鹿島槍〜五竜が破線化した背景として登山者層の質の変化があるのではと思い、GPT先生に聞いてみました(NHKにっぽん百名山開始が2012年じゃなくて2002年とか結構誤りがあります)。
全体像と年次別動向(まとめ)
1980年代後半〜1990年代:
団塊世代の退職期を背景とした中高年中心のブーム化。山岳会など組織的登山の盛期
2000年初頭〜2008年まで:
登山者数は600万〜800万人程度で動いていましたが、徐々に高齢層主体に変化。また、百名山番組の開始が登山人口の増加に拍車をかけました
2009〜2010年頃:
「山ガール」現象も重なり登山人口が急増し、ピーク時には1,200万人超。しかし、その後は技術や経験不足のライト層が多かったため、事故や遭難率の増加も注目されました
その後:
人口構造の変化・ライト層の退出・ブームの収束とともに参加数は再び600万〜700万人台に戻ったと見られます。
仮説としての「体力・能力の水準低下」の可能性
高齢者の割合が増えるにつれて、平均体力や技術レベルは相対的に低下する傾向があり、遭難件数の年代別割合の統計を見ても高齢層の比率は増加しています。 また、若いコロナ回復組の中にも未経験のライト層が多く含まれており、同様の傾向が再現されつつある可能性があります。
2005年前後の日本登山界は非常に興味深い「過渡期」でした。その時期の特徴を時系列的に振り返ると、以下のような潮流が浮かび上がってきます。
🗻 2000年代前半〜半ば(2003〜2007年ごろ)の百名山&登山ブーム
◆ 百名山企画の爆発的増加(TV・書籍・雑誌)
NHK『にっぽん百名山』(2002年開始)が象徴的で、特にシニア層に大きく響きました。 各出版社(山と溪谷社、JTB、昭文社など)も相次いで「百名山完全ガイド」系を出し、計画・収集・記録という登山ゲーム性を煽りました。 この頃の「百名山制覇」は単なる登山以上に「プロジェクト型趣味」として人気でした。
◆ ツアーはまだ「お引きずり」ではなかった
クラブツーリズムなどが本格的な“高齢者お引きずり型”に振り切るのは2010年代以降。 2005年頃までは、毎日アルペンや朝日旅行などがしっかり歩ける人向けに良質な縦走ツアーを出しており、参加者も健脚・経験者が多めでした。 今のような「登山っぽい格好でバスに乗ってカメラを持って少しだけ歩く」スタイルはまだ主流ではありませんでした。
山ガール・ヤマンバ現象(2007〜2010年)
◆ 2008年頃からは「山ガール」=アウトドア版ファッション誌的な存在が台頭。 たとえば「PEAKS」「ランドネ」などが創刊され、女性誌的切り口での登山入門が若い女性を引き込みました。
◆ おしゃれ小屋の出現 こうした流れに呼応し、小屋の“おしゃれ化”が一部で進行: 北アルプス:燕山荘・涸沢ヒュッテ(カフェ風のテラス) 南アルプス:北岳肩の小屋の装飾改善など 「山スイーツ」「山カフェ」「登頂記念バッジ」などが流行し、小屋の付加価値提供と写真映え路線が明確化。
👟 この時期の登山者層の特徴
年代 特徴
〜2000年 経験者・山岳会中心、縦走や沢・岩など本格派も多かった(むかしをいまになすよしもがな)
2000年代 百名山で山域拡大、体力はまだ高水準、ツアーも自力登山寄り
2010年代 山ガール流行、ライト層大量流入、高齢化と“お引きずり”路線の共存
2020年代 高齢者比率上昇、事故リスク増、整備の平準化志向、富士山の“観光地化”
✨ 補足:登山の「文化変容」として見ると…
百名山は「踏破・達成」志向
山ガールは「体験・映え」志向
ツアー登山は「安心・共通体験」志向
この3つが交錯したのが2005〜2015年で、そこに2011年以降の震災・災害志向や、2020年以降のコロナ後登山回帰が上乗せされたという流れです。 created withchatGPT
過去につき https://www.env.go.jp/content/900493564.pdf?utm_source=chatgpt.com
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