※※左膝骨折(脛骨高原骨折)による手術と回復についての個人的記録です。松葉杖が取れるまでの2か月半をまとめて掲載しました※※
■2014/2/11(火・祝)
ノルン水上スキー場で転倒、左膝を激しく捻った。左足に体重をかけるとズキンと激痛。救護所では「半月板損傷の疑い。すぐに整形外科に行って」と言われる。そーっとしていれば痛みはないので、2時間半のドライブを強行して自宅近くへ戻り、休日当番医を尋ねようと消防局へ電話するも、祝日は自動音声が流れるのみ! 仕方なく119番し、「火事ですか、救急ですか?」の問いに「どっちでもないのですが、今から診てくれる整形外科教えて」と頼んだ。あろうことか、管内に(救急車以外で診てもらえる)整形の当番医はないとのこと。とにかく松葉杖を借りるだけでもしないと身動きできないので食い下がると、2軒の救急外来を教えてくれた。うち「おおた…病院」は、いま整形の先生がいないとにべもなく、反対に電話に出た警備さんからして親切なT病院に車を乗りつけた。
インフルエンザの子供に混じって待つこと1時間、レントゲンを撮り、若い男性内科医の診察を受ける。診断は「見た限りでは骨折はなさそう」だったが、必ず専門の整形外科に見せた方が良いと正直に付け加えた。それで診察終了となりそうだったので、松葉杖のレンタルと、膝がぶらぶらすると痛むし不安である旨を訴えると、看護師の方が機敏に反応して堅めの包帯を巻いてくれた。ただ、松葉杖を選んでくれた看護師は不慣れなようで、(当方も後から知ったが)杖の長さの調節方法を知らず、とっ替えひっ替え違う長さの杖を出してきて、当方が短すぎると訴えた杖を「腋の下に拳一つ空くから、これがちょうど良い」と言ってとうとう押し付けた。
何とか帰宅したものの、家の中まで松葉杖というわけにもいかず、山用のストックの先ゴムに滑り止め付軍手を巻きつけたもので室内用杖とした。当初、1本でいいと思ったが、ほとんど片足ケンケンと変わらないので2本にした。ただ、先が細いからバランスを取るのは結構難しい。自室のある2階は全てフローリングなので、車輪付きの事務椅子に乗って洗面所からベッドまでゴロゴロと楽ちん移動している。
■2014/2/12(水)
我が家のヤマノカミ運転の車で駅へ送ってもらい、通常通りの時間に出勤。松葉杖だと電車の優先席に着席できることに気づき、ほっとした。会社では当然ながら周囲が驚き、ビル内の診療所の常連患者である上司がそこの院長に連絡して、院長の出身病院の整形外科の予約を手配してくれた。昼で会社を早退し、まずMRI検査専門のクリニックへ。生まれて初めてウォンウォン唸るMRIに10分ほど入り、診察室で「折れてますね。関節が陥没したようになっています」という結果を聞いた。
がっくりして、次いで院長紹介のS病院へ。MRIの結果を持って行けというので1時間待つと、CDのほかに大きなフィルムまで渡された。両手が松葉杖でふさがった身に酷な仕打ちだ。念のためポケットに忍ばせてきた山用の小さく畳まるトートバッグを広げ、サンドイッチマンよろしく首から前に掛けて、恥を忍んで往来に出てタクシーを拾った。
S病院では、もっと詳細に患部を見るためだとして、さらにCTとレントゲンを撮られた。備え付けの車いすを借りるという知恵が湧かず、院内を寸足らずの松葉杖で動き回って消耗した。担当医は会社のビルの診療所にも非常勤で来ている医師。画像を見せながら「これは脛骨高原骨折と言います。手術が必要ですが、今週は私の日程が空いていないので、20日にやりましょう。喘息の気があるということですから、その検査を兼ねて17日から入院してください」と説明する。
左脚膝関節の下の骨・脛骨の骨頭外寄りが上の大腿骨の骨頭と激突し、あえなく陥没してしまったとのこと。バランスを崩して膝を伸ばしたまま着地し、もろに体重をかけてしまったようだ。手術では、陥没部を押し上げて隙間に人工骨を充填し、膝の横から水平にチタンボルトをねじ込んで固定するという。入院期間は順調に行って術後1週間、つまり10日以上入院することになる。明日はヤマノカミ同席で手術前検査と入院の諸注意を聴くことになった。
