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いろいろな文献やネット情報に当たってみたのだが、この隧道の口に関する情報はほとんど見当たらない。小生が知るものは、前述の「鉱山と市民」にある「前山坑のずっと先の方」(諏訪側)や「牛小屋のずっと上の方」(本山側)のみだが、この記述が何処なのかは判然としない。
さて、本日、愚息が「多賀高で練習試合だから送って欲しい」という。そこで、その帰りに北の沢集落を十数年ぶりに訪問してみた。
まず、かみすわ山荘(上諏訪小学校跡)に駐車し、諏訪ダムの上から民家のところまでの左岸を辿ってみたがそれらしい手掛かりはない。なお、左岸を調べたのは、この北の沢集落から見れば本山は北側に位置するので、当然入口は左岸にあるべきだからである。
次に、JX日鉱日石金属が管理する北の沢取水場を覗いてみた。すると取水口は右岸にあるではないか。ここで頭が混乱したが、「これは他で利用する用水なのだろう」と解釈した。
その他に手掛かりが見つからないので帰宅すべく車を動かした。途中、助川山市民の森への分岐標識を見つけたので下車してこれをデジカメに収めていると、近くの御宅のベランダに御主人がいらっしゃったのでご教示を乞うた。すると「少し上流に橋が架かっているから、そこを渡れば2つ口がある」とのことだ。ところが、早速それに従って探したのだが見つからない。聞き間違えたのかと疑心暗鬼になっていると、今度は別の御方が庭先に居られたので同様にご教示を乞うた。すると、指を差して「あのポンプ小屋のところだ。橋を渡って正面と右に口がある」とおっしゃる。「えっ、こっち側(右岸)なんですか?」と聞き返すと、「そうだ」とのこと。その通りに行ってみると、今度はあった。先の御主人の話を伺った際には「左岸」という先入観があり、早合点してしまったようだ。
2つの口のうち橋を渡って正面のほうは半円状の蓋で覆われていて中の様子が判らないが、もう一つの右側にある方形の口のほうは鉄柵で塞がれているので中を覗き見ることができる。高さは人が通るにはちょっと低いような気がした。
2つの口を撮影し立ち去ろうとすると、先の御主人がまだベランダにいらっしゃったので御礼を述べた。隧道を利用したのは子供だった頃なので記憶が曖昧だが、おそらく隧道は鮎川の下へ潜ってから北へ延びているのだろうとのこと。また、隧道を通って鉱山病院へ通ったこと、運が良ければトロッコに乗車できたことなどのお話を伺うことができた。
それにしても、どうしてこの隧道に関する記録は斯様に少ないのだろうか。もしかすると、鉱山の方にとってはこの程度の隧道を掘ることぐらいは朝飯前で記録に値しないとでも考えていたのかもしれない…。
今日の教訓:早合点して可能性を排除しないこと。
画像1:北の沢取水口 画像2:金山隧道口 画像3:北の沢地蔵
kilkennyさん、こんばんは。
素晴らしい記録。金山隧道の謎、1つ解決ですね!
写真2枚目を今度見に行ってこようと思います
finegreenさん、こんにちは。
御蔭さまですっきりしましたが、今度は中の様子を知りたくなりました。写真があればいいんですけどね
本山側は確認できないんでしょうね…。
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