![]() |
#朝ラン #早朝ラン #ランニング
オーディブルは藤井一至『土と生命の46億年史』の続き。
第2章「生命の誕生と粘土」より。
〈その後の多くの実験で分かった重要なことは、年度(スメクタイト)を加えなければ、アミノ酸が効率よく生成しないということだ。粘土自体は反応を促進する触媒にすぎないので、反応の主役ではない。しかし、粘土はアンモニアやアミノ酸、さらにはお遺伝子を構成するリン酸など生命の材料を一堂に集め、反応を促進する。エネルギー源がカミナリであったにせよ、熱水噴出孔であったにせよ、場所が地球の内であったにせよ、外にあったにせよ、粘土がなければ生命誕生はなかった可能性があるのだ。〉
〈自己複製においてカギを握るのは、いかに情報を伝達できるようになったのか、ということだ。現在の遺伝子の再生メカニズムは精巧だが、遺伝子を構成する単位であるヌクレオチド(DNA・RNAの構成単位)が生命誕生の瞬間から存在したとは考えにくい。生命誕生の瞬間にすでに存在していたもっと単純な物質が、今日の遺伝子の昨日(アミノ酸の並び方の伝達)の原始的な役割を果たしていたのではないか。そう考えると、自然界で遺伝子以外にもう一つ、情報伝達・再生能力を有する物質がある。それが粘土鉱物だ。
好物の結晶構造には規則性、秩序の美がある。条件さえ整えば、同じ鉱物が再生する。純粋物質や造岩鉱物では個性と電気に乏しく、情報を運べない。しかし、粘土鉱物には結晶の成長過程でケイ素とアルミニウムの配列のズレ(同型置換)によって生じたマイナス電気がある。粘土の静電気の量や分布によって、異なるアミノ酸を選択的に吸着する。これは、ケイ素を用いた半導体のように情報を有しているとみることができる。層状の粘土は分裂しても、サンドイッチの切断面のようにもう半分のサンドイッチの情報を残しており、切断面から粘土の結晶成長を再開し、複製できる。〉
〈スメクタイトという粘土一つをとっても、結晶構造内のマイナス電気の数や分布によって、アミノ酸のくっつく順序もさまざまだ。アミノ酸は知られているだけで500種類以上もあり、でたらめなアミノ酸の配列になったことも多かっただろうが、急ぐ必要はない。数億年、粘土の数だけ試行錯誤できる、粘土を鋳型にして吸着したアミノ酸の配列が自己複製できるようになれば、遺伝情報の伝達が可能になる。アミノ酸には光学異性体(L型、D型)があるにもかかわらず、生物の体を構成するアミノ酸がL型に偏っている問題も、粘土の電気との相性、吸着しやすさの違いで説明できる可能性がある。
粘土鋳型説を補強するように、スメクタイトを触媒として加えると、RNAの部品を50個の鎖に連結することに成功した実験がある。粘土の表面でアミノ酸が濃縮(重合)するとタンパク質ができる。カミナリで同時に生成した糖類、粘土に吸着しやすいリン酸をあわせると、生命の身体に不可欠な遺伝子、エネルギー代謝物質(アデノシン三リン酸=ATP)、細胞膜の基本材料が粘土というプラットフォームで出会うことになる。〉
〈現状ではあくまで仮説の一つで、想像の域を出ていない。しかし、自らを再生し情報を伝達できる物質は、自然界では粘土と遺伝子しか見つかっていない。さらに、土と生命は自己を複製しつつも時に変異(進化)し、圧倒的な多様性によって現代科学による完全解明を拒むところまで似ている。生命誕生時の粘土はおそらく海底の堆積物であり、厳密には土ではない。それでも、粘土と生命が粘っこくつながっている点は陸上の土にも共通している。神話の創造主が仮にもう一度最初から生命進化を再現しようとするなら、まずは粘土から用意するはずだ。「土は生命の源」という言葉は土の生産力を讃える言葉だが、生物進化の点からも裏付けられている。〉
