難関な6か所、自分はどうだったか振り返って見た。
これから挑戦される中高年の方々の参考になれば幸いです。
・2007年6月(55歳)「1年目」 百名山「甲武信ヶ岳」からスタート。登山経験なし。
7月「富士山」。これ以降登っていない。
5週連続で「赤城山」「大山」「白山」「谷川岳」「八甲田山」をツアーで。
これより17年経過、18年目に入っている。2000座は越えている。
ヤマレコは6年前から会員でレコ公開中。
・2008年(56歳)「2年目」「屋久島」他、毎週末各地の百名山へ。
6月北アルプス「薬師岳」からアルプススタート。
8月南アルプス「赤石岳」。
・2009年(57歳)「3年目」退職して山専任。二百名山も並行して進める。
7月中央アルプス「越百山」「南駒ケ岳」空木岳」。
7月中旬から下旬。名古屋港からフェリーで北海道へ、15日間で雨で6日しか登れず。
8月17日北アルプス「槍ヶ岳」。
9月21日「飯豊山」。川入から日帰り8:16。
9月30日中央アルプス「宝剣岳」。
・2010年(58歳)「4年目」
7月上旬「皇海山」。銀山平から日帰り10:22。
7月中、下旬北海道。「幌尻岳」戸嶌別岳周り日帰り11:57、他。
8月5日北アルプス「涸沢岳」
8月13日北アルプス「「大キレット」
8月19日北アルプス「剱岳」百名山達成
8月22日北アルプス「八峰キレット」
・2011年(59歳)「5年目」
6,7月北海道1ケ月
8月南アルプス5泊6日縦走。
・2012年(60歳)「6年目」
8月20日北アルプス「不帰ノ嶮」。
8月28日北アルプス「西穂高ケ岳から奥穂高岳」
登山中の写真は、2013年度まで撮っていない。
岩稜区間の登った順に
・涸沢岳(穂高岳山荘から北穂高岳南峰)実行2:00、コースタイム「3:35」
予備知識少なく現地で、手強く感じた。
・大キレット(南岳山荘から北穂高岳北峰)1:53「3:30」
1日雨で南岳山荘で停滞しても、翌朝ガスで恐怖感なし。
この調子で「上高地」まで5:13で下山。
・剱岳(前剱から頂上往復)0:55+0:45「1:30+1:20」
目いっぱい注意を向けて登る。室堂で務め早朝勤め先を出発した若い女性も一緒。
・八峰キレット(五竜山荘から鹿島槍ヶ岳北峰)4:17「7:20」
7泊8日の大縦走2日目でした。
・不帰ノ嶮(唐松岳頂上山荘から天狗山荘)3:20「4:55」
祖母谷温泉から3角縦走2日目でした。
・西穂高岳(西穂山荘から穂高岳山荘)6:15「10:00」
山荘で同じ目的の同室の方達と盛り上がり、翌日は真剣勝負。
1度だけ岩から間違った方向に降りそうになって、後ろに続く方にも目配せ。
10数年前は、「ヤマレコ」があったかどうか知らないが、
厳しい区間は、「分県ガイド」にも載らず、
「山と渓谷」の夏の記事を探して事前知識を得るくらいであった。
当時の資料が残してあるが、殆ど予備知識として活用せず、ぶっつけ本番であった。
例として「ジャンダルム」。
「ジャンダルム」は、左側にそびえていたようだが、前後に登山者がいなくて、
横をトラバースして通り抜けた記憶がある。皆さん通って来たのかいまだにわからない。
最近のヤマレコとタイムを比較して見ると、南側のより容易なルートでピストンしたのではとも思える。
天狗のコルからジャンダルム1:06、ジャンダルムで10分休憩して奥穂高岳まで0:52。
今回「ジャンダルム」のレコをいくつか見てみたが、あまり参考にならない(実感として危険が感じられない)のはやむを得ないのだろう。
山頂のように「地名登録」してあるところは、「山の解説」で登山道などの情報が載っていることもある。
当時は記憶に焼き付けられると考え、写真を撮るつもりがなかったので、今振り返って見ると、殆ど記憶に留まっていない。
今思うと写真でもいくらかあれば思い起こすこともあったかも。
特にこの厳しい岩場区間は、通り抜けるのに夢中で、味わう余裕もなかった。
山登り4年目、アルプスは3年目で、6つのうち4つを制覇。何か怖いもの知らずでした。
岩登りの技術的にも未熟であるものの、58歳ピークの体力で、カバーしていたのだろう。
2010年の8月は、あいだの休みは現地休養(車中泊)で、行きっぱなしであった。
7月31日から9月10日までの42日間の内登山日は30日間。週休2日でした。
岩場区間の実行タイムは、コースタイムの60%位で、この当時通常区間も50%位でした。
その後何でもなさそうな岩場で戸惑ってしまったことを思い出している。
2010年「八海山」の長い垂直ロープ。
2013年「大源太山」山頂から「七ツ小屋山」方面に降りる最初のロープ無しの下り。
2019年パノラマルートから「奥又白池」方面に入る口の高さ3mの岩壁の横ばい。
2022年「東笠山」(富山県)の標高差300mの急な勾配の沢登り。
登り始めて18年、百・二百・三百名山の資料は当時からあったが、
花の生きた資料(本の上の情報では、タイミング、場所情報)が不足で
時期を外したり・見逃したものも多かったが、もう一度出かけるのは無理。今のように情報が容易に一杯取れるのは羨ましい。
「早月尾根」は、「剱岳」を「別山尾根」で登頂しているので、敢えて挑戦せず。
また「仙人池」や「内蔵助谷」もそれ以上に怖いルートで行けませんでした。
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