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#朝ラン #早朝ラン #ランニング
オーディブルは神林長平『グッドラック 戦闘妖精・雪風』の続き。
ジャムによるコピー人間と疑わしき人物を集めた「再教育プログラム」は、ジャムの破壊工作部隊そのものだった。ブッカー大佐はそれと知りつつ、ジャムの力を利用してみずからのしあがる(どこに?)ために、ジャムと手を組んだのだった。特殊戦はいかにそれに対抗するか。フォス大尉によるジャムのプロファクタリングで、事前にジャムによる内部工作→FAF壊滅のための大規模攻撃というシナリオを察知した特殊戦は、いよいよFAFから離脱する決意を固めた。FAF情報軍統括長官のリンネベルグ少将(ロンバート大佐の上官)は、ロンバート大佐がジャムとの接点となり、FAFを掌握することは織り込み済みで、特殊戦がかれを攻撃するなら、情報軍を動員してそれを阻止するといったが、特殊戦の現実認識はそのはるか先を行っていた。
ジャムの存在についてのフォス大尉とブッカー少佐の対話。
「どこにいるのか、という深井大尉の問いに、ジャムは答えていない」「どこそこ、という概念では説明できない、というジャムの言葉をそのまま信じるとすれば、ジャムには場所や空間に関する概念がない、あるいは人間のそれとは異なっている、ということでしょう。〈通路〉や不可知戦域というような空間を自在に生み出せる存在なら、ありそうなことだわ」
「わたしが零の立場でも、同じことを訊いたと思う。で、わたしがそう訊かれたなら、自分はここにいる、と答えるよ。何万語を費やして説明するより正確かつ簡単だ。だいたい、問いの意味内容にかかわらず、面と向かっておまえはどこにいると訊かれれば、ここにいるじゃないか、と答えるのが普通だ。しかしジャムは、そうは言っていない。〈ここにいる〉では相手にわからないとジャムは判断したのだろう」
「ジャムには、〈われは、われである〉としか言いようがなかった、ということですか?」
「わたしは、そう思う。ジャムのその答えは、〈われはここにいある〉という答えとは違う。ジャムはたしかに存在するが、どこにもいない、あるいはどこにでもいる、ようするに確定できなくて、それはまさしく、それを説明する言葉がない、ということなのだろう」(中略)「ジャムは、一種、仮想的な存在なのかもしれない。その実体を人間には捉えることができないとすれば、そう言える。その実体は、人間には絶対に捉えられない、それを説明する概念自体が人間にはない、ということだ。だからジャムには答えようがないんだ。おそらくジャムにしても、人間側の本質がどこにあるのかということを、そのジャムの身体というか五感というか、ジャムの存在形態においては、ダイレクトには捉えられないのだろう。ジャムにしても人間というのは仮想的な存在なのだろうと、わたしは思う」
「わたしが言った、ジャムなど仮想だ、という意味は、ジャムは人間が生み出した幻想にすぎない、ということです。でも、ここに現れたジャムは、そうではないでしょう。信じようと信じまいと存在するのは間違いない。それを仮想的な存在、というのは、どうかしら」
「信じようと信じまいと存在するのは間違いない、ということ、それこそが幻想かもしれないんだよ、エディス」(中略)「信じようと信じまいと存在するものはなにか、という問いは、ようするに絶対的な存在とはなにか、そのようなものと自己が一体化するにはどうすればいいか、という哲学の問題だよ。東洋哲学はべつにして、われわれになじみの哲学というのは、絶対的な存在というものはある、と暗黙のうちに了承して、そういう単純な問題と格闘してきた積み重ねの歴史だ」
「ジャムは本当は存在しない、とでも?」
「ある意味では、その可能性もある。言葉ではなんとでも言える、ということなんだ。絶対存在とはなにか、というような問いは、単なる言葉上の遊びにすぎない、という考え方もあった。ようするに、人間にはそのようなことを考える能力があるからそのような問いを考えついただけで、問いそのものに意味がない、答えなどもとともないのだ、という考え方だ。そこから、さらに新しい考え方も出てきた」「絶対的な存在は、それは神とでも、主観と客観の一致するところ、とでも言い方はいろいろだが、とにかくそういうものは、あってもなくてもかまわない、どちらでも人間の存り方には影響しない、という考え方だ。これを敷衍して、人間には考える能力があるというのは間違いない真理だとして認めるとしても、そこから先のことは個人的な問題にすぎない、という刹那的な思想も出てきた」
「信じる者は信じればよく、信じない者は信じなれければいい、それでなにも問題ないということですか」
(中略)「われわれに、ジャムはたしかにいると確信させる、その確信はどこから生じているのか、ジャムとはなにか、その正体をつかむには、その本質を問うという、哲学的な問題を避けては通れないのではないかと、わたしが言いたいのはそういうことだ。ジャムの正体は、人間がいま持つ概念では表現のしようがない、というのが事実だとすれば、まったく新しい哲学的概念を模索するしかない。ジャムの側では、人間に対するそうした作業をやってきたのだ。人間とはなにか、ということだ。それはむろん、われわれが考えるものとは異なるだろう。だがジャムは、人間との共通点を探っているのは間違いない。だから深井大尉に接触してきたんだ」
「でも、いまのわたしたちには哲学をしている暇なんかない。哲学問題というのは、検証のしようがないもの」