帰りの電車に乗る際、長い階段を下ることになって参った。多くの駅階段では、上りエスカレーターはあっても下りは省略されている。あっても下りのエスカレーターというのは、慣れないと松葉杖で乗るのは少々不安だ。エレベーターを探しながら、バリアフリー設備というものの大切さ、ありがたさを痛感した。同時に優先席を選んで立っても、席を譲ってくれる気配のない人が結構多いことも…。膝を曲げないように、病院で腿から足首まで鮮やかな青のウレタン製装具を付けられたので、重傷患者?であることは一目瞭然なのだが。
■2014/2/13(木)
ラッシュに慣れないヤマノカミとS病院へ。なるべく乗り換えで歩く距離の短いルートを選んだつもりだが、結構疲れた。手術前検査の多くは前日済ませていたので、診察は説明中心に終わった。内視鏡の一種である関節鏡を使うので大きな切開はないが、全身麻酔なので「万一」に関する同意書を取るという。また、入院には別世帯の人間の保証がいるとのことだったが、収入要件はなかったから、まだ生きている実父・たか爺に連絡して名義を借りた。たか爺は「いい歳して」と同情半分呆れ半分の反応だった。
昼前、ヤマノカミと別れて電車で会社に向かう。明日は年度末で欠かせない幹部会議の事務方を務めなくてはならず、翌週の全体会議はサボることになるので、代役への引き継ぎを含めて片づけておく仕事が山積している。手術は早いに越したことはないようだが、仕事で迷惑をかけることを考えると入院まで少し日があって助かった。
■2014/2/14(金)
会議では役員たちの注目の的となり、冷や汗をかいた。左足を青い装具で覆っているから、松葉杖が見えなくてもただ事でないのは分かる。暖かい会社にいると、装具の中の足が暑くて困った。ズボンはしわだらけになり、あせもができそうだ。ともあれ夏には絶対こんな怪我はしたくない。
2014/2/17(月)
入院の日。ヤマノカミ同道で病院に向かうが、彼女はとにかく荷物がまとめられない人間なので、当方の入院道具を持ってもらうなど望むべくもない。仕方なく16Lのリュックに下着、洗面具に加えてノートパソコンを無理やり詰めこみ、ずっしり重いリュックと短い松葉杖に苦しみながらやっとの思いで病院に着いた。
病室はテレビ、ネット完備の2人部屋。10日ばかりの入院ゆえ、初めは普通の6人部屋を予約したのだが、ベッドサイドにカード式テレビもないという。入院中はヒマだろうし、折からソチ五輪開幕中とあってテレビぐらいほしい。また、仕事を中途半端にしてきた関係上、できればメールのやりとりがしたいので、差額を払って変えてもらった。個室ではないので、お値段は生命保険の特約で賄える程度。しかも、相部屋の先住者が翌朝退院したきり次の患者が入らず、実質個室となってラッキーだった。
さて、とりあえずは何もすることがない。いまどきの病院食はまあまあ食べられるお味で、主にBSで五輪を見ながら優雅に入院初日は暮れた。
■2014/2/19(水)
手術前日。18日はおざなりに呼吸器内科の医師が喘息について問診し、「まあ、大丈夫でしょう」と診断したのみだった。なんでも、麻酔を吸う時にぜんそく患者は呼吸がおかしくなる危険があるらしい。今日は、さすがに夜から食事制限が入る。1階のコンビニに行くくらいで運動もせず食っちゃ寝なのだから、1日くらい飯を抜いたほうが良いかもしれない。
■2014/2/20(木)
昼にヤマノカミが来る。14時、手術の時間。ストレッチャーに乗せられ、2階の手術室へ。盲腸手術、手指骨折手術以来、3度目の経験だが、マナ板の鯉にされたようであまり良い気分ではない。全身麻酔だが、まずは下半身の部分麻酔も行う。エビのように体を丸め、脊髄にズキンと来る注射を打たれる。やがて、脚の感覚がボワーンとして麻酔が効いてきたことが分かった。次いで点滴から別の麻酔薬が入れられると意識を失った。
