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山登りして出くわす石碑に刻まれた文字にも目がいくようになりました。
そこで、ちょっと興味深い話をひとつ。
長いので暇なときに読んでください。
兵庫県の日本海側で鳥取県境に近い場所に上山高原という美しい高原があります。1981年に林道が開設されて、積雪期以外はクルマでアクセスすることができます。この林道開通の石碑が、上山高原の入口に建っていて、『雲無心 兵庫県知事 坂井時忠』という碑文が刻まれているのですが、この『雲無心』という文字が以前から気になっていて、出典を調べてみました。
中国の詩人・陶淵明(とう えんめい)の『帰去来の辞(ききょらいのじ)』の一節で、”雲無心出岫(雲は無心にして岫(しゅう)を出(い)ず)”という句があり、大自然の中に自らがとけこんでしまった無心の境地を詠んでいます。ボクも”陶淵明”という名前だけ聞いたことがあるレベルです。
しかしながら、『帰去来の辞』そのものは、陶淵明が役人勤めに嫌気がさして自ら辞職して、故郷へ帰ることを詠んだ漢詩です。具体的なエピソードも書かれています。陶淵明が彭沢(ほうたく)県の県令であった時、査察官が来るので正装して迎えよと指示が出ます。しかもその査察官は陶淵明の同郷の若造でした。つのる屈辱感。陶淵明は「われ五斗米の為に膝を屈して小人に向かう能わず(わずかな給料のためにくだらないヤツにへーこらできるかよ)」といって、その場で官を辞し、故郷の田園に向かいました。41歳でした。「帰去来の辞」はその時の思いを歌った詩です。今から約1500年も前の話ですが、今でもありそうな話じゃないですか。
興味深いのは、一部の文字であれ、役人勤めを否定する漢詩を、こともあろうに現職の兵庫県知事が揮毫して石碑に刻ませたことです。坂井時忠氏は、4期16年(7〜10代、1970〜1986年)も兵庫県知事を務めた人です。この石碑が建てられた1981年は、3期目の3年目にあたります。坂井時忠氏が『帰去来の辞』の意味を知らないはずはなく、どういう気持ちでこれを揮毫したのか?さらには、当時、世間で話題にならなかったのか?を知りたいです。
これまで名前しか知らなかった陶淵明という人を、すっかり好きになってしまったボクは、『帰去来の辞』(60句、338文字)を全臨(達人が書いた文字を手本にしてすべて書くこと)することにしました。趙孟頫(ちょもうふ)という書聖が行書で書いているのが有名らしいのですが、楷書で書きたかったので王信臣(おうしんしん)のものを手本にして書いてみました。意味を考えながら臨書したので、とても味わい深いものでした。
なお、『帰去来の辞』には、序文というものもあり、こちらも大変興味深いです。現代文に直すと次のようになりますが、いまの我々の人生感に通じるものを感じないではいられません。
「自分は貧しい生活の中で、農耕に励んでも自給もままならぬ、子どもらは家に満ちて常に腹をすかせているのに、ろくに食べさせるものもない有様、そんな自分の窮状を哀れんで、親戚が心配してくれるが、仕官のあてもない状態だった。
ところが運良く世の中が変わり、諸侯が人材を求めていることに乗じて、職につくことができた。彭澤は家からもそう遠くはないし、収穫をもって酒を作ることも出来る。
しかし少日にして帰りたいとの気持ちが強まった。自分の天性はそう簡単に変えられるものではない。いくら生活のためとはいえ、平生の志を曲げるのはつらいことだ。秋の収穫を得たら、さっさと夜逃げしよう。
そうこうするうち、妹が死んだ。ことここにいたっては、一刻も早く逃れたい。葬儀に参加することを理由にして辞職しよう。」
以上が、陶淵明があらゆる職を擲って、二度と仕えることを欲せず、残された生涯を田園に埋めようと決心したいきさつです。詩であるから、誇張や創作が混じっているかもしれません。
写真左 上山高原に建つ林道開通記念の石碑 『雲無心 兵庫県知事 坂井時忠』
写真中 この場所の積雪(2〜3m)では林道のツヅラ道が完全に埋まり切らず、面白い景色になる
写真右 ボクが臨書した『帰去来の辞』の冒頭部分
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素敵な全臨ですね。私も文系の端くれですが悪書です😭
序文については不勉強でした。陶淵明らしくて素敵です。
唐詩は学問や役人の世界に身を置きながらそこにありたくない人たちの詩がトップクラスに評価されてるのが懐の深い世界ですね。
陶淵明、李白、杜甫など「ああ、世俗嫌😰」みたいな人たち。登山者も多かれ少なかれそんなところがあるから山に向かうのではないかなと勝手に共感してます。
兵庫県知事様は「自然を愛する私素敵」位の読み込みだったのでしょうが、陶淵明はそんな緩い人物じゃ無いと気づいて欲しいですね😎
コメントをいただき、ありがとうございます。
ボクもいつも、もみじさんのレコを楽しく読ませてもらってます。
植物や鳥類の博学さには、いつも尻尾をまいています。
今回は、陶淵明という人のあふれる人間性に触れた気がして、1500年もの時空を飛びました。『あくせく働いてもしゃーない』的な世俗嫌いは、今の時代に回帰しているような気がしてなりません。そーです!ボクも衆愚嫌いで天邪鬼な登山者です(笑)
坂井という知事がどういう人間性の方だったのか?まったく知らないのですが、公用車センチェリー問題でその軽薄さを露呈した井戸知事なら、単純に『いい言葉だから・・・』とのたまいそうです。個人的には嫌いじゃないですけどね。
クマ
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