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生憎の雨、その夜はオートキャンプ仲間のプライベートキャンプサイト
のある静岡県の富士宮市の白糸の滝近くで盛大なパーティに参加し、
昨日、キャンプサイトからこの富士山の写真を撮りました。
私は、まだ富士山の頂上に立った事がありません。
一番頂上近くまで行ったのが40年以上前のこの季節でした。
その時の唯一のカラー写真がありますので添付します。
写真の通り最初はアンザイレンをして登っていましたが、かなり雪が固く
(アイゼンの爪があまり刺さっていないのがわかると思います)
このままで誰かが滑落すると止める事ができないとリーダーが
判断して、ザイルを外して登り始め頂上直下まで達した時です
ザイルをつけて登っていた先行パーティが滑落して私達の目の前を
通過して落ちて行きました。
多分駄目だと思っていましたら、偶然に露出していた岩にザイルが
引っかかり止まりました。
私達も登攀を中止して二人のもとに下りました。
二人は〇〇大学山岳部と名乗りしっかりしていましたが、
歩けないとの事でしたので、近くにいた他のパーティとともに
下ろした経験が、よみがえってきました。
あの二人はアンザイレンしていた事で救われたのです。
私達はリーダーの判断で単独で登っていましたので、もし滑落したら
自分で止める事は出来なかったでしょう。
この時は人の運命というのを強く感じました。
その後も山で怖い目に遭いましたが、現在還暦を過ぎても細々と
山登りを、感謝の気持を持ちながら、続けています。
kazuhi49さんの写真は懐かしいですね、当時は皆んなこんな姿で山に登っていましたね、
特にニッカズボンとザックが懐かしいです、もうピッケルもアイゼンやザックも処分して手元にはないですが
日帰り用の小さなザックは残してあります、
私も富士山は上までは登っていませんが、毎年この時期は滑落訓練で富士山には出かけていました、
kazuhi49さんの若い時はモテたんでしょうね
私、その頃にお会いしたかった〜!
〜(^−^)〜
今じゃ…、遅い…
涸沢でお会いした方は、この方でした
私も数十年前の初夏の富士山で滑落したイラン人?を見ました、ザラメ雪だったので、50m位下で止まりました
コメントありがとうございます
山岳会に入部し、私も毎年この時期に富士山で雪上訓練
していました。
やっと上に行く許可がでた時の写真です。
写真のピッケル(シモンスーパーD)、傷だらけで錆ついていますが、まだ捨てられず持っています。
私もこの頃のsetuちゃんにお会いしたかったですね。
一目ぼれしたかもね
そうなんです
いやですね、歳をとるという事はこう言う事なんですね。
あれ〜昔の写真と変わらないですよと言ったつもりだったんですけど
やられました
へへへ、ほらね、みんな若かった時代を思い出すでしょう。
それでも今もって山やめないのは なぜ?
今日の朝NHKの「旅のチカラ」で女優の原k千晶さんが、アメリカのインディアンの居住地を訪ねるんですね。
彼女は子宮癌をやって、今でも再発の恐れと戦っているといってました。ナホバ族だったかな、その祈りの歌の中に<美しい中を歩け>という祈りがありました。
それを見ていて思ったんだけど、まだ山をやめないのは、「俺、生きてる」って思って、その証のために頑張ってんじゃないかなと、思ったのね。
誰のためでもなく、病気やいろんなことにぶつかっていても好きなんだよね、山が。
だから山に、「お前、生きてるよ」と言ってもらいたんだと思うのね。スポーツという領域ではなくて、60過ぎても、70になっても、若々しかったあの時分の生気を感じていんだと思う。
山をやっていてつくづく良かったと思えてくるように。
だから懲りずに富士山などに出かけていく勇気があるんだよね。
みんな頑張ってどんな形でもいいから山とつきあっていきましょう。技術差と経験差はあっても、<山が好き>という思いはおなじだだよね・・
変な書き込みになっちゃ多かな・・?
変なオヤジの書き込みですみません
{みんな頑張ってどんな形でもいいから山とつきあっていきましょう。技術差と経験差はあっても、<山が好き>という思いはおなじだだよね}
まったく同感です。
歳をとり、昔みたいに登れませんが、今のベストの
状態で、鼻歌交じりに登りたいですね。
それには、日々のトレーニングが大切な事は痛感しています。
hagure1945さん素晴らしいですね。
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