〈微生物は自分の身体を守るために多糖類を出して粘土や砂の表面に定着する。微生物の細胞を包み込む多糖類のねっとりした〝お風呂〟をバイオフィルムという。歯の歯垢や台所のぬめりは身近なバイオフィルムの例だ。ここで多様な微生物が共同生活をしている。
バイオフィルムに悪いイメージを与えたかもしれないが、私たちの消化を助ける腸内細菌もまた腸壁に付着したバイオフィルムだ。ヒトの構成細胞37兆個に対して腸内細菌は1グラムに1000種、1000兆個もいる。どれだけ孤独を感じたとしても、私たちは独りぼっちではなく、1001種めの生物として人体というシェアハウスで共同生活をしている。細菌は腸内に寄生しているだけかもしれないが、消化を助け、病原菌から体を守る働きもあるため、私たちは共生と呼んでいる。
歯も腸も台所もなかった太古の地球では、バイオフィルムの付着できた場所は粘土や砂の表面しかない。人間が家族や学校といった集団生活で成長するように、バイオフィルムの中での共同生活によって、生物たちは良くも悪くも影響を与えあい、変化していく。病気の集団感染として顕在化するように、共同生活の中では生物どうしの遺伝子の交換やウイルス感染も起きやすい。ウイルスは短い遺伝子1本がタンパク質の殻や膜に包まれただけの単純な構造を持ち、単独では増殖できない微粒子だが、感染相手に侵入できれば細胞を乗っとって増殖したり、宿主の遺伝子の中に残ったりすることもある。宿主の微生物が死んだ時には遺伝子の断片が分散し、他の微生物に取り込まれることもある(水平伝播)。
無数の微生物の交雑の末に、27億年前、光合成のできる細菌が登場する。光をエネルギー源として水分子から電子を奪い、その副産物として酸素を生みだす生物だ。その子孫がシアノバクテリア(ラン藻)である。
シアノバクテリアとは、学校のグラウンドで小学生に「なぜこんなところにワカメが?」と思われてきたイシクラゲのなかまであり、かき氷アイス(ガリガリ君)ソーダ味の青色色素にはシアノバクテリア(スピルリナ)のタンパク質が使われている。つい最近まで植物だと誤解されてきたが、実は細菌である。シアノバクテリアの死骸と粘土の堆積物は、ストロマトライトと呼ばれる堆積物として今に残る。酸素と有機物を生産する生物の誕生の舞台もやはり海底の粘土、砂の表面だった。〉
〈海でカンブリア大爆発と呼ばれる生命の大進化を遂げる一方で、陸地は香料とした岩石砂漠であり続けた。なぜなのだろうか?
理由の一つは酸素だ。光合成生物が誕生してもなお、地球には長らく大気中に酸素が充分になかった。現在は大気組成の21%を占める酸素だが、地球史46億年の中で、つい最近の7億年前まで現在の数%しかなかったという。
その理由は、やはり田んぼの土が教えてくれる。
毎年、湛水(水を張ること)と落水(水を抜くこと)を繰り返す田んぼの土には黒色やオレンジ色の斑点が見える。黒色がマンガンの酸化物、オレンジ色が鉄サビだ。田んぼの土から酸素がなくなると、まずはマンガンが、次に鉄が溶けだす。これは太古の海水の状態に似ている。溶けた鉄(2価鉄イオン)は田んぼの土を青灰色に染め、酸素に出会うとオレンジ色の鉄サビになる。
20億年前の海では、田んぼ一昨期よりも還元的な環境が数十億倍も長く続いた。シアノバクテリアが少しずつ酸素を作っていたはずだが、地球誕生からずっと還元的だった海水中には大量の鉄やマンガンが溶けこんでいた。
これらを酸化するためには、現在の大気中に存在する酸素の30倍もの酸素が必要になる。オーストラリアやカナダに残る縞状鉄鉱床(鉄鉱石、製鉄の原材料)は、その動かぬ証拠だ。
鉄とマンガンの酸化が終わり、ようやく大気中に酸素が満たされていく。46億歳をとって地球を擬人化する例えを懲りずに持ち出すと、28歳から38歳まで(地質学者は「退屈な10億年」と呼ぶ)、地球お母さんは自らの債務処理(海水中の鉄イオンの酸化)に追われていたことになる。酸素がないと、そこから生まれるオゾン層もない。有害な紫外線を浴びて死んでしまうため、陸地は危険な場所だった。これが土の誕生、生物の上陸が遅れた理由である。〉
