この笠塔婆は、群馬県指定重要文化財になっています。
紅巌寺は、江戸期、宮子の領主だった旗本跡部氏の菩提寺です。しかし、廃仏毀釈で廃寺となり、今は、薬師堂のある墓地になっています。
薬師堂前には、灯籠が3つあります。
ふたつは、児島右金次信之という方が、1830年と1833年におさめており「拝 先君廟謹献灯火」となっています。もしかしたら、跡部氏に仕えた方なのかなぁと思いました。
もうひとつは、前橋本町の中吉屋勝助という方が、1856年にお薬師様に献灯していました。
薬師堂には、薬師如来とお地蔵様(?)。
かなり古そうですが、調べられませんでした。
薬師堂横に、宝篋印塔(1746年)があります。塔身に四方仏の像が刻まれています。
ちょうどお参りにきた方から、以前は同じようなものが、ふたつ並んであったのだけれど、ひとつ盗まれてしまったと教えていただきました。
確かに、地面にその分のスペースがありました。ひどい話しです。そんな泥棒がいるということは、私も泥棒の下見と思われてしまわないか心配になりました。
調べてみると、盗まれてしまったのは秩父三十四所観音像(1763年)で、笠付型の一塔に、秩父三十四所の霊場の観音を刻んだものでした。
今、どこでどうしているのか。戻ってきて欲しいです。
笠塔婆(1268年)は、薬師堂からは北側の奥になり、そこだけ屋根があり鉄の柵で囲われていますので、すぐわかりました。
拝見して、一番に思ったのは、風化が激しいことです。
私が、この笠塔婆を知ったのは、昭和47年に伊勢崎郷土文化協会から発行された「伊勢崎歴史散歩」という本のおかげです。この本には「雄勁なタガネ彫りの跡を見せ、二重蓮弁の台座も鎌倉期の特徴をよく表している」とあります。それから50年でここまで風化してしまうとは。一番上に大きく梵字が刻まれているらしいのはわかるのですが、私には、ゴツゴツしているぐらいにしか、わかりませんでした。一応屋根のある場所にある保管されているとはいえ、このまま風化させてよいのだろうかと心配になりました。
書かれているのは、梵字のキリーク(阿弥陀)、サ(観音)、サク(勢至)その下に「十方三世仏・一切諸菩薩・八万諸聖教・皆是阿弥陀」と彫られていたそうです。
吉阿弥というお坊さんのすすめで、7人の孝子たちが、父親の極楽往生(成仏得道)を願って建てたものだということが、背面の彫りから解っているそうです。
私は、歴史にうとくて、跡部氏のことがわかりませんが、笠塔婆と同じく一段高くなっているところに、跡部氏の歴代の墓碑と古そうなお地蔵様と観音様(?こちらも、調べがつかず)が並んでいます。
今回の目当ての笠塔婆でしたが、古い石造物の風化と盗難について考えさせられることになりました。
写真1 :薬師堂の薬師如来とお地蔵様(?)
写真2 :宝篋印塔(1746年)
写真3 : 宮子の文永の笠塔婆 (1268年)
コメントを、ありがとうございます。
すぐ隣りの墓地に、750年以上前の古い親孝行の塔があるとは、このコープで買い物する人も、あんまり知らないんじゃないかと思います。私も知らなくて、もったいないことしました。もっと、いろいろ知りたいです。きっと、mitamapaさんのご近所にもありますよ。
宮子の笠塔婆、懐かしくてついコメントしてしまいました。かなり前(おそらく15年近く)ですが、コレに刻まれた偈(げ:仏様を讃える詩句)が見たくてお出掛けしました。
これは「十方の三世仏も、一切の諸菩薩も、多くの諸聖教も、皆これ阿弥陀一仏に帰す。」という阿弥陀如来様を讃える「古徳の偈」と云われるモノです。阿弥陀様を讃えることで親の極楽往生を願う、石に込められた孝子の強い意志が伝わります。この偈は、中世期の東毛地域でいくつか見つかっております。
主尊のキリーク、写真でもハッキリ読めます。それからこの石材は角閃石安山岩という火山岩(おそらく榛名山由来)で、いわゆる軽石の類なので柔らかく加工しやすい反面、風化しやすい特徴があります。鎌倉期のコレが地表でここまで残存しているのもかなり珍しいし、いかにも群馬らしい石造物で良いですね!
以前、山友のgさんがよく勉強されていると感心していましたが、私もコレに行き着くとは凄いなーと思いました。興奮して長文(というか講釈)になってしまいましたが、これからも超マイナージャンルの石造物レコを盛り上げて下さい(笑。今後ともどうぞよろしくお願いします。
はじめまして。
コメントをありがとうございます!
はじめましてなのですが、レコは度々読ませていただいております。勉強になります。ありがとうございます。
とてもお詳しいだけでなく、すごい岩を登ったりされるので、いつもひえ〜と思っておりました。コメントをいただき、うれしいです。ありがとうございます。
この笠塔婆に会いに来て下さっているとは!刻まれた文言は、偈というのですね!この偈をみたくてとは、やっぱり、只者ではありませんね。それも、15年も前とは!更に石材までわかってすごいです。
偈がわかるようになれば、その石造物に込められた祈りや願いなどが、もっとよくわかるようになりますね。私は年号もなかなか読み取れませんが、だんだん知っている語彙を増やして、ピンとくる確率を上げたいなぁと思います。覚えるより、忘れる方が早いので、先が思いやられますが・・・。
偈を教えていただいたので、文字が沢山刻まれていた写真2の宝篋印塔の基礎に刻まれている文字だけをちょっと調べてました。「如我昔所願 今者已満足経塔」とあり、「如我昔所願 今者已満足」が法華経の中の有名な文で、これも偈の一部分だとわかり、ネットで和訳?も知ることが出来ました。何かわかると嬉しいです。ありがとうございます。
この笠塔婆に行きついたのは、「伊勢崎歴史散歩」という本のおかげです。お山に行って石仏や石祠があるとテンションがあがるのですが、自分の地元にあるものを何にも知らないということに気づき、少しずつみていけたらと思っております。
これからも、montblanc55さんやgodohanさんのレコで勉強させていただきます。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する