5.ヤマレコの記録 その4
2013年には大文字山全体の記録数226、北面のそれが8件で、全体の3.5%をしめるにすぎない。記録を残した人は3人で、そのうちの1人であるfu-tyan氏が半分以上の5件を残している。他の2人はdrpepper氏とtaku102氏である。
後者の2人の山行に共通しているのは、多人数のパーティの一員として北面を歩いている点である。1月6日のdrpepper氏の記録では、銀閣寺登山口から第一尾根を登って、A沢に入って中尾の滝まで行き、再び第一尾根に戻り、第二尾根をトラバースして幻の滝に行き、A沢の上東股を遡って出逢坂に出て頂上にいたっている。drpepper氏にとり、北面にはいるのは今回がはじめてのようであり、マイナーなルートという認識である。この山行はKPCという団体が主催するハイキングの会に参加したものであり、30人ものパーティで参加している。
同様にtaku102氏の同年4月14日の山行も、とある山岳会主催の山行に参加するかたちとなっている(パーティメンバーは20人)。この山行のルートは基本的には銀閣寺登山口から入って蹴上に下るノーマル・ルートだが、一部をバリエーション・ルートに設定(第一尾根を中尾城址まで登り、眼鏡坂降り口から大文字川に降りて表登山道に入る)しているところが特徴的といえる。
2013年には、ハイキングクラブや山岳会の主催で多人数のパーティが北面(の一部だが)に入るという現象がみられるようになった。このことは何を意味しているのだろうか。この稿の「その3」で「京都山の会」の例会の記録で大文字北面が出てくるのが2014年だと指摘したが、そのこともあわせて考えると、この頃になると、山岳会レベルでも大文字北面への関心が生まれ、それを登山の対象とみなすようになったのだと言えそうである。しかも、山岳会やハイキングクラブの仲間内だけの山行にとどまらず、会員外にもよびかけて多人数の参加する山行をおこなっている。おそらく主催者側としては、「いまさら大文字山だけでは人は集まらないが、大文字の裏には知る人ぞ知るおもしろいところがあると宣伝すれば人が集まるのではないか。危険な箇所もないから、しっかりしたリーダがいれば、多人数で入っても問題は生じない」といった考えがあったのではないかと、推測される。
言いかえれば、登山対象としての北面の魅力への認知が進んだこと、そして「北面の大衆化」に向けて進み出したことを、意味しているのだと思われる。
2011年に比較して、2012、2013年に北面山行の比率が少なくなっているのは、大文字山の全体の登録数が増加し(このことはヤマレコそのものの「大衆化」を意味している)、実態をより反映するようになったことが主たる原因であるが、当時のヤマレコユーザー中、大文字山のエキスパートともいうべきfu-tyan氏の北面山行が減少したことも一因だと考えられる。fu-tyan氏の大文字登山そのものは回数が減ったわけではなく、むしろ増えているくらいなのだが、北面以外での活動が多いため、相対的に北面の比率が減ったのであった。つまり、fu-tyan氏個人にとっては、北面の探索に一段落が着いたのがこの頃であったのだと思われる。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する