〈海水と大気に酸素が行き届いたことで地球環境はガラリと変わった。まずは粘土が増える。今では鉄鉱石という冷たい岩石の姿になってしまっているが、20億年前の海中では酸素と反応した鉄イオンが直径5ナノメートルの酸化鉄好物(鉄サビ。主にフェリハイドライト)として沈殿していた。これは粘土の一つだ。
酸素に乏しかった地球で存在した旧来の粘土はケイ素とアルミニウムがスクラムを組んだカオリナイト、スメクタイト、バーミキュライトが主体だが、〝新人〟の鉄サビ粘土は驚くほど能力が高かった。サイズが圧倒的に小さいために、表面積が広く、吸着力が強い。旧来型の粘土がマイナス電気を持ち(一定荷電という)、プラスの電気を帯びたカリウムやカルシウムなどを専ら吸着するのに対して、鉄サビ粘土は外部環境が酸性かアルカリ性かでプラスとマイナス両方の電気を持つことができる(変異荷電という)。これにより、マイナス電気を持つ有機物を強く引き付けることができる。これは粘土の革命だった。
20億年前の干潟のような場所では、鉄サビ粘土に生物遺体や排泄物などの有機物が吸着する。有機物の約半分は炭素だ。有機物が堆積物に閉じ込められるということは、大気中の二酸化炭素が減ることを意味する。現在よりも高濃度だった二酸化炭素濃度は、どんどん低下した。地球の歴史を俯瞰すると、大気中の二酸化炭素濃度は下がることのほうが多い。現代文明は石油、石炭などの化石燃料を燃焼することで二酸化炭素濃度を増加に転じさせているが、地球史では例外的な現象だ。
光合成によって酸素は海水に満ちあふれ、やがて大気中に行きわたるようになる。鉄に続き、マンガンも酸化された。高濃度の鉄やマンガンは生命に害を与えるが、低濃度であれば植物に必須な栄養となる。特に植物はマンガンを触媒(マンガンクラスター)とすることで光合成を活発化させ、さらに大気中の二酸化炭素濃度を低下させる。光合成生物の登場が新たな粘土鉱物を生みだし、海と大気の環境を一変させたのだ。
酸素の増加は、大きな波及効果をもたらした。窒素ガスを栄養として利用できるようになったのだ。本来、光合成の工場である葉緑体は窒素を必要とするが、植物は大気中の窒素ガスを吸収することができない。窒素ガスの結合(三重結合)を壊してアンモニアに変える窒素固定には、特殊な酵素が必要となる。例えば、マメ科の「四つ葉のクローバー」で知られるシロツメクサ、レンゲソウ(ゲンゲ)が栄養分の少ない公園の砂利にも育つことができるのは、根に共生する窒素固定細菌(根粒菌)の持つニトロゲナーゼという酵素のおかげだ。
窒素を固定する酵素(ニトロゲナーゼ)の中心にはモリブデン(レアメタルの一つ)という遷移金属が必要となる。ところが、還元的な海水中では硫酸を還元する細菌・古細菌が間違えて硫酸と構造がそっくりなモリブデン酸を消費してしまう。太古の海ではモリブデン欠乏がシアノバクテリアによる窒素固定を制限してきた。しかし、海水が酸素に満ちたことでモリブデンイオンが増加すると、酵素を多く作れるようになり、窒素固定によってアンモニアを量産できるようになる。光合成生物は窒素を吸収することで葉緑体を多く生産でき、さらに光合成が活発になる。こうして今から6億年前にはオゾン層も出来上がった。生物の上陸と土の誕生のための舞台が整ったことになる。微粒子と生物を主人公とする物語の舞台はようやく陸地に移る。〉
第3章「土を耕した植物の進化」より。
〈岩石砂漠ばかりの地球は、5億年かけて土の惑星になった〉
〈自然の営みによって1cmの土が作られるのには100〜1000年もかかる〉
岩石風化の再現実験の結果:
