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未知なるものを求める夢想的な(というか胡散臭い)冒険家ではなく、登頂困難な山の頂を極めようとするリアリストであるはずの登山家たちが「らしきもの」を過去に見ていたことに興味をひかれた。
そしてもっと興味を引いたのが「鈴木紀夫」の名前だ。僕ら世代以上なら大方の人は知っていると思うが、1974年フィリピンのルバング島で小野田少尉を発見した人である。彼はその翌年から雪男を探しに計6回もヒマラヤに入っている。そして6回目の1986年の暮れ(推定)に雪崩に遭遇して亡くなった。
ああ、あの人がヒマラヤでなくなったのは「雪男」だったのかと知ったこと、また、彼以外にも登山途中に見ただけでなく、雪男を探しに何度も捜索隊がヒマラヤに入っていることに驚きと興味を覚え、一体どんなんよ、くらいの気持ちで読んでみた。
本書は 実地レポ&インタビューで構成されており、文章は明晰で臨場感の伝わる面白い作品だ。もちろんワハハと笑う面白さではない。「雪男」ではなく「見てしまった」者の業という人間臭いものをこの本から感じる。
同じものを見ても「見た」だけの人と「見てしまった」人がいる。「見てしまう」とそれに捕らわれ、それ以後の行動、はたまた人生にも大きな影響を与える。この辺のことは三浦しをんの解説が秀逸であるし、本のレビューとしても自分がああだこうだ書くよりは彼女の解説を読んだ方が何百倍かいい。
解説に書いてあったが、 彼女は中学生の頃にUFOを見たそうだ。じつは僕も小学3,4年の頃に同級生の何人かと一緒に空飛ぶ円盤(その頃はUFOという言葉は日本、少なくとも田舎には流布していなかった)を見たことがある。彼女も書いているがUFOはジグザグに飛ぶのだ。
けれど、2人ともそれに捕らわれることのない以後の人生を送っている。それはそれで幸せだろうし、捕らわれてUFOを追い求める人生も幸せだったかもしれない。
ただ、UFOには捕らわれなかったけど、山頂からの眺望、空の青さ、雪山の神々しさ、青と白のコントラストを「見てしまった」。ヤマレコユーザーも「見てしまった」人が多いことと思う。
角幡唯介さんは以前、富山時代に黒部川のルポを書いていましたね。ヤルツアンポの空白地帯の本もタイへン、コーフンして読みました。雪男も積んであるのですが、積ん読山脈です。
鈴木紀夫氏は、小野田さんにとっては恩人ですが、小野田さんを雪男並みに捉えていた印象があって、その著書もまだ読んでおりません。
あの頃は、ネッシー、つちのこ、雪男、空飛ぶ円盤が同列に扱われていましたが、見世物小屋の蛇女くらいワクワクしたからいいんです。
最近読んだ、角幡さんの探検部の先輩で秘境ライターの高野秀行さんの本で、雪男は、信じている者、見た者ほど、実態がぼやけて、「もののけ」という気配に近づいていく、という話がとても面白かったです。
>yoneyamaさん
他の著書は知りませんが、この本は積ん読山脈から抜き出しても損はないと思います。
鈴木さんの著書も読んだことないですが、肩書きが冒険家だったか探検家だったかだと思うので、小野田さん探しと雪男探しは同列だったかもしれませんね。
見世物小屋の蛇女、懐かしいですなぁ。雪男と違って、見るモノは見ることができたので子供ながらお得感(笑)はありました。蛇女も祭りの猥雑さもいつの頃からか消えてしまい、いささか残念です。
面白そう!
即、アマゾンで注文してみました。
本は自分で選んでばかりいると内容が偏ってしまいますもんね♪
さて、雪男の正体は?
それは読んでのお楽しみ。
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