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平日は、4時前にインターへ入ると、割引があり、先ずは、米原を目指しました。
北陸自動車道に入り、「小谷スマート」を出て、「小谷城戦国歴史資料館」へ向かい、ここに駐車し「歩く方」と、書かれた看板の入り口を、歩いて行きました。
下山後、戦国資料館の方が、説明した通り”手直し”されていない、登山道は、山頂に、お城があるなど、想像できない、”素朴なお城への道”です。
番所跡~本丸跡~山王丸跡で、引き返したが、さらに進み、大嶽跡〜福寿丸跡〜山崎丸跡を経て、元の、駐車場へ戻る事ができます。
珍しい、可愛いつつじを見つけたので、写真に入れました。
下山後、琵琶湖の宿のチェックインまで、時間があるので「佐和山城跡」へ。30分位なら、登ってみようと「龍譚寺」へ駐車しました。
お寺の右側から上がって行ったが、雨と「サルにご用心」の、看板で、薄気味悪く、諦めました。(歴女たちのお楽しみになりました)
2日目 「賤ケ岳」を、目指しました。
ドライバーの夫は、リフトなら楽ちんだろうが、残念!
崩れた個所があり、運休でした!(トイレも閉まっている)
ここでも、サルの鳴き声や、カエルの鳴き声、不気味で、スマホの音楽を鳴らしながら歩き、40分で着きました。
余呉湖が、左に見え、気持ちのいい?山頂です。(当時、余呉湖が,血で染まったとか)
余呉湖駅からの登るコースもあり、ここから、登ったグループがいました。
小谷城と、賤ケ岳。
戦国の世に、領地争いで、戦った武将達や、支えた女性、家族の思いは、どのようだったでしょうね〜
3日目は、坂本!と、言えば、明智光秀様。と、穴太衆の「野づら積み」
熊本城の壊れなかった石積みが、野づら積みだった!
是非、残したい日本の風景です。
残すは「坂本城跡」(琵琶湖畔)。
再来年、大河ドラマに、私の”宿敵”「明智光秀様」(私は、信長ファン)を、放送されるそうですね。
秀吉のライバルであり、教養あり、作法も立派だった「明智様」を、再度、調べようと思いました。
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