目が覚めたのは病室の中。ヤマノカミがヒマそうに座っている。時間は17時近くで、予定より1時間ほど長くかかったようだが、医師によると、うまくいったとのこと。腿から下はまだ麻酔が効いていて動かすのが困難だ。おかげで痛みもないが、麻酔が解けてくると大変になることは指の手術で経験している。そんなことはつゆ知らずにヤマノカミは帰宅していった。
■2014/2/21(金)
昨夜から麻酔が解け、手術跡がずきずきと痛みだした。寝返りを打ちたいのだが患部の膝が動かせず、するとずっと下になっている尻やら踵やらが膝以上に痛み出す。どういう姿勢を取っても苦しく、参った。
午後、手術跡の痛みはあまり感じなくなったところで、リハビリの声がかかって車いすに乗せられた。手術翌日からリハビリ?と思ったが、患部の左膝を動かすのではなく、足首のストレッチと右足での屈伸、松葉杖の使い方などが中心だった。右足をぴったり折って踵に尻を付けた状態から片足スクワットを始めたら、理学療法士が飛んできて「そんなキツいことしなくていいです。椅子に座った状態から立ち上がれば十分です」と教えてくれた。なるほど、スポーツジムじゃないからね。
■2014/2/22(土)
夕刻、お見舞いの先陣を切って山友のDr.エモンが病室に来てくれた。「太るので何もいらん」と言ったのに律儀にクッキーを持参してくれ、小一時間ほど馬鹿話をして去って行った。これから新宿で宴会とのこと。なにはともあれ、ありがたいことだ。恒例となった夏の北アはお休みせざるを得ないが、術後もまずは順調なので「歩けるようになったら足慣らしに低山に行こう」と誘ってくれた。
■2014/2/23(日)
手術後の移動はもっぱら車いすに拠っており、これは松葉杖に比べるとはるかに楽ちんで、スピードも出せる。左右の車輪を逆回転する戦車ターン、手のひらで片輪を強制停止させて瞬時に向きを変えるクイックターンなどをマスターし、半ば遊びながら走っていたら、看護婦が「ドリフトターンですね」なんて笑っていた。一瞬、怒られるかと思ったが、良かった・・・(汗)。
本日は知る人ぞ知る?当方の誕生日。という訳で午後、ヤマノカミとたか爺が前後して病室を訪れた。夕食には、食事担当の部署からお祝いのメッセージを添えて特別にケーキが付いた。小さな心遣いがありがたかった。
■2014/2/26(水)
きょうは退院日。ヤマノカミの都合で夕方となったが、術後の経過は順調で痛みもない。ただ、抜糸は来週、通院してきた時とのこと。24日に見舞いに来てくれた上司は来週からで良いと言ってくれたが、そうもいかないので明日から出社するつもり。問題は通勤で、自宅から駅まで徒歩10分の区間はヤマノカミに頭を下げて車で送ってもらうしかない。実は会社のビルが駅と直結状態の構造で、これは大変ラッキーだった。もし中途半端に離れていたら“雨天欠勤”をしたくなるところだ(←松葉杖では傘がさせない)。
■2014/2/27(木)
手術後の初出勤。乗車駅時点では大抵優先席は埋まっていないので、座って通勤が可能だ。大仰な青い装具のおかげで会社では誰かれなく事情を聴かれたが、混雑した帰りの電車も席を譲ってくれる目印になるようで助かる。困るのはランチで、社員食堂は自分でトレイを持ってメニューを選ぶカフェテリア形式だから、松葉杖での利用は不可能。当分は一緒に食べる部下に骨折ってもらうことになった。謝礼は105円のドリップコーヒー1杯。
家に帰ると、腕が非常に疲れていた。やはりこの松葉杖は短すぎる気がする。
■2014/2/28(金)
