今年(2016年)の5月に、花脊峠から芹生峠を経由して柳谷峠まで歩き、細ヶ谷を下って滝谷峠に登り返したことがあった。柳谷峠とその周辺にはまったく笹藪がなくなっていた。もちろん、柳谷峠だけにかぎらず、花脊峠でバスを降りて以降、北山の稜線でクマザサの群れをみることはほとんどなかった。
2003年10月に魚谷山から柳谷峠を通過した際には、柳谷峠の周辺にはクマザサが密生していて(もっとも今から考えると、そのクマザサはすでに枯れていたようだが)、地面がほとんど見えなかったが、13年たった2016年には、柳谷峠周辺は、笹藪どころか、下草のほとんどないきわめて見通しのよい空間になっていた。
京都北山には高校生時代に何度か通った。今から50年前のことである。その頃の北山は、道を一歩外れると、クマザサとの格闘を余儀なくされた。1968年にはじめて中村乗越を越えて八丁平に入った時、一面のクマザサに遮られて、引き返したことがあった。皆子山に登ったときも、皆子谷の詰めはクマザサの藪漕ぎだった記憶がある。北山ではないが、比良も同様で、貫井谷の詰めではクマザサの海に溺れかかった。
この記憶があるので、クマザサのほとんどなくなった最近の北山に行くと、どうしても違和感を感じざるをえない。こんなに簡単に歩けて、はたしていいのだろうかという不安感。もちろん、その分ルート選択の自由度が高くなったという恩恵をこうむっているのではあるが。
なぜ、いつからこのような状態になったのか。次のサイトによると、どうやらこういうことらしい。
http://www.geoid.gr.jp/asyu/miyama/bamboo.html
2001年〜2003にかけて、京都〜福井にかけて笹が急激に減少した。
正確な年は確認できないのだが、2001年ごろ笹が一斉開花し、枯れて新株に更新される時期を迎えたらしい。 同時にこのころ、京都北山の鹿の増加が激しくなりつつあった。成長した笹は硬く、鹿は好んでは食べないが、新芽や笹のタケノコは好物なので、 笹枯れのあと、新しく出てきた若芽が鹿に食べられ、京都〜福井の多くのところで笹が復活しない状況が継続しているとのことである。
今から15年ほど前に笹の一斉開花で笹枯れが生じ、世代交代を迎えた。しかし、鹿が新芽を食べ尽くしたために、北山から笹が消滅したというわけである。あの広い北山の笹の新芽を食べ尽くすというのだから、鹿の食欲はおそるべきものがある。最近は、京都市中の高野川の河原にも山から下りてきた鹿が出没しているありさまである。
クマザサの消滅で、京都北山の植生と景観は大きく変わってしまった。この変化が次に何をもたらすのか。よくわからないが、歩きやすくなったといって喜んでばかりはいられないだろう。
nagaikazuさん、はじめまして(フォローありがとうございます)。
私が北山を良く訪れるようにになったのは去年からなので、私にとっては笹薮のない風景が当たり前のようになってしまっています。でも、15年以上前に魚谷山と桟敷ヶ岳(道が分からず撤退)に行った時はあちこち笹薮だらけだったのが記憶の片隅にあります。尾根が歩きやすくなったのはよいですが、林床で見かける植物といえば鹿の嫌うイワヒメワラビ、アセビ等ばかりになってしまっているのは寂しくもあります。
山村の衰退による狩猟圧の低下がそうなった一因だと聞きます。今日歩いてきた鈴鹿の霊仙山も山腹の植生は似たような感じでした。同じ問題を抱えている山は他にもたくさんありそうです。
field8usさん
コメントありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。
まだお若いのに、精力的に北山や比良さらに鈴鹿の山を歩いておられるようで、健脚ぶり、うらやましく思います。
私のような老人からすると、下草がほとんどない、見通しのいい尾根筋は歩きやすくて有り難いのですが、やはり違和感が残ります。field8usさんもよくご存知の大見尾根の滝谷山なども、昔は背の高い笹藪でおおわれていて、林道から上がるのに結構苦労したものです。
でも、北山の笹ガレはそれほど昔のことではなく、2000年代の初めの頃ですので、2002〜2003年頃には、まだ昔の様相が残っていたように思われます。北山の隣の比良ですが、釣瓶岳の北にあるイクワタ峠は、2004年に行ったときには、背の高い笹竹が密生していて、見通しのきかない場所でしたが、最近のヤマレコの記録に掲載されている写真をみると、すごく見通しがよくなっています。
下草がなくなると、森林の植生にどのような影響が及ぶのか、心配されます。
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