山に学ぶ (その9 最終回)
山の登り方を分類すればその一つに自然挑戦型と一体型とに分ける事が出来るのではないか。挑戦型は危険でより困難な山に立ち向かうものであったり、記録の更新を目指すもので岩登りや冬山そしてスポーツ登山が含まれる。あえて厳しい自然に立ち向かい、時には自分の命さえも省みないこともある。どちらかと言えばヨーロッパに多く見られる登山の形式で、山そのものがゴツゴツとした岩峰で成り立っており、そこには悪魔が潜んでおり、その悪魔を取り除くために登ったと言われている。そのため山頂に達するとただ単に 登ったと言うのではなく、征服したと言われている。
ところが日本の伝統的な山登りの形態は言うまでもなく、自然一体型である。国土の7割以上が山で、山に囲まれ山とともに生きてきた。その山の多くは人々を優しく包み込むようななだらかな山である。山は我々に自然の恵みをもたらし、生活に潤いを与えてきた。
そしてそれらをもたらしたのが神そのものであり、そのため山は神聖なものとして一部の人を除いて登山の対象ではなかった。いわんや西欧にみられるような悪魔は潜んでいなかった。日本人がいつの頃から山に登りだしたのか定かではないが、少なくとも平安時代までは遡れるが、それは山登りと言うより修験道であり山を汚さないよう身を清めて登っていたはず。戦前にも一部の有産階級の人達が登っていたが、現在のように多くの人々が山に登るようになったのは1956年のマナスル登頂以降だと言われている。そのため日本人の山に対する考え方も随分と変わってきたような気がする。それは山をただ単に趣味の対象として登っているだけで終わっていないだろうか。もともと山は神聖な場所だから、それに相応しい気持ちに切り替えて、時には山に登らさせて頂いているという敬虔な気持ちを持つ事も大切ではないだろいうか。
「山に学ぶ」は今回で終了です。最後まで読んで頂き誠に有り難う御座います。感想、ご意見などんどんお寄せ下さい。お待ちしています。
kariogaryuさん、こんにちわ。
山に学ぶシリーズ楽しく読ませてもらいました。ためになる記事をいろいろありがとうございます。また折に触れてやってください。
最後まで読んでいただき有難うございます。実はこの2月とある新聞に8回続きものとして掲載されたものを加筆したり修整したりしたものです。自分で言うのもおこがましいですがわりと評判は良かった見たいです。
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