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行き先が告げられるのは、たいてい前の晩あるいは当日の朝
山の気候は変わりやすいのだから仕方がない
とにかく大急ぎで支度をする
翌朝分の家事を前倒しでやっつけているうちに朝が来る
山頂から見える方々の山並み
昨年ぐらいまでは「山がいっぱいあるなぁ」という程度の感嘆
だった。近頃は、登ったことのある山が遠方に確認できたとき、
時を経て登頂の達成感が完結する
「この山は前に来たいと言っていた山だ」としばしば言われる
が、ピンとこないことも多い
春夏にその時季の気分で行きたいと思っていたところへ秋冬に
来れば、「なぜここに来たいと思っていたのだろう」と自分が
不思議になる。歳をとればとるほど不思議がいっぱい
帰宅時の「ただいま」は常に違和感を伴う
そもそも帰るところはどこだろう?
「ただいま」の言葉がしっくりくるのは、この借家ではない
夫の実家でもない。もはや自分の実家でもない
人は、生まれるやいなや還るところを探しはじめる
還るために、この世で生きるという修行をする
山が海の底にあった頃、自分もまたその周辺を漂っていた
細胞の一つ一つの奥深く、遠い昔の記憶が隠されている
山頂からの眺望は、35億年前に見たかもしれない光景
※写真は本文とは関係ありません
2021.11.14撮影 京都・西山 善峯寺(よしみねでら)
「人は、生まれるやいなや還るところを探しはじめる」「還るために、この世で生きるという修行をする」もはや高峰に座す諦観の境地ですね。
ウミガメもサケも産まれた処に里帰りし新たない命を育む。山岳信仰で、人は山で再生し里によみがえる。人が山へ向かうのは、海から陸に上がった記憶が隠されているのかもしれませんね。
暁の静けさの中でついつい生意気な文章を投げかけてしまいましたが、
丁寧にお読みくださいまして、ありがとうございます。
海から陸に上がったときのことはとても思い出せるものではありま
せんが、ひょっとしたら大きな痛みや苦しみを伴っていたのかも……
と、yasuji-さんのコメントから思い至りました。
その先に再生や蘇りを見るなら、命を懸けても高い山を目指す動機に
なり得ますね。
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