特集が黒部だったので買ってみた。(富山県の住人なので)
その中で江戸時代に加賀藩が幕府に提出した、立山、裏銀座(あまり好きな言葉ではないが)辺りの地図が掲載されていて、当時の山名の脇に現代の山名が併記してあってとても興味深い。
江戸のいつ頃かはわからないが、立山、大汝、マサゴ(真砂)、別山、白兀(ハゲ)、赤兀(ハゲ)などは今と一緒で、似たようなところでは剱は劔ヶ嶽、薬師は薬師ヶ岳、名前は一緒だけど山が違うのが、現在の三俣蓮華岳が昔は鷲羽岳、鷲羽岳が東鷲羽岳。あとは今の名前と違っており、先週踏んだ猫又山は橅倉山、黒部五郎が鍋岳、他は書くと長くなるので省略。
山ではないが、ブナクラ谷、馬場島は今と同じ表記で、常願寺川、早月川、真川も昔からの名前を引き継いでいる。
だからどうだって問われればそれまでだが、昔の人も同じ名称で呼んでいたのかと思うと、時は途切れることなく続いているんだなぁと感慨深いものがある。
他にも面白い特集記事があり、興味をひかれたのは薬師見平。現在登山道はなく、もっと度胸がついたら行ってみたいと思った。
また、水平歩道で紅葉を見てみたいとも思うが、写真を見ただけで足がすくむので、こっちも度胸をつけてからにしよう。
ちなみに、加賀藩が藩境を明確にする(後には木材の盗伐取り締まりや資源調査など)ために「黒部奥山廻り」とよぶ踏査を1640年から始めて幕末まで続けたそうだが、現在でもこの辺の国有林は「黒部奥山国有林」というらしい。これも名称を引き継いでいるのだろうか。
「黒部奥山廻り」の文書というか文献が残っているのだが、本になって刊行されてたら読んでみたい。
へえー、今月号は面白そうですね。最近雑誌も買っていなかったので、買ってみようかな。岳人はモンベルになってからちょっと趣向が変わりましたね。チカ
僕も最近は興味ある特集の時だけ山岳雑誌を買うくらいです。岳人は表紙が畦地梅太郎さんの版画なので表紙だけ全巻欲しいデス。
日記にも書きましたが、薬師見平はそそられますよ、たぶん。
立ち読みで済ますという手もありますね(笑)
私は黒部の特集記事のみ立ち読みしました。やっぱりこの言葉の響きに惹かれます。それと辰野会長のカヌー記事は昔カヌー雑誌でも読みましたが、やはりこれは日本のカヌー史の偉業です。久しく川下りしてないなぁ〜
辰野会長のカヌー記事には驚きました。まあ、なんというか仲間が次々脱落していく中で(こっちが普通でしょうね)クレージーというか自殺行為に近いですよね(笑)
狂気がないと冒険はできないという典型だと思いました。
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