松葉杖を替えてもらうことに決めた。会社のビルの診療所にも松葉杖はあるはずだが、そこから借りたら今使っている杖が余る。宅配便で送るのも何なので、会社を早退し、午後、事故当日にお世話になった病院を訪ねて交換してもらった。実は、私の借りた杖は救急外来の備品なので本当は1週間程度で返すことになっており、必要なら整形外科を受診して別途借りるのが原則なのだとか。なるほどと思い、既に治療済だが「じゃあ、整形で借り直します。診察代くらいは出します」と言ったところ、応対した男性看護師によると、整形は予約制で午後は診てもらえないとのこと。結局、「いいです。交換しましょう」と快く長めの杖に替えてくれた。この時初めて長さの調節法を教えてもらった。
■2014/3/5(水)
退院後、最初の外来診察日でS病院へ。傷口の経過も良好で、簡単に抜糸が終わった。今後は、会社のビルの診療所へ担当医が来る日に診てもらうことになった。ついでに、風呂に入っていいかと聞くと、まだ傷口を濡らしてはまずいが、ビニールで覆うなどすれば浴槽に入っても構わないとのこと。体を拭くだけで済ませてきたが、ようやくさっぱりできる。
もっとも、防水の問題が残る。最初は風呂よりシャワーで我慢し、なるべく左脚を濡らさないようにした方が安全だ。ビニール袋を足に巻きつけることとして、絆創膏やセロテープでは剥がれそうだし、逆にガムテープなんぞ使ったら足の皮膚がおかしくなりそうだ。ふと、会社に仮止め用の「養生テープ」があったことを思い出し、使い残りを譲ってもらった。ビニール袋を選んでいたら、ヤマノカミがラップを持ってきて使えという。弱いかと思ったが引張強度は十分で、巻きつければ自然にくっつくから、その上を養生テープで止めるだけ。使ってみるとなかなか快適だった。
■2014/3/7(金)
会社のビルの診療所で診てもらう。といっても2日前に診てもらったばかりだから、引き継ぎのようなもの。おおむね週に1度、リハビリをお願いすることに決まった。第1回は12日。それまではS病院で教わった仰向けに寝て左足を伸ばしたまま上下させる運動をするのみ。腹筋と腿の上面の筋肉を多少は使うことになるが、すぐに疲れてしまい、弱っていることを実感する。
■2014/3/12(水)
初めてのリハビリ。医師の指示は4月4日から3分の1荷重とし、以後、1週間ごとに少しずつ荷重を増やして4月24日から全荷重とする内容。つまり、まだ当分は膝に体重をかけてはならない。となると、やることは限られているが、膝は痛みのない範囲で屈伸しても良い、というか積極的に動かすべしとのこと。ギプスで固めるのが当たり前だったのは今は昔で、関節は可能な限り動かせるようにするのだそう。やってみると、曲げる方は90度近く曲がるが、伸ばす方は170度くらいから先は膝に圧力がかかる感じで、伸ばすのがためらわれる。寝るときは布団とマットの柔らかさがないと仰向けは無理だ。
抜糸から1週間余、大事を見てシャワーでは足を濡らさないようにしてきたが、もう傷口はふさがったので風呂を解禁した。やはり湯船につかるのは気持ちが良いが、入る時はケンケンだから湯の中に転落しないよう注意が必要だ。
■2017/3/18(火)
2度目のリハビリ。臀部の筋肉が落ちるので、四つん這いのような姿勢で左脚だけ後ろに伸ばし、上下に動かす筋力強化法を教わった。さらに右体側を下に横たわり、左脚をそらし気味に上下させる美容体操のようなエクササイズも習ったが、これは相当きつい。
前回のリハビリ以来、少しずつ膝の屈伸を試みているが、そろそろ手術から4週間になるので、脚を包むウレタン製装具を外すことにした。担当医は「2、3週間はギプスしておいて」と話していたので、もう良いだろう。痛みはないし、松葉杖にも慣れたので不安も感じない。何よりそろそろ暖かくなってきたので、あせもができる前に外すのが正解だと判断した。
■2014/3/24(月)
整形外科受診。いつもの担当医は金曜だが、週末から永年勤続休暇を取得して別府温泉へ行く魂胆なので、早めに診てもらった。X線の結果は「たぶん良くついていると思う」。普通にしていれば痛みもないので、とりあえず松葉杖持参なら週末の旅行に差支えはないとのことだった。
