奥入瀬から十和田湖、県境を越え秋田へ。
若干小原庄助 さん的気質を持ち合わせている小生、道筋の古湯「大湯温泉」の朝湯にドボン!
地元のご老体が、熱い方の湯船にドンブラコと入湯「今日の湯はぬるいや!どうもピリッとしねえ 」と真っ赤になりながら見栄を張る。
見栄を張ることなら負けちゃあいない私。負けずに浸かるが、わずか5秒「アヂヂ!」速攻で飛び出した。自慢のもち肌がゆでだこ色に色変化。と、いつもの前口上。
大湯環状列石(ストンサークル)見学。しばし縄文に思いを馳せて…。
近くの「猿賀神社」を過ぎると一瞬「…将軍」の文字が目に入る。
「将軍?」咄嗟に思いつくは福島から東北にかけて一声風靡の坂上田村麻呂伝説。征夷大将軍坂上田村麻呂のことかな?と好奇心全開で境内へ。
境内に、史跡田道将軍戦没之地…と書かれた木柱。「将軍田道祠」と刻まれた、苔むした石碑。
「田道将軍」初めて目にする名前だ。何者ぞ? 皆さんご存知でした?
町の広報誌をひも解くと「仁徳天皇の御代、蝦夷征伐で、田道(たみち)将軍が都から上津野・かづの(鹿角市)へ進撃。
上津野・の蝦夷たちは、軍森(いくさもり)に集まり(地図をみると、近くに軍森・206mの山名今もあり)田道将軍の軍と戦い、田道将軍は蝦夷の射った毒矢に当たって倒れる。
田道将軍の死後、墓が建てられ、神社も建てられたが、神社はいつしかときを経て“猿賀さま”と呼ばれるようになった。」云々
「田道将軍」の本名は「上毛野 田道(かみつけの たぢ・たみち)
ちなみに明治6年(1873)日本が初めて日本銀行一円券(紙幣)の肖像に採用されたのが「田道将軍」であったとは知りませんでした。
・「猿賀神社」田道将軍 石碑
・大湯環状列石(ストンサークル)
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