先日は鉄道廃線跡について述べましたが、今回は旧日本軍関係の戦争遺跡。流石に森林軌道跡のような、標高1000mを超える地の戦跡にはお目にかかったことはありませんが、「低山ハイキング」の一つのジャンルとして楽しむことができます。
(1)女川山防空監視哨(高知県越知町)
防空監視哨とは、敵機飛来をいち早く感知し、県警や軍本部に電話または打電する施設で、民防と軍防があります。圧倒的に多かったのが前者で、民間による施設。但し、今回触れる女川山(298m)のように、民防でありながら、陸軍兵が駐留していたケースもありました。
女川山監視哨跡の特筆すべき点は、コンクリート造りの聴音壕が残置していること。これはただの円筒形のコンクリート遺構ですが、この中に入り、耳を澄ませば、航空機の音がよく聞こえるのです。
登山口は越知幼稚園東。駐車スペースあり。
(2)海軍嘉納山電探基地(山口県周防大島町)
嘉納山(684.9m)はヤマレコに何件も投稿されているので、山口県内のハイカーは皆、ご存知でしょう。但し、山頂南の戦跡については、ヤマケイ出版の「山口県の山」や葦書房の「山口県百名山」等では誤った解説がなされています。
その二冊は同じ著者によるものですが、彼はその戦跡を「高射砲台跡」と解説しているのです。これは昭和期に刊行された地元の郷土書を鵜呑みにしたものですが、いくら郷土史家でも、戦跡と当該部隊についての知識がなければ、正確に判断することはできません。
ここにあったのは、砲台ではなく呉海軍警備隊の電波探信基地であることは、防衛省防衛研究所の資料で証明されています。
六角形のコンクリート基礎は、電波探信儀(海軍に於けるレーダー)の台座の基礎なのです。
尚、文殊山と嘉納山との間の尾根沿いには、慶応2年に急造された、第二奇兵隊による土塁が延々と続いています。「第二奇兵隊」とは、高杉晋作がつくった「長門国」の奇兵隊に対して、「周防国」に於ける奇兵隊という意味です。
前述の土塁を築いたのは、第二次長州征討・大島口の戦いに於いて、幕府側の松山藩軍に一旦占領された島を奪還するためです。
(3)陸軍芸予要塞大久野島砲台(広島県竹原市)
「要塞」とは明治期の軍法で定められた陸軍の永続的防衛施設(海軍に「要塞」という用語は存在しない)のことで、砲台や観測所、地下兵舎、発電所等がセットで建造されました。
大久野島には忠海海峡防備のため、北部砲台、中部砲台、南部砲台が築造されましたが、その後の世界軍縮会議で廃止され、代わりに昭和4年、日本最大の毒ガス工場が建設されました。
その要塞と毒ガス工場関連施設の遺構が、島の海岸部や山上(島の最高所は95m)に点在しているのです。
全ての遺構に看板が出ている訳ではありませんが、大規模な施設跡には大体出ています。
島には海岸周りと山稜を回遊できるコースが整備されており、国民宿舎やキャンプ場も整備され、毒ガスのモルモットとして使用されていたうさぎの子孫たちが出迎えてくれます。
尚、この島での戦跡探訪時、決して遊び半分で見学しないで下さい。近年も廃墟巡りファンが訪れた際、撮った写真には全て白いモヤがかかり、撮影中、急激な頭痛と吐き気に襲われるという事態になっています。この島では毒ガス製造従事者が大勢亡くなっているのです。
おはようございます。
いつもmarowsさんの珍しいコースの探訪を楽しませて頂いてます。
大久野島は毒ガス製造の島として知られているので観光で行くという事はなかったのですが・・・
昨年ウサギ好きの子供(大学生ですが-_-;)が行ってみたいというので訪れました。
島中にいるうさぎに大はしゃぎでしたが実験に使用されたうさぎの子孫だったのですね 驚き
これからもレトロカーで泊りながらのお出かけ・・・
あまり人の来ないコースを行かれているようなので
どうぞこれからもお気をつけて楽しんで下さい
tomuyanさん、コメント有難う御座います。
うさぎは可愛いのですが、餌をこちらが持ってないことが分かると、遠ざかって行きました。何とも現金な島のアイドルです。
車中泊をしなくなったきっかけについて、今日、日記に記しましたが、今は安宿泊をしています。
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