この旅行、永年休暇の権限が年度単位という事情からギリギリ最後の日程で計画したもの。本当は2月に家族スキーで取得をと考え、その足慣らしのはずの日帰りスキーが“足壊し”になってしまった。当初、1か月半もあれば松葉杖は取れると思ったのは甘かった。
旅行会社に「松葉杖で飛行機に乗るのは何か制限があるのか?」と尋ねたところ、「何もない」とのこと。逆に優先搭乗の権利があるから、その場合は早めに行って頼めばよいそうだ。さらに旅行会社が気を回して宿泊先にも連絡し、車椅子を用意してもらったという。いささか気恥ずかしいが、実のところありがたい。
膝は手で引きつければ120度は軽く、おそらく140度くらいまで曲がるが、脚の筋力だけで曲げようとすると90度がやっと。伸ばす方はあとちょっと、175度くらいだろうか。
■2014/3/28(金)
朝、予約したタクシーで駅へ向かい、別府温泉への湯治に旅立つ。幸い天気は晴れているが、平日ゆえ、羽田空港までラッシュの電車に乗らねばならない。いつもの伝で松葉杖によってありがたくも席を譲っていただき、最後はラッシュと逆方向の京急電車で空港駅に着いた。
手荷物検査では木の松葉杖を渡されてクリア。搭乗ゲートが変更されて外れの方になり、かなり歩かされたが、お姉さんに声をかけて優先搭乗で先に入れてもらった。右(北)側の窓側席で、雪をかぶった南アルプスなどを見下ろしながら琵琶湖から中国山地を経て広島の先で急旋回し、大分空港へ。空港で昼食を採ってからレンタカーの運転席に乗り込んだ。
別府の宿は巨大旅館の杉乃井ホテル。いささか古い部屋で、平日とあって中国、韓国、西洋人の団体客が多いのに驚いた。車いすを貸してくれて移動に不便はなかったが、食事がバイキング式なのには弱った。ヤマノカミに全部頼むしかないかと思ったが、幸いホテルの人が欲しい料理を取ってくれることになって助かった。風呂は1階の大浴場に持参のストック片手で入ったが、500mほど先の新しい棟にある自慢の展望露天風呂は泣く泣くパスした。ヤマノカミによると、空に浮かぶような素晴らしい風呂だったとのこと。
ここには2泊して別府市内、宇佐神宮などを観光したが、松葉杖では疲れて長くは歩けず、大幅に行動範囲が制限されることを痛感した。宇佐神宮に足の不自由な人向けに小さなモノレールが整備されているのが印象的だった。
■2014/3/30(日)
別府から湯布院、九重連山、阿蘇をかすめて宮崎県・高千穂を訪ね、折り返して阿蘇の北の黒川温泉へ一般道を250kmのドライブ。途中、山の中はほとんど小雨とガスで散策もできず、つまらないが松葉杖の身にはかえって楽だった。宿は奥の湯といって、黒川温泉でもドン詰まりに位置する。足が悪い情報は入っていたはずだが、部屋は遊歩道状の道を100mほど歩いた先の別棟だった。風呂は反対側なので150mも歩いて行くことになり、いつも2度は入るところを1度で我慢した。ただ、客室近くに小さな檜風呂もあるので、そこで朝風呂を楽しむことはできた。
困ったのは、松葉杖の片方の石突?部分のゴムが破れてしまったこと。元々滑り止めがすっかり摩耗した坊主タイヤ状態だったのが、ついに“パンク”してしまったらしい。雨で滑るので椅子の足カバーを改造して作った手製カバーを持参していたため、急きょそれをはめて歩くことにした。我ながら良い出来栄えのカバーなのだが、底に接着剤で張った滑り止めがすぐ摩耗するのが玉にきず。旅行を終えるまでもつか心配だった。
■2014/3/31(月)
阿蘇の大観峰に駐車場から遊歩道を300m歩いて登頂! 疲れた。花曇りが残念だったが、正面の阿蘇五岳、後ろの九重連山の眺望は楽しむことはできた。この後、定番観光の中岳と草千里、名水の水源などを巡り、ちょうど盛りの桜の名木なども見て熊本空港へ。道中事故もなくくたばりもせず、無事4日間の湯治ドライブを終えることができた。