〈最初はサラサラだった岩石粉末は、ころころっとした数mmの塊になっていた。これを団粒構造という。ストッキング内部に侵入した不届きなミミズの仕業だ。ミミズが土を食べ、フンをすることで団粒が出来上がる。本来、世界はエントロピー(無秩序さの度合い)が増大する方向へと進行しやすい(エントロピー増大の法則)。バラバラの砂粒(単粒状)がいい例だ。しかし、団粒構造はこの法則に逆らう。ミミズの粘液や腐植が接着剤となり、土粒子が団結する。これが、生物と水と空気が通るすきまを持つ立体構造を生みだす。団粒は数ヶ月すると壊れるが、ミミズなどの土壌生物の営みが団粒を生みだし続ける。分解しにくい腐植と団粒構造の存在が、土と海底堆積物との違いである。〉
〈岩石粉末を土に変えた腐植こそ、人類が容易に土を作れない原因物質である。腐植の中で化学構造を特定できている名のある物質は、たった数%の数十万種類。その他大部分は構造も特定できず、名前も決まっていない。〉
〈厄介者の腐植の究極のルーツは、文字通り根と葉だ。落ち葉はミミズやヤスデによって細分化され、カブトムシの幼虫の背差となるような腐葉土となる。そして落ち葉の原形をとどめない腐植へと変化する。海では細菌が主役だが、陸地ではカビやキノコも主役の座を狙う。〉
〈マイクロメートル〜ナノメートルの解像度を持つ電子顕微鏡で土を観察すると、微生物の遺体である死菌体(細菌の細胞壁や菌類の菌糸の断片)が多く見つかる。生きている微生物は腐植の2%程度にすぎないが、死菌体はその40倍にもなる。2%×40倍=80%
で「最大で腐植の8割は死菌体由来」という計算だ。例えば、大腸菌を試験官で培養すると世代交代は8時間で起こる。微生物の増殖の速さを考えれば、土が微生物の遺体だらけでも不思議ではない。今まで枯れ葉の残骸程度に思っていた黒い土が、つい最近まで生きていた微生物の痛いかも知れないという衝撃的な仮説は全世界(ただし、土壌学界に限る)を駆けめぐった。土は生きているようにすら思えてくる。〉
〈微生物は食べた有機物のうちの約6割を二酸化炭素として吐き出し、残りで菌体を作る。死んだ菌体の主成分は糖質やタンパク質であり、すぐに他の微生物に分解されてなくなる。〉
〈土の中で、死菌隊の速やかな分解を防ぐのが粘土と団粒構造の存在だ。電気を帯びた粘土は有機物を吸着し、団粒は構造内部に美味しい有機物を閉じ込める。水に溶けていないものを微生物は分解できない。例えるなら、子どもの食べたいお菓子が戸棚に入れられて、手が届かない状態に似ている。これで死菌体由来の糖分やタンパク質が蓄積する理由を説明できる。「腐植=死菌体の団粒格納仮説」とでも呼ぼう。実際のところ、「腐植=植物遺体の食べ残し仮説」と「腐植=死菌体の団粒格納仮説」は二者択一ではない。「腐植の8割は死菌体由来」は過大評価で、死菌体由来は多くても腐植の4〜6割り程度、残りが植物遺体の食べ残しという理解に落ち着きつつある。〉
〈植物遺体由来にせよ、微生物由来にせよ、有機物はそのまま残存するわけでなく、変質する。〉
〈土のレシピは(コメのアルコール発酵と比べて)もっと複雑だが、落ち葉の分解もやはり2段階の反応に分けられる。まずは、主に菌類が細胞の外に酵素を放出し、落ち葉を見ずに溶かす。溶けだした溶存有機物を微生物が九州市、分解するか菌体にする。1種類だけで落ち葉を二酸化炭素まで完全分解できる微生物は、今のところ見つかっていない。多くの細菌、古細菌、菌類が分業し、それぞれが得意な酵素を出し合い、好みの部分を分解する。有機物の分解プロセスは、酵素という楽器で奏でるオーケストラだ。これがシャーレの上で培養した1種類の微生物では土が作れない理由でもある。
