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授業ではコリングウッドのThe Idea of Natureというペイパーバックの本を読み談話するものだった。今思えば恥ずかし限りだが、授業中に私はタバコを吸い先生は授業時間終了後に吸っていた。風貌からしても謹厳実直な先生だった。先生は他にもシュペングラーの「西洋の没落」についての講義もしていた。英語の分厚いコピーをもらい授業に出たがこちらの記憶はほとんどない。おそらく他の聴講生もいる授業になじめなかったのかも知れない。
ある時、先生は私に「君は山に登りますか?」と尋ねられた。お会いする機会がなくなるまで先生は山のことを一切語ることは無かった。科学技術の行き先に対する強い危惧と循環型農業や社会の紹介などされ、山好きな人なら誰もが想う観念を当時の私は全く持ち合わせていなかった。
自然はありのままでは必ずしも人間社会を幸福に導かない。自然との交渉・共生を通じて人間的自然を作り出すという歴史の進歩に期待するという立場を私はとっていた。今思えば卒論のテーマ「疎外論」は先生の考えと遠く隔たっているとは思えない。自然との共生がうまくいかないのは自然ではなく人間社会に問題があるからだ。小論文をくださり自宅に遊びに来るように言われたのに素直に行けなかった。
卒論の口頭試問では他の先生方はいろいろ質問されたが、三田先生からは誤字脱字のチェックの報告があっただけだ。それから山に行くようになるまで何年かかっただろうか・・・。藤原てい(新田次郎の奥さん)のテレビ番組を偶然観て、当時、友人が唐櫃団地に住んでおり時折シュラインロードを散策していたからか六甲の話に思わず引き込まれた。この番組で「孤高の人」を知り新田次郎の小説を読み漁った。
一人で山歩きをするようになったある時、先生と堀多恵子(堀辰雄の奥さん)、太田愛人との信濃追分での炉辺談話がヤマケイに載った。太田愛人の連載エッセイも好きだったので、懐かしく読んだこと憶えている。今なら先生と山談義ができるのに。
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