5.ヤマレコの記録 3
2012年になって大文字登山の記録は151件となり、ようやく100件をこえた。すでに述べたことだが、記録数が150件をこえたこの年以降は、ヤマレコにおける山行記録の分布状態は、大文字に登る登山者の動向を反映するものとして、統計的に有意なものとみなすことができそうである。151件のうち、北面に足を踏み入れたものは5件である(3.3%)。そのうち3件がfu-tyan氏のものであり、それ以外の方の記録は2件にとどまる。この数字からみても、2012年の時点では、大文字山そのもは人気のある登山対象であったとしても、その北面区域は、一般の登山者の関心をひかないマイナーな山域にとどまっていたことがわかるであろう。
北面山域が、一部の好事家を除けば、登山者の興味をあまりひかない存在であったことを別のかたちで示してくれる記録を紹介しておこう。2012年10月21日の山行の記録である。記録者は、現在はヤマレコ会員をやめている無名氏である。無名氏は、銀閣寺登山口から第一尾根に登り、途中で一度A沢に下った後、第一尾根に登り返し、そのあと第二尾根をトラバースして、出逢坂経由で頂上三角点に出た後、B沢東股の源頭を下降している。途中で枝沢にはいって第四尾根に登りかえし、尾根沿いに子熊山(P328)に至り、そこから支尾根をたどってB沢東股に再びくだり、B沢を白川合流点まで歩いて、いったん山中越えの車道に入り、標高点175m附近から第五尾根に取り付き、途中でまたB沢東股にくだり、子熊山に登り返している。子熊山から玄孫熊山まで進んだ後すこし戻り、今度はB沢西股にくだり、支尾根から第三尾根にとりつき、鹿山に到達している。そのあと第三尾根を南下し、出逢坂を経由して山頂西部のコルに出ている。つまり、無名氏は北面とくにその東側の主要部分を歩き尽くしているのである。
記録から上記のルートをとっていることがわかるのだが、記録そのものに登場する地名は、中尾城址、熊山、子熊山のみであって、上記の説明で私が使用した地名は、この記録を書いた当時の無名氏は知らなかったと思われる。無名氏自身も、北面のルートを「こんなあやしい道」「こんなマイナールート」と表現しており、この時点で北面山域がまだ登山者から十分認知されていない場所であったことがわかる。しかし、それでも無名氏は3人の登山者に出会っており(いずれもソロ登山者、1人は女性)、登山者がいないわけではなかったこともわかる。
2012年のfu-tyan氏以外の2件のもう1件の記録は11月16日の山行で記録者はkenkou氏である。山頂から第四尾根をたどって熊山を往復している。「熊山」は地名として認知されており、山名表示のプレートの写真もおさめられている。
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