帰りの飛行機は最新鋭の(バッテリーが)燃える飛行機ボーイング787。別段トラブルはなかったが、行きの767では頭上のハットラックに入れてもらった松葉杖がラックの長さの関係で収まらず、ステュワーデスが預かることになってしまった。危険だから床に置くのはだめだそうで、だったらこの程度の長さ(約1.2m)の物は入るようにラックを設計すれば良いのにと思うのだが…。
■2014/4/1(火)
底の抜けた松葉杖では困るので、結局、会社のビルの診療所で新たに借りることにした。壊れた杖は事務室の隅に放り込んでおき、杖がいらなくなったら新しい方は診療所に返し、壊れた杖を持って帰ろうという目論見。同じくデポジット5000円を預けて借り受けたが、なんとこちらはレンタル料が1日200円! これは高い! T病院はタダなのに。早く治らないと大変なことになる。
■2014/4/4(金)
整形+リハビリの日。担当医はレントゲンを見て「順調に回復している」とご託宣。予定通りリハビリで理学療法士に「3分の1荷重」の歩き方を伝授してもらった。3分の1体重をかける〜とは言うは易くでピンとこないが、当方への指導は「つま先を着いて歩くこと」だった。これなら分かりやすい。また、その結果、両腕への負担がぐんと軽くなることも分かり、長く歩くことが楽になった。
膝関節については、風呂などで温めて曲げ伸ばしを自分で試みること、落ちた筋肉を付けるため、美容体操のように四つん這いになって怪我した左足を後ろへそらして上げる運動や、横臥して左足を上げる運動などを教わった。
次の週末にはベタ足を着く2分の1荷重となる。そうなればスポーツクラブで軽い自転車漕ぎくらいはしても良いとのこと。いよいよ左足の筋力復活に取り組めるようだ。風呂では、浴槽で腰までつかりながら正座の姿勢で膝を曲げたところ、踵と尻があと5cm位まで近づけられた。それ以上は痛くて突っ張る。逆に伸ばした左足の上に右足を折って乗せて押し込み、膝を伸ばしてみたが完全に平らにはならず、痛みが走る。
■2014/4/8(火)
調子も良いので、ちょっと早めにスポーツクラブを復活することにして、仕事帰りに立ち寄った。3月は一度も行かずに会費をドブに捨てたので、今月からは元を取りたいという貧乏根性が頭をもたげた。
夕食は軽く駅の立ち食いソバ。注文して待っていると、隣で食べていた60代見当の職人風の男性が、黙ってセルフサービスの水を取って置いてくれた。一見ぞんざいな仕草だが、さり気ない心遣いがありがたい。食べ終わって出ようとすると、今度は一人で店を切り盛りする女性が素早く回ってきて引き戸を開けてくれた。ありがたくて、質素だがなんだかすごく気持ち良い夕食になった。
さて、ジムで松葉杖の音を響かせている人間など普通はいないから、いささか注目を浴びる。ストレッチマットでリハビリ運動と柔軟体操をして、膝の曲げ伸ばしマシンで腿とふくらはぎの筋肉強化を図り、エアロバイクを漕いだ。いずれも負荷はごく控えめにしておき、風呂でもストレッチ。ただ、浴場をケンケンで動き回るのは危ないので、少々注意が必要だ。
■2014/4/11(金)
リハビリの日。2分の1荷重という、足の裏を普通に着く歩き方が解禁となった。ただし、先週に説明は聴いていたので既に2、3日前から時々トライしている。正直に話したところ、痛みがなければそれでも別に良いとのことだった。今日の指導では、長い杖頼りの生活のせいで、体を垂直にしたつもりでも右の腰が膨らむ形にカーブする癖が付いているから、それをおいおい矯正する必要があることを告げられた。準備としては、やはり左の筋力を戻しておく必要がある。
という訳でこの日もスポーツクラブへ。上半身の筋力強化メニューも加えたうえで、自転車漕ぎで汗を流した。最近、筋肉が落ちているのに体重が0.5kgほど増えてしまい、その対策にも有酸素運動が必要になっている。
■2014/15(火)
