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慶応義塾図書館所蔵の本(昭和4年発刊)に富士山廃道の話が載っていました。
富士山の地質と水理
著者: kanbara shinichiro
http://books.google.md/books?id=CBgXdY_4DnUC&pg=PP25&dq=%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6&hl=ja&sa=X&ei=UXr1T_6tO6zQmAW19riIBQ&ved=0CFQQ6AEwCDgy#v=onepage&q=%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6&f=false
この本のP20からです。
富士山には七つ登山道があって、大宮口(表口)、須山口(南口)、御殿場口(東表口)、須走口(東口)、吉田口(北口)、精進口(西北口)の六つと上井出村から登る西口である
簡単に書くとこのようにかかれています。
上井出ということで上井出口登山道かなと思ったのですが、続けてこのような記述があります。
>西口は富士群上井出村人穴より登るものなれども地僻陬(へきすう)にして此の道を取るもの殆ど無し
上井出口登山道は人穴浅間神社から登りません。
それにこの本が発刊されたのは昭和4年、昭和初期に開通したと言われる上井出口は存在していないと考えられるし、もし仮に開通していたとしても既に寂れていたとは考えられません。
・昭和4年の時点では人穴口登山道が残っていた。
・地形的に厳しく当時から寂れていた。
(他の登山道と違い山小屋跡などは期待できない)
以上がいえます。
時代的に国土地理院が最初期に発行した5万分の1地図に載っているかもしれません。
こちらをご覧ください。
<投稿>国土地理院の歴史と点の記
http://www.gsi.go.jp/kohokocho/kohokocho40109.html
>1890(明治23)年から5万分の1地形図の全国整備に着手し、1924(大正13)年にほぼ完成させています。
と、あります。
これが日本で最初の精密な測地になると思いますが、書籍の発刊前には完成していたこととなります。
この最初期の地図を手に入れることができれば、そこに失われた登山道が載っているかもしれません。
もしこれに載っていなかったら、
・80年前に既に寂れていた道で、当然踏み跡は残っていない。
・山小屋跡など史跡は存在しない可能性が高い。
・江戸時代のふにゃっとした地図しかない。
ということで、復興は不可能かと思われます。
90年前の地図は国土地理院へ申し込めば今でも有償で手に入ります。
申請関係のページ→ http://www.gsi.go.jp/MAP/HISTORY/koufu.html
1/25000ですと昭和3年測量のもの、1/50000なら明治までさかのぼれます。
地図情報のページ→ http://www.gsi.go.jp/MAP/HISTORY/5-25-index5-25.html
あわせて十数枚欲しいのですが、1枚500円として・・・うわっ高いわ。
【上井出口登山道】
こちらは昭和初期に上井出青年団が開削したといわれる西から上るルート。
精進湖と同じく信仰の道ではないので起点が浅間神社ではありません。
(カケスバタ口も身延線にあわせてつくられたので信仰の道ではないけれど、こちらは富士宮浅間大社が起点になるというかたまたまそこにあります。)
起点を決定しづらいのですがおそらく上井出小学校近辺になると思います。
しかしそのあたりは国道139号線が通る関係で昔の道とは違っています。
起点に近い部分で確かにいえる場所は大原学園富士宮研修センターのすぐ北側の道です。
ここからザ・ナショナルCCの北側の沢(恐らく竹沢という名前です)の右岸か左岸かを通過して、(左岸をきた場合は右岸へ渡り)大沢林道あたりまでは今も道があるようです。
この道は1/25000地図にはありませんが、グーグルマップには載っています。
ここから先は竹沢から大沢よりになり、北沢林道のすぐ下の1450mあたりで大沢を渡ります。
ここから先は大沢右岸を登って大沢休憩所、さらに上まで登っていく形です。
御中道レポのページを見る限り、大沢の左右岸は下のほうまで踏み跡があるようです。
1/50000だとちょっと辛いものがありますが、同じ時代の1/25000を手に入れれば復興できるかもしれません。
カケスバタ口の探索もはかどること間違いなしですね。
スカイライン登山区間ができたのが昭和45年でその年に改測されています。
でも地図に5000円以上の出費は辛い!
昔の地図をみて気付いたことがあります。
今と昔の地図は北の方角が違うということです。
今の地図で北は地理的な方角です。
昔の地図では磁北線が北になっています。
これは航空写真から作るか歩いて測量するかの違いからくるのでしょう。
その差は8度程度ですが少し印象が違ってきて、昔の地図のスカイラン周遊区間が今のものと違うように勘違いしてしまいました。
スカイライン周遊区間に関しては当時から存在していたようです。
画像は古い地図と昭文社の地図を重ねたもの。
どちらも1/50000でしたのでぴったりあいます。
情報、ありがとうございます。
私も一度、1/25000の地図の興味のあるところを取り寄せてみたいと思います。
こちらは
明治の1/50000を富士山周辺で4区画
昭和初期の1/25000を富士山周辺で6区画
昭和注記の1/25000を富士山周辺で5区画
富士山とは関係なく大正時代の愛鷹山の地図も買う予定です。
富士山に関してはかなり網羅できるのではないかと思います。
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