「それは違うよ。哲学というのは、ようするに、生きている意味を問い、幸福に生きるにはどうすればいいのかを考える学問だ。幸福というのは、時代や個人によって異なる。だから哲学問題には普遍的な答えというのはないんだ。しかし、検証はできる。自分の哲学で納得して死ねるかどうかで、それがわかるんだ。哲学と言えば大げさだが、人生観だよ。ジャムに対抗するには、これまでの人生観を変えないといけないだろう、ということだ。深井大尉は、それをやってきたんだ。零は何度も、繰り返し、そういうことを言ってきた。彼の担当医のきみにはわかるだろう、エディス。零の人生観を変えたのはジャムではなくて雪風だが−−」
「少佐、あなたはまるで、ジャムとは神のような存在だ、それが実在するかどうかを考えなくてはいけない、そう言っているようですが?」
「まさに、そういうことになるだろうな」
「驚いた。あなたは無神論者だとばかり思っていました。特殊戦の人間は、みなそうだと」
「神など、いようといまいと、生きられる。わたしはそう思っている。ジャムについても、同じだ」
「……なんですって?」
「きみがそう思わないのなら、きみは、ジャムを神に頂くジャム教という宗教を信仰する教徒だ、と言えるだろう」(中略)「ジャムの正体云々については、きみが言うとおり、それが正しいかどうか即座には検証できないだろうと思う。もし将来の人間が、われわれがやったことはまったくのムダで、錯誤をおかしていたと判断するにしても、いまのわれわれには、いまできることをやるしかない。それを歴史がどう判断するかというのは、われわれには関係ない。そのときはどのみち、こちらは生きていないよ。寿命を全うしているにせよ、ウランで死んでいるにせよだ。そんな先のことは知ったことか。われわれは、いまできる、最善と信じることをやるだけだ。どの時代のどの人間も、考える頭を持った者はそのように生き、死んでいったんだ」
「……ジャムは、神のような存在、か」
「そういう可能性もある、と言っているだけだ。が、もしそうだとしても」「ジャムにとっての人間も、同様だろう。お互い様だ。ひるむようなことではない」
それを受けての、特殊戦メンバーの会話。
「……しかし、ジャムがどこに存在するのか確定できないというのは、まるで量子論だな。ジャムは量子的な存在なのかな」
「不確定性原理というやつね」「人間の観測手段そのものが物の位置情報をあいまいにするので、同時に二つの量は測定できない、ということなんでしょう?」
「それは間違った解釈だよ」「同時に観測できない量というのは、その属性が互いに共役関係にある場合のことだ。たとえば位置とエネルギーは共役の属性を持たないので、いくらでも精密に同時に知ることが可能だ。これが位置と速度という互いに共役な属性を含む量となると同時には観測できないが−−」
「どうして」
「一言では説明できない。量子論における数学的な記述内容をわれわれの常識的な感覚でたとえるのは難しい。数式自体は頑張ればだれにでも理解できるが、問題になるのは、その解釈だよ。なかには数式などそっちのけで適当に解釈する者も出てくる。きみの誤解もそこから派生したものだろう。精度の悪い観測手段を使えばその結果が不正確になるのは当然で、それを不確定性と言っているのではないんだ。量子対象の不確定性というのはそんな単純なものではない。ジャムがもし量子対象的な不確定性を持つとすれば、それは観測するときだけ存在するのかもしれない、観測前の状態のどこにも存在しないことだって考えられると、桂城少尉の言いたいのはそういうことだろう。観測されないジャムは本質的には存在していないのだという考え方は、量子論の解釈のひとつの例だ。量子対象は観測しようとしまいと実は確定した存在なのだ、という解釈もある。さまざまな解釈があるが、いずれにせよ、どの解釈が正しいのかを確認する実験手段をいまのところ人間は持っていない。量子論のわけのわからなさは、量子対象の不確定性を不確定なままの状態で確認する手段を人間が持っていないというところから生じている、と言ってもいい」
「わけがわからない、ということはよくわかった」「神にたとえられるよりもわかった気にはっていられるけれど、実際はなにもわからないってことじゃないの」
「ジャムがそうした量子的にあいまいな存在だとしても」「とにかく観測や記録は可能なんだから、どこにどのくらいの確率で出現するのかということは計算可能だろう。共役な属性というのは一方を観測すれば他方は計算で導き出せるものだろうしー」
(中略)
「おれたちには、ジャムに精密に照準を合わせることが原理的にできない、ということだ」「捉えたつぎの瞬間には、ジャムはどこへ行くのか確定できない、ということさ」
(中略)
「ジャムのわからなさを量子対象の不確定性になぞらえるのは勝手だが」「いまのジャムのわからなさがそのような量子的な不確定性に起因するものなのかどうかということもわかっていない以上、ここで量子論を持ち出す意味はない。混乱するだけだ。ジャムに対するわけのわからなさを、いまおれたち自身で生み増やすことはない。まずは、なにがわかっていないのかということを、はっきりさせるべきだろう」
「そのとおりだ」「いま現在なにが問題になっているのかと言えば、ジャムとのコミュニケーション不全、ということだ。それが疑心暗鬼を生じさせている元凶だ。この戦いはそこから生じていると言っていい。それが解決されるとき、おのずからジャムの正体は明らかになるだろう。」
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