代ですけど。
懐かしい情報ありがとうございました。
貴重な情報ありがとうございます!
おそらく元となる文献があると思い、私も色々調べている最中でした。
やはり皆さん心に残っている話だったのですね。
ありがとうございました🙇
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