有機物の変化は岩石の風化よりも速く、数年で起こり、土を黒く染めていく。これは腐植の中のメラニン色素のような芳香族成分が増加するためだ。肌の日焼けでメラニンが集積する現象と似ている。もとの化学構造よりも複雑なものに変質(縮重合)し、有機物構造の末端(例えば、芳香族化合物の側鎖)はカルボシキル基やフェノール基に酸化され、腐植もまたプラスやマイナスの電気を帯びる。それと粘土が吸着し、微生物に分解されにくくなる。〉
〈今から5億年前の岩石砂漠には植物も有機物もなかった。微生物は存在できないように思えるが、微生物の生存戦略は有機物を食べるだけ(従属栄養)ではない。水田土壌中のように有機物なしでも硝酸や鉄イオン、硫酸をエネルギー源として、二酸化炭素を炭素源として生きられる独立栄養微生物もいる。オゾン層ができた直後の6億年前の大地では、雨水に溶けこむ硝酸や硫酸を利用する独立栄養性の細菌や古細菌の独壇場だったはずだ。
6億年前の岩石砂漠に似た環境は、火山噴火直後のハワイや三宅島、西ノ島、イエローストーン国立公園の熱水噴出孔などでも見ることができる。初期の火山噴出物からは、2価鉄イオンを酸化する時に発生するエネルギーを利用して大気中の窒素を固定できる特殊な細菌(鉄酸化細菌)が発見されている。その死骸は土になる。〉
〈岩石にはリンやカリウム、カルシウムはあるが、窒素がない。岩石砂漠に窒素を供給する鉄酸化細菌の登場は、植物の足場を築く最初の一歩になる。
岩石砂漠はライバルがいない代わりにエサも少ない。かといって、自らの死骸(腐植)と窒素が蓄積して土が生まれれば、それをエサとする従属栄養微生物に勝てずに全滅する。独立栄養微生物の宿命である。鉄酸化細菌のことを思うと少し切ない気もするが、そんな独立栄養微生物の遺体がゆっくりと腐植として蓄積したからこそ、次の光合成生物が進出することができた。〉
〈舗装道路や5億年前の岩石砂漠には、カビのエサとなる有機物がない。そこでカビは自分の構造内部に光合成のできるシアノバクテリア(ラン藻)をともなって陸地で一緒に暮らし始めた。ラン藻からは糖分をもらい、菌糸を伸ばして岩石から栄養分(リンやカルシウムなど)を溶かしだす。それぞれの得意分野である糖分の生産、栄養分の吸収を分業し、収穫物を交換することによって生存が可能になった。この運命共同体を地衣類という。私たちは「自然と人間の共生」のように「共生」という言葉をよく使うが、もともとは地衣類の中のカビとシアノバクテリアの関係性を共生と呼んだことに始まる。〉
〈地衣類は根を持たない以上、雨や岩、樹皮からの栄養分を全身で吸収するしかない。過酷な5億年前の岩石砂漠を生き抜いた力は、現在の地球にあっては汚染物質まで吸収してしまうという両刃の剣になっている。
コケといいつつも地衣類が続くと、本家のコケ植物も黙っていない。苔むす石というように、道路脇や石垣の上にはコケ植物も見つかる。コケ植物は5億年前の岩石砂漠に最初に上陸した植物である。今日でも岩肌荒々しい高山帯やツンドラ地帯(樹木の生育できない場所)は地衣類とコケ植物の宝庫だ。乾いた場所にはトナカイの食料となるトナカイゴケが繁茂し、湿った場所にはミズゴケが生育する。根を持たない地衣類やコケ植物の成長は1年に数mmと遅く、単純な成長速度の競争では他の植物に勝てない。それでも、地衣類やコケ植物が前人未到の岩石砂漠に上陸し、大地を耕し始めた。そのひたむきな営みは今日も舗装道路の片隅で続いている。〉
〈5億年前に上陸した地衣類とコケ植物が岩石を風化することで、砂と粘土ができた。画期的だったのは、これによって土に保水力が生まれたことだ。その次に、1億年遅れて登場したのが根を持つ高等植物(維管束植物)である。地衣類やコケ植物が耕してくれたおかげで、根を張ることのできる土壌が整っていた。〉
〈私がイチゴの味に感動した日からさかのぼること4億年、大地に最初に根を下ろした高等植物は被子植物ではなく、土筆の祖先のシダ植物(ヒカゲノカズラ類)だった。
