山に学ぶ (その8)
もともと山の名は独立峰かもしくはひときわ高く目立った山でない限り、特定されておらず一般的にはいくつか連なった山々の総称であった。
例えば広島市の近郊に聳える呉娑々宇山。現在では682.2mのピークが特定され誰もが信じて疑わない。ところが山麓のF町からは682.2mのピークは見えない。それにも関わらず私が中学時代(F中)の校歌には「呉娑々宇の嶺、悠遠に…」とある。見えていないはずの呉娑々宇山が見えている。果たしてどちらが正しいのだろうか。
言うまでもなく本来の呉娑々宇山はF町から見て高く連なる山々の総称であえて特定するならそれらの中で一番高い山であった。もっと厳密に言えば東西に連なる稜線の最低鞍部あたりに寺院があったと言われ、そのため五社総山と呼ばれるようになったとのこと。したがってこの鞍部周辺の山々を呉娑々宇山と呼んでいたらしい。
地元の人々にとってみると何も山名が特定されなくとも自分たちの生活には全く影響はない。ふと高い山を眺めては四季の移ろいを感じ、時にはすがすがしい気持ちになったものである。それがなぜ見えないはずの682.2mのピークが呉娑々宇山と呼ばれるようになったのか。それはおそらく昭和30年代以降の第一次登山ブーム以降からではないだろうか。
それまであまり登られていなかった山々へ人々はこぞって登るようになった。当然高い山に登れば山名が欲しくなる。そのため従来漠然として呼ばれていた山が周辺の一番高い山へと移って行ったのである。従来通りの山と一致するものそうでないものといろいろあるが呉娑々宇山に関しては後者の例でないかと思われる。
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