全国各地の山間及び山中には戦前、各種の理由で隧道(トンネル)が掘られました。昭和後期に廃道化したものも多数ありますが、何割かは当時のまま残っています。その忘れられた暗闇の世界へレッツハイク。
(1)芋谷のトンネル(和歌山県橋本市)
このトンネルはこれまで各種ハイキング・ガイド書で取り上げられてきたから、ご存知の方も多いでしょう。
これは柱本から、その南東の集落・細川へ抜けるため、明治23年頃掘られた素掘りの隧道。
ただ、不思議なのはどう見ても自動車が通れるような大きさではない(昭和中期の360cc軽四でも)のに、入口に速度制限標識と高さ制限標識がある点。
トンネルの全長は108m。中は真っ暗で懐中電灯がないと何も見えませんが、中ほどの左手にロウソク台跡があります。
私は麓を回遊しただけでしたが、推奨コースとしては、南海電鉄高野線御幸辻駅〜細川〜芋谷のトンネル〜横手西尾根〜ダイヤモンド・トレールからタンボ山(763.1m)〜紀見峠〜高野線紀見峠駅。
(2)別子鉱山索道トンネル(愛媛県新居浜市)
別子鉱山と言えば、この前も触れた鉱山鉄道上部線と下部線の廃線跡が有名ですが、採掘場から選鉱場や鉱山鉄道の駅までは、索道が利用されました。
明治37年、落シ水力発電所が建設されたことにより、翌年、東平(とうなる)から別子鉱山鉄道下部線黒石駅まで索道が整備されましたが、一部急峻な地形があり、どうしても索道が越えられない尾根がありました。そこでその標高約660mの地点にトンネルを掘ったのです。
トンネルの長さは20mもないほどですが、山上にあることや赤レンガの風情ある造りから近代化遺産としても見做すことができ、探訪のし甲斐があります。登山口は鹿森ダム南方の橋の袂(標高260m)。
一の森(832.6m)から北東に派生する支尾根の前述標高地点で送電線が若干角度を変えていますが、その付近にトンネルが掘られているのです。登山道分岐の目印は右手の鉄塔標柱です。
地形図「別子銅山」
(3)陸軍琴平山野砲陣地隧道(高知県南国市)
先の大戦末期、全国で最も軍の陣地の密度が高かったのが高知県でした。それは米軍が南九州上陸のオリンピック作戦を展開する前の陽動作戦として、昭和20年10月30日、高知県に上陸する計画を立てていたからです。
これを大本営も察知し、高知県下の沿岸に回天や震洋の特攻基地を多数築造したのです。そして沿岸に近い丘陵部は至る所に陸軍が陣地を造り、ゲリラ戦に備えていました。
南国市里改田の、山頂に琴平神社が建つ琴平山も、陸軍が臼砲台(砲弾を尾根越しに飛ばす方式)を四基と野砲台二基を設置し、無数の壕を掘っていました。
神社の北東下に小さな池がありますが、実はこれが野戦砲台の竪穴跡で、その北から東側に下りると小さな素掘り隧道が開口しています。これは尾根を貫いたもので全長は30m。中間部は米軍の火炎放射や銃撃を想定してクランク状になっています。
砲台跡池から更に尾根を下れば、GHQの指示で爆破されたトーチカともう一つの野戦砲台のコンクリートの残骸が散乱しています。
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