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と思ったのだが、よくよく考えたらシルバーウイークの三連休の中日、当然メチャ混みで登山道も渋滞だろう、と気がついた。
と言うことでこの間歩いて気持ちよかった玉川上水を今度は下ってみることにした。
昔ン十年前、学校を卒業して社会人になりたての頃、玉川上水が流れている三鷹や吉祥寺に住んでいたことがあった。
自分は東京生まれで地方の故郷と言うのがないが、この三鷹、吉祥寺あたりは青春時代を過ごした第二、第三の故郷と言う気がしている。
三鷹から引越してから一度も訪ねたことがなかったので昔住んでいたアパートやその変貌ぶりを見てみたかったし、なつかしんでみたかった。
玉川上水は下流に向かっても両脇に遊歩道が整備されていて快適に楽しく歩けた。
途中寄った小金井公園は初めて来たが家族連れには最高に楽しそうだった。
そして三鷹に着いて昔の土地勘を頼りに当時住んでいたアパートを探してみた。
見つけた・・・
ただ、4畳半一間、風呂なし、トイレ共同の木造二階建てボロアパートは綺麗なALC4階建てマンションに変身していた。
ま、それも当然だろうな・・・と普通に思った。
それより、当時部屋に台所もなく自炊もできず、ほとんど毎日通っていた近くの安い中華料理屋のボロ建屋がまだそのまま残っていたのにびっくりしてしまった。
ちと感動、郷愁、哀愁・・・
カウンターだけしかない小さな店で少し横幅の広いおばちゃんが一人でやっていた。昼と夕方になるとのこのこ犬を連れて店に来てかったるそうに店を開いてタバコをくゆらせながら客の注文をめんどくさそうに聞いて料理を作って出していたのを思い出す。
今頃どこで何をしているのだろう・・・
次に訪れた吉祥寺のもっとボロだったアパートは30〜40分うろうろ近辺を探したが見つけることが出来なかった。もう取り壊されて無くなってしまっているのだろうが、それにしてもその近辺の道や地理も思い出せなかったのが少し残念だった。
吉祥寺の井の頭公園では住んでいた当時のフォークソング風情がまだ見れたのが懐かしかった。
最後に学生時代に住んでいた西荻窪の家も探しに行ったのだが、こちらも探し当てる事が出来なかった。
西荻窪の住宅街は区画整理がきちっとなされていてどの通りも似た感じで住宅の特徴を覚えていないと探し当てるのが相当難しかった。
結局小一時間近辺を探しまわったが見つけることが出来ず諦めた。
吉祥寺も西荻窪も住んでいた場所を見つけられずどっと疲れが出てしまった。
そして昔を懐かしんだり面影を求めたりすること自体にものの哀れ、と言うか心の哀れを感じてしまった。

東京は広すぎて、同じ東京なのに、行かずに何十年も経つものなんですね。たしかに、東京に居た頃、同じ東京だと思っても機会がなかなかできず、あうことも無かった友人はたくさんいました。
僕の学生時代は30年近く前の札幌ですが、住んでいたのは学生寮や永遠に不滅の屋敷なので動じませんが、周囲の店や食堂はすっかり変わってしまい、もののあはれを感じます。
以前母の少女時代を過ごした満洲の田舎町と、ハルピンの旧満鉄社宅を、母を伴って60年ぶりに訪ねた事があり〼。中国も地方はまだまだ貧しいので、なんと60年前の日本製のインフラ住宅をまだ使っていて、驚きました。
昔の日本は、60年経っても使える建築をしていましたが、戦後のは駄目ですね。安普請で直ぐ壊されてしまいます。二枚目の写真の、コンクリで作った瓦屋根の住宅、懐かしいですね。昭和30年代前後かな。実家の近くにあった自衛隊官舎を思いだします。
満州ですか・・・
望郷のスケールがまったく違いますね。
当時の日本は侵略とか植民地化とかすべてが否定されていますが、現地ではいいことも沢山行ったのでしょうね。
>戦後のは駄目ですね。安普請で直ぐ壊されてしまいます
今、国交省の進める「200年住宅の推進事業」なんてのがありますが、躯体はなんとか持っても中の設備関係が200年持つことはほとんどないでしょうね。
だいたい200年後まで生きれないので検証のしようがないですよね(笑)
2枚目の写真は件の中華料理屋です。もうだいぶ前に閉店しているようでした。
遠い月日の流れを感じました。
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