おかげさまで毎日電車の優先席通勤を続けている。行きはまだ空席があるので当然として、帰りは優先席の前へ行き、申し訳ないが(頼みはしないものの)席を譲ってもらっている。この日も中年男性に譲っていただいて座ったところ、乗った電車が人身事故の影響で途中駅打ち切りになってしまった。仕方ないので下車し、時間調整を兼ねてラーメン屋で夕食を取ってホームへ戻ると、ちょうど運転再開するところだった。何とか身を押し込んだがギュウ詰め状態で優先席へ行くどころではなく、ドアからはじき出されないように立つのがやっと。すると、2駅ほど先で後ろの男性が肩をたたき、自分の目の前の席が空いたので座るよう、誘ってくれた。ありがたく腰を掛けたが、いやあ、日本も捨てたもんじゃないと思った。
遅くなったが、ジムで汗を流してから帰宅。多少強めに負荷をかけてマシンで膝を曲げ伸ばししたが、別段大丈夫のようだ。ただ、全身の筋肉はこの2か月の運動不足のせいでどれも弱っていると痛感した。左脚の状態はというと、膝に力を込めて脚を伸ばすと膝関節一帯がズキンとする。耐えられないほどではないが、つらい。一方、曲げる方は湯船で正座すると、頑張ればかすかに踵が尻に触れるくらいまで曲がるようになった。
■2014/4/17(木)
実父・たか爺が目の周りの帯状疱疹で入院したため、仕事で横浜方面へ行ったついでに見舞いに寄った。松葉杖の見舞客というのもおかしな図だなと思いつつ、談話室で面会。事情を聴くと、近所の眼医者がヤブで帯状疱疹と見抜けなかったと文句を言った後、「でも、ここの女医さんは若くて美人なんでラッキーだったよ」とのたまう。これには、ちょうど一緒になった従姉と笑ってしまうしかなかった。松葉杖にすがって、えっちらおっちら見舞いに来るほどではなかったかもしれない。こちらはもうじき松葉杖が取れることを告げて横浜駅で従姉と別れた。その後、実家の留守宅に上がりこみ、今度は弟・Amano.Jackと久々の酒盛りをした。
時々、普通の歩き方を試みたが、脚を伸ばして膝を着く瞬間、陥没した部位と反対の膝の内側前寄りがズキンと痛む。だんだん痛みが弱くなってくれるといいのだが・・・。
■2014/4/18(金)
きょうも整形+リハビリ。レントゲンでは、まだかすかに骨の割れた跡の線が識別できるものの、「順調です。どんどん歩いてください」と担当医。リハビリでは、ついに1本杖のお許しが出た。併せて体の垂直線を矯正するため、ストレッチポールを使ってバランス取りを練習。スポーツクラブでも応用できそうだ。また、長らく左足を持ち上げ気味にしてきたので、脚を後ろに引いて鼠蹊部を伸ばすストレッチを心がけると、自然に歩けるようになるとのこと。
杖が1本で済むことになったので、有料レンタルの会社のビルの診療所の松葉杖を返却した。17日間で3400円也。代わりに事務室の隅からT病院の松葉杖を引っ張り出し、底が破れていない方を使って帰宅した。
■2014/4/19(土)
スポーツクラブは火曜と金曜を原則としているが、昨夜は行けなかったので久々に昼のジムに顔を出した。ストレッチポールを復習した後、かなり負荷をかけて膝周囲を中心とした筋トレに励んでから、1時間のバイク。きのうからの1本杖というのは、本当に軽く歩行を補助するだけなのでジムには持ち込まない。このため、ジムを出る時に松葉杖を忘れて出てしまい、あわてて取りに戻る始末だった。なお、杖なしでも歩けるが、まだガクンガクンとびっこを引くことになる。
■2014/4/20(日)
医者が歩けというので、午後、付近を30分ほど散歩してみた。松葉杖も大げさなので、勝手に山のストックを一本持って歩いてみた。左が悪いから右に杖という基本で歩くと、二の腕の裏側の筋肉を結構使う。なるべくふつうに歩きたいのだが、陥没した外側の脛骨ではなく、前述した膝の内側(右側)に圧痛があってついびっこになる。筋力も足りないので、階段や坂道では明らかに体が不安定になるのが分かった。情けないし、この痛みが果たしていつ緩解するものか少々不安になる。
