4 山と高原地図の大文字北面
1971年6月作成と記述されている、昭文社の「山と高原地図 京都北山1」(調査執筆金久昌業)では、大文字エリアそのものが、収録されていない。東山では白川以北にしか登山コースはない。京都北山の開拓者の1人である金久氏からすれば、大文字山は京都北山の範囲に入っていなかったわけである。(ただし、第五尾根上には黒破線路が記されており、P330から2段の滝に向かって、道が下っている。また、新田川ぞいに黒実線路がひかれている。
この新田川沿いの道路は、国土地理院の5万分の1の地形図「京都東北部」(1969年編集、もとになっているのは1967年に改測された2万5000分の1の地形図)でも記載があり、幅員2.5〜5mが池の地蔵から新田川の白川合流点まで記載されている。なお、この5万分の1地形図には、銀閣寺口からの表登山道は記載されているが、それ以外には北面をとおる道路の記載はない。
ところが、2002年発行の『山と高原地図京都北山1』(調査執筆北山クラブ)では、大文字山も記載範囲に含まれるようになり、銀閣寺口表登山道が登山コースとして赤実線で記載されるようになる。
登山コースでない道路としては、1971年版にあった新田川沿いの広い道と第五尾根をとおる破線路のどちらもが消滅してしまっている。そのかわりに頂上の東からB沢をくだる道(破線路)と途中でその道からわかれて、比叡山ペット霊園方面にくだる道(破線路)が新たに記載されている。
2003年発行の『山と高原地図京都北山』では、収録されている大文字山周辺がさらに拡大し、東海道本線以北、山科地域まで含まれるようになった。おそらくこれは、京都東山一周トレイルが発足したことと関係あると思われる(一周トレイル東山コースは1993年に開設)。
しかし、記載されている登山コースは、銀閣寺口表登山道と東山トレイルおよびそれに接続する山科側、南禅寺・鹿ヶ谷・法然院側の登山道のみで、北面はもとより東面の如意が岳から長等山への道、南面の山科方面の登山道については記載がない。また、2002年に記載されていた北面B沢沿いの破線路はうっすらとわかるかたちで残されている。ただし、山頂付近では道は消失している。この状況は、2018年と2019年の京都北山でも変化はない。
つまりもっともポピュラーな登山地図である「山と高原地図」では、大文字山北面は登山の対象地域であると認知されていないわけである。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する