海からやってきた植物の立場になってみよう。水という均質な世界から、空気と水と砂と粘土の世界に足(根)を踏み入れる。植物にとって海よりも良かったことは、空気に困らないことだ。気孔から思う存分、新鮮な空気を吸える。しかし、海中では浮力が身体を支えてくれていたが、陸地では自立しなければならない。
陸地には乾燥の問題もある。乾燥対策として、高等植物は表皮細胞(クチクラ)層やワックス成分(蝋)で身(葉)を守る。乾燥は栄養分の吸収にも問題となる。海中の生物は体の表面全体で水に溶けた栄養分を吸うことができたが、砂も粘土も腐植も、その多くは個体で吸収できない。雨から供給される水と栄養分だけでは足りない。海藻のなかまには一度上陸したものの、再び海へと帰っていった植物(アマモ)もいる。陸地に残った植物が自立し、土から水と栄養分を獲得するために発達させたのが根だ。〉
〈土の中では土の保水力と重力が拮抗し、地下水面に近い下層土ほど水分が多い。広く深く根を張ったほうがより多くの水と栄養分を集めることができ、よく育つ。さらに栄養分が多いところに根を密集させる芸当もある。「根は正直ないいやつ」なのだ。マツ林の1立方メートルの中にある根をつなぎ合わせると、富士山の高さにもなる。まだ土の薄かった4億年前の陸地に定着できたのはシダ植物のど根性の賜物だった。〉
〈4億年前に登場した根はエネルギー(炭素源)を吹き込む。おかげで有機物を食べる微生物も生存でき、微生物が植物遺体を分解するので植物は栄養分をリサイクルできるようになる。持ちつ持たれつの関係が生まれた。
植物の根のうち、太い根は体を支える役割を、細い根は水と栄養分を吸収する役割を担う。細ければ細いほど表面積が広くなり、吸収能力は高まる。これは、私たちの腸内に柔毛が発達することで水と栄養分を効率よく吸収できるのと似ている。細ければ細いほど良さそうだが、細い根は太い根よりも窒素資源(企業の設備投資に相当)を多く必要とし、寿命が短くコストも余計にかかる。そこで、植物は微生物の協力を仰ぐことにした(外部委託に相当)。直径1mm前後の植物の根よりも、直径数マイクロメートルのカビの菌糸の表面積のほうが広く、水や栄養分(リンやカリウム)を吸収する力が強い。
ただし、タダで協力してくれる微生物はいない。植物は根から糖分や有機酸、アミノ酸を提供する。〉〈根は、根をとり囲む数mmの土(根圏)に糖分や有機酸、アミノ酸を積極的に放出し、協力してくれる根圏微生物を養う仕組みを備えている。〉
〈植物を分解する酵素を失い、水や栄養分を届けてくれる安全で優しいカビの菌糸には根への侵入を許し、報酬として糖分を渡す。そうやって選抜され、根と共生するようになったカビを菌根菌(アーバスキュラー菌根菌)という。〉
〈こうして植物が上陸した5億年前から今日にかけて、陸上植物の8割が菌根菌との強固な同盟関係(共生関係)を構築していった。〉
〈植物の周りの土では共生微生物だけでなく病原菌も進化する。植物へのストレス、被害も増える。植物は、成長や生殖に直接関わる物質やエネルギーを生産する活動だけでなく、攻撃された時に敵の侵入を防ぐ防御物質、つまり、自分の中に毒を持つ必要が生じる。また、植物には病原菌以外にも遺伝子に損傷を招く紫外線のリスクがある。ヒトが日焼け(メラニン色素の分泌)によって細胞を守るように、胞子や種子を守る物質が必要となる。
身近な植物の種子を例に挙げると、コーヒー豆にはクロロゲン酸やコーヒー酸というポリフェノール(タンニンの一種)が豊富に含まれ、それが渋みや酸味をもたらす。(中略)コーヒー酸はコーヒー豆に限らず、植物全般、コケ植物にさえも含まれている防御物質だ。
