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富士見町歴史民俗資料館に、宮崎駿の描いたイラストが4枚ある。
・八ヶ岳山麓(富士見町エリアの)全景を描いたもの。
・稗の底村の屋敷を描いたもの。
・(稗の底村と思しき)馬寄せ場を描いたもの。
・(写真は未掲載)平安時代の牧の村を描いたもの。
宮崎駿の奥さんの別荘が稗の底村の近くにあると聞く。稗の底村は、武田信玄の棒道沿いにあり、中継地として開村された。中継地なので馬が主役でしょう。でも、標高1200mで農作物が育たないので、江戸初期に廃村となった。稗の底村は、以下レコ参照。
<http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-260332.html>
ここ富士見町は、縄文時代は栄えたが、弥生から平安前期までは人が住んでなかったようだ。平安後期から、馬を育てる牧場として開けた。
これらのイラストも、このような歴史的な背景を思い描きながら、描かれたものでしょう。
もののけ姫にでも、ででてきそうな景色と思いました。
宮崎氏のイラストがあるというので、古図と合わせて見に行かねばと思っていました。
イラストはさすがに宮崎氏らしいほんわかとしたタッチで美しいですね。
totoroさんのコメントからこの間久しぶりに「もののけ姫」を見直しました。
「おっことぬし」など確かに富士見の地名たくさん出てきますね。
景色や時代背景はなかなか「ここだ!」とか「あの時代」とか、はっきりわからない感じですが、宮崎氏はいろんな場所の景色や歴史などから取り込む人ですから、それらが融合されているのでしょう。
ただ相当古い時代が舞台で、そのころの人間と自然(もののけ)とのぶつかり合いや融和というようなことが描かれていると思いました。
この映画、封切りと同時に映画館で見た時は、何を言いたいんだか?・・・と駄作に感じましたが、あらためて見たら、その頃の自分がいかに浅くしか見れていなかったかを思い知り、愕然としたことでした。
こんばんわ。
もののけ姫は、富士見の地名がてんこ盛りの映画です。
乙事主とエボシ御前の戦い、とは、富士見の町名同士の戦いです。ジコ坊はキノコの名前だね。甲六は小淵沢との境。モデルは屋久島といわれるが、南八ヶ岳を歩くと、こだまの森、があちこちにあり。時代設定は、古墳時代から戦国時代までいりみだれているように思えたが、アシタカがたたら場につくまでに通った村々は、このイラストの八ヶ岳の麓のようかな、と感じました。いろいろなものが融合してますね。
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