■2014/4/22(火)
今日はスポーツクラブの日。一本杖歩行もサマになってきて、脚を着いた時の痛みも心なしか軽くなったようだ。駅や会社の階段も手すりにつかまりながら上下できる。杖なしだと、平らな所より脚を伸ばさないで着地する階段の方が、むしろ痛みがなくて歩きやすい。
ジムでは例によってストレッチポールでストレッチとバランスの後、膝の曲げ伸ばしに負荷をかけて上半身の筋トレ、エアロバイク40分のメニューとした。筋力が落ちていて以前と同じ負荷はかけられないものの、それほどかばわずにマシンが使えるようになったのがありがたい。
■2014/4/25(金)
リハビリの理学療法士から予定通り全荷重の許可が出て、ついに松葉杖から卒業した。長かったが、ようやくこれで本当の意味のリハビリ、筋力回復トレーニングに入れる。ただし、念のためということで老人が使う杖を渡された。Tグリップの山用ストックと似ているが、握りと着地面のゴムの直径が太い。
ところで、この日、良い方の右足の脹脛下部内側に時々ズキッと痛みが走った。リハビリでその事を言うと、軽くマッサージしつつ「筋肉の使い過ぎでしょうね」との診立て。昨日もジムに行ったので、やったトレーニングを説明したところ、パッドを膝の内側に挟んで脚を閉じ、内転筋を鍛えるマシンのオーバーワークが怪しいと言われた。けがをするまで利用したことのないマシンで、内腿に筋肉痛も来ているが、そんなに激しく負荷をかけた記憶はない。だが、「あれは左右つながっているので、閉じる時に元気な右足の方に過負荷がかかってしまいます。内転筋の筋は内側の脹脛の下の方につながっているのです」とのこと。
反省しつつ、今日もまたスポーツクラブへ。帰宅時、またも右脹脛がズキンときたので、薬局でサポーターを購入した。内転筋のマシンはパスして自転車を漕ぎ、右手に松葉杖、左手にステッキという姿で帰宅。
■2014/4/26(土)
土曜日だが救急外来に休みはないので、昼ごろ車でT病院へ松葉杖を返却しに行った。底が抜けて自作のカバーを付けていることなどを説明したところ、「よくチェックしないで底の摩耗した杖をお貸しして申し訳ありません」と、逆に謝られてしまった。デポジットの5000円は全額戻るし、本来、長期貸し出しするものではない救急外来の杖を特例で借りっ放しにさせてもらっていたのに、どこまでも親切な病院だ。
今日は新たに借りたステッキ片手に歩いたが、正直言ってあってもなくても大差はない。ともあれ、どうしても左足の着地が自然にならず、ビッコを引いてしまう。感覚としては、本来膝が伸びた状態で着地すべきところをわずかに曲げて着地するため、土踏まずの前側、脚の指の付け根あたりが常に衝撃を受けて、痛くなってくるイメージだ。膝の周囲の痛みも相変わらずある。
■2014/4/28(月)
ステッキ片手に駅まで自力歩行し、怪我をしてから初めて立ったままラッシュに揺られて通勤。どうしても右足に乗ってしまいがちなのを、意識して左足に体重を乗せてみるが、やはり痛い。しかも疲れる。これから毎日の通勤がリハビリ訓練となりそうだ。ただし、明日は祝日で一休み。GWさまさまだ。
がんばれ
頑張ります
がんこやです。おはようございます。
最初から最後まで読みました。
日々の葛藤を克明に記録されていて驚きました。
私は現在術後6ヶ月で、傍目には健康体と見られてます。
体の回復に併せて当初の不便もだいぶ忘れてきてますが、文章を読みながら、「あーそうだったね」「それが辛いんだよね」とあいずちを打ちながら楽しく(?)読み進みました。
早く、全てが通常の生活に復帰したいですね。お互いに。
エンエンと続く記録を最後までご覧いただいたとのこと、何だかお恥ずかしい次第です。おっしゃる通り「通常の生活」に戻れる日まで、焦らず頑張りましょう
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