植物の葉や茎には、コーヒー酸がさらに複雑化して水に溶けなくなったリグニンという物質が含まれる。動物と違って骨がない植物はセルロース(食物繊維)を鉄筋、リグニンをコンクリートのように使って細胞壁を補強することで巨大化が可能になった。その戦略を磨いた端的な例が樹木である。今から3億年前、コケ植物とシダ植物しかいなかった陸地にイチョウやマツの先祖にあたる裸子植物の樹木が登場した。胞子よりも乾燥ストレスに強い種子を持つことで乾燥した地域にも土壌が拡大した。〉
〈植物の主成分であるセルロースは、グルコース(単糖の一つ)の連結(重合)したものにすぎない。セルラーゼという酵素(酵素パワー系の洗剤の成分の一つ)を持つ微生物にとっては、甘いお菓子の家同然だ。身体に毒(リグニン)をまとうのは必要なセキュリティー対策だった。
ところが、突如として現れたリグニンを含む細胞壁は、倒木や落ち葉になっても分解を阻む壁として微生物の前に立ちはだかった。ストッキングの66ナイロンを分解できる微生物がいないように、リグニンを分解する酵素を持つ細菌やカビは当時いなかった。セルロースは水を加えながらチョキチョキと分解(加水分解)すればグルコースになるが、リグニンを分解するには特殊な酸化酵素が必要になる。分解に成功しても、溶けだす物質はフェノール、コーヒー酸やタンニンのような苦味成分で、微生物にとっては美味しいものではない。甘くない現実が待っていた。
植物の立場からすると、落ち葉や倒木については分解してもらわないと栄養分が循環しない。植物生産と微生物分解の関係がこじれたことで、陸地は落ち葉と倒木が分解されず、未分解の植物遺体が堆積してできる泥炭土が発達する。そんな時代が約6000万年(3.6億〜3億年前)も続いた。泥炭土が化石化すると、石炭になる。この時代を石炭紀という。
生物学者はリグニン分解者の不在を石炭蓄積の理由だと主張し、地質学者は超大陸パンゲアの地殻変動によって泥炭の埋没作用が活発化したのだと反論する。これは二者択一ではない。生物学者でも地質学者でもない土の研究者としては、両論併記が無難だと思っている。リグニンの分解遅延によって増加した泥炭土が、活発化した超大陸パンゲアの地殻変動によって堆積物として飲み込まれ、地球最大の炭素蓄積時代を迎えた。今日の火力発電のエネルギーを支えている石炭は、主にこの時代に埋没したものだ。〉
〈リグニンを分解する微生物のいない状態が続けば、今でも未分解の落ち葉や倒木の蓄積した泥炭土と石炭ばかりになっていたはずだ。ところが、現在の地球では落ち葉は数年、倒木は数十年かけて分解される。この3億年のあいだに何が起きたのだろうか。〉
〈根や菌根菌は、酸性物質(水素イオン)を放出して栄養分を吸収する。土の中和に働くカルシウムやカリウムなどを失った結果、土は酸性に傾く。植物が巨大化するほど、土は酸性になる。そこにリグニンが登場し、倒木や落ち葉が分解されないと、カルシウムやカリウムが土にリサイクルされなくなる。植物上陸以降、土はどんどん酸性に変化した。酸性になると、細菌やカビの多くは元気を失う。生態系の物質循環が停滞する。悪循環である。
しかし、そこで増加したのがキノコだった。カビもキノコも菌糸を伸ばす菌類のなかまだが、特に繁殖器官としてキノコを作る微生物をここではキノコ(担子菌類)と呼ぶ。キノコは酸性に強い。樹木が登場してからリグニンが分解できずにカビや細菌が困っていた石炭紀、白色腐朽菌と呼ばれるキノコが全く新しい酵素を生産できるように進化した。マツタケ、エリンギ、シイタケのご先祖様だ。白色腐朽菌のキノコは木に生えることが多いが、菌糸の一部は土にも伸び、落ち葉の分解も担う。
白色腐朽菌のキノコと他の微生物の違いは、リグニンを効果的に分解する酵素の有無だ。〉〈その仕組みは巧妙そのものだ。まず、酵素(マンガン・ペルオキシダーゼ)はセルロースを分解する時に発生する過酸化水素水(オキシドールの材料あるいは活性酸素〉を利用してマンガン2価イオンを酸化剤(マンガン3価イオン)に変換する。本来は不安定なマンガン3価イオンをりんごさんで安定化(キレート化)し、菌糸から放出する。これによってマンガン3価イオンは酵素では届かないところまで染み込んで酸化することに成功し、リグニンを分解できるようになった。
