四十九院塔のある長尾氏の墓誌からすると、初代の室、一乗院殿冷月貞珠禅定尼(駿河守那波顕宗の娘)の為にたてられたようです。この塔自体は寛永17年(1640年)にたてられたようですが、私には、読み取れず。ただ、四囲の壁面に塔婆が彫られていることは、よくわかりました。屋根には、顔がついていました。笑顔です。どんな意味があるのか?です。
境内には、伊勢崎市指定重要文化財の変型板碑(康永四年、1345年、南北朝時代の北朝年号)もありました。金剛界大日如来をあらわす「バン」の種子と蓮台が刻まれているということですが、そう言われるとそう見えてくるような気もしてきました💧
調べていませんが、板垣駿河守信形のお墓もありました。
この近所にある逆堀は、長尾館の外堀、下植木城址であることも知りました。伊勢崎の川はたいがい北から南、西から東に流れるものですが、この堀は南から北に流れる為、逆堀と呼ばれるそうです。逆さに流れるとはビックリ。逆堀も見に行かねばです。
地元にも知りたいことが、いっぱいです。
写真①四十九院塔
写真②変形板碑
写真③常清寺入り口に立つ寒念仏成就のお地蔵様(享保三年、1718年)
逆さに流れるとはすごい仕掛けなんですね、地形もメカニズムも見てみたいです…
歴史好きなumiminさん、素敵です〜
コメントを、ありがとうございます。
どうして逆に流れるのか、現地に行ったところでわかるのか、わからないのですが、見てきたらご報告しますね。
歴史は、苦手で、ちっとも頭に入ってこないし、知識として残らないので困ったものなのですよ〜(-_-;)
屋根の顔はおそらく“鬼面”と呼ばれるものではないかと思います。鬼と聞くと“悪”のイメージですが、鼠除けや厄払いをする“良”の鬼もいたようです。阿吽になっているものもあるようです。この辺りだと榛名神社に鬼面のある祠がいくつかあったと記憶しております。 中世板碑は守備範囲外ですが、この変形板碑は写真からすると青石ではないようで、逆に珍しい気もしますね。 お地蔵さんはやけにお目目パッチリに見えますね! それでは。 godohan
「鬼面」、これも初めて知りました。
いつもありがとうございます。祠を見る愉しみが増えました。おかげさまで、ネットで同じような顔の付いた石祠を沢山見ることが出来ました。反対側の顔は見落としました(涙)。これは、確認してこなくてはですね。反対側は打って変わって怖い顔かもしれないので、心の準備をしていきます。四十九院塔は、市内にあと3つはあるようなので、鬼面がついているといいなぁと思いました。
板碑の文化財の看板に、「板碑とは、主に緑泥片岩を用いて作った石製の塔婆ですが、これは安山岩製であり、いわゆる板石状でないところから変形板碑と言われています。」とありました。では、なんで板碑になるのかなぁとも思いますが、上にある二本線ゆえでしょうか。
お地蔵様は、確かに、写真だとお目々パッチリに見えますね(笑)眉と伏せた目の間が丁度白く変色?してるせいか、そう見えますが、本当は細くて切長です。言われてみると、居眠りしている人の目蓋に目を描いて起きている風にみせるのに似ていたので、笑えました。ありがとうございます。
新しいレコ、楽しみに拝見します!
godohanさんのおっしゃる通り、屋根の顔は鬼面だと思います。知り合いに鬼好きな方がいるので、寺社巡りをする時は鬼面や力神、獅噛も見落とさないように気を付けています。群馬県内でも鬼面石祠はかなりの数を確認しましたが、神社の社殿に付いているところは非常に少ないです。ところが佐久市付近には無い方が珍しいのではないかと思うくらい多いです。装飾や造りにも地域性があって面白いですよ。
脱線気味なコメントですいません😅
コメントを、ありがとうございます。
「力神」「獅噛」も、初めて知りました!(ほとんど、たいがい知らないですが😅)
ありがとうございます。こちらも、ネットで見てみました。以前見たものが、力神や獅噛だったのかも?と思い出すものがありました。今度からは、もっと注意深く見てみたいと思います。地域によってずいぶん違うのですね。またまた愉しみが増えました!ありがとうございます😊
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