「関ヶ原の戦い」。この戦いは、約6時間で
その勝敗が決まったと言われています。
農民出身の豊臣秀吉は征夷大将軍になれなかったので、
公家の最高位である関白に就き、自身の権力を絶対化するのに
五大老(徳川、宇喜多など)と五奉行(石田、浅野など)を置きます。
今の政治でいうと五大老は国務大臣、五奉行は官僚のトップです。
当然、秀吉が重宝したのは実務担当の五奉行です。
秀吉の死後、この体制に反旗を翻したのは徳川家康です。
東軍の武将を中心に掟破りの言動を繰り返します。
やりたい放題の徳川家康に「ちょっと待った!」をかけたのが石田三成でした。
若干18歳で秀吉に認められ秀吉のブレーンとして活躍した
三成を嫌う戦国武将中心に東軍が結成されました。
やがて、関ヶ原の戦いが始まります。
そして、西軍の小早川秀秋をはじめ西軍から裏切り者が
何人も出てきて、戦う前に西軍は情報戦ですでに敗北を期していました・・・
そんな現地・関ヶ原の戦いに参戦した戦国武将の軌跡を訪ね、
今まで知らなかった裏関ヶ原の戦いを知ることができました。
東軍に寝返りを打った小早川秀秋がいじられているのと
義を貫いた西軍の大谷吉継が賞賛される姿が とても日本的で印象的でした。
特に小早川秀秋の「裏切りスナック」と「うらぎりサイダー」が滑稽で、
西軍No2の地位にいた宇喜多秀家の「家紋ラテ」が芸術的で美味でした。
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