石炭紀を終焉させたキノコの分解力は、植物にとっても脅威となる。落ち葉だけでなく、生きている木も分解されかねない。そこで、2億年前に登場した被子植物の樹木(ブナなど)は、より分解されにくい構造のリグニンを生みだした。これに対してキノコは、酸性条件でマンガンよりもさらに強い酸化力を持つ酵素(リグニン・ペルオキシダーゼ)を生みだした。この植物とキノコのいたちごっこは冷戦時代の米ソの核兵器開発競争にそっくりで、進化的軍拡競争(二種の生物間で互いの変化に対抗する適応が競うように起こる生物進化)と呼ばれる。
被子植物の進化にあわせてキノコも多様化した。不毛な核武装との違いは、その結果が私たちの食卓を豊かにしてくれていることだ。ミズナラの枯れ木(ほだ木)にシイタケの菌を接種すれば、菌糸が木を分解しながら成長し、シイタケが収穫できる。エリンギ、マイタケ、シメジ、エノキなどの白色腐朽菌のキノコが100円前後で購入できるのは、木材や稲わらを材料として栽培できるためだ。〉
〈菌糸から酵素だけでなく有機酸を出す高い能力を樹木に見込まれ、今から1億年前、一部のキノコは樹木の根から糖分をもらい、お礼に岩を溶かしてそこから放出される栄養分を樹木に渡すアバースキュラー菌根菌のまねごとを始めた。樹木もこのキノコの菌糸が侵入してきても、敵が嫌がる防御物質(ジャスモン酸)を出さないように有効的に対応する。樹木と共生するようになった菌根菌のキノコを外生菌根菌という。〉
〈4億年前から植物と共生している菌根菌はカビだったが、外生菌根菌はキノコが進化したものだった。菌糸を根の細胞内に突っ込む旧来の菌根菌の手口とは異なり、菌糸で根の表面を包み込む包容力が外生菌根菌の特徴だ。〉
〈現在、亜寒帯、温帯、熱帯(東南アジア)の森で優占するマツ科、ブナ科、フタバガキ科(ラワン)の樹木はすべて外生菌根菌と共生している。光合成に長けた樹木が糖分生産に、リグニン分解に長けたキノコが有機物のリサイクルに、好物風化に長けたキノコが栄養分の獲得に専念することで、より栄養分が乏しい環境にも進出できる。樹木の巨大化が引き起こした土壌酸性化は、キノコの進化を促し、今日の森の物質循環が成立するようになった。〉
〈植物は土から栄養分を吸収して葉や茎を作り、その遺体はまた土に還る。それは同じように翌年も続く。植物が上陸してから5億年、主役の交代劇はあっても、いのちと物質のサイクルが繰り返されてきた。〉
〈根を張った土全体から栄養分を吸い上げた植物は、地面に枝葉を落とす。これによって植物に必要な栄養分がどんどん地上数cmに集められる。栄養分のリサイクルが毎年繰り返されることで、表土が肥沃になる。ナトリウムや重金属など、必要ない元素や有害な成分な集まらない。これが自然生態系において植物が人工の肥料なしで生きられる仕組みだ。自己施肥作用という。〉
〈腐植と粘土が増えると保水力と栄養保持力が上がる。微生物もあわせて変化し、共生微生物・病原菌も増える。森の土は酸性に傾き、細菌・カビ主体の微生物群集にキノコも加わって多様化する。システムの進化は今も続いている。
今日、私たちが「自然」として切り取っている森や土の姿は、5億年ものあいだ変動し続けている生態系のスナップショットにすぎない。植物と微積物が岩石砂漠に上陸したその時から、土をめぐる生物間の競争と共生が繰り広げられてきた。1種類の生物によって起こる一方向の反応ではない。これが5億年の歴史を盾にした「土を人工的に作ることができない」言い訳になる。〉
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する