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今から25年前の春、私はひとり上野駅発の寝台列車に乗っていました。揺れる車内、B寝台の固いベッドでは満足に眠れず、朝には札幌駅に到着。
さらに列車を乗り換え道東の網走まで、いったいどれだけの時間をかけて行ったのか、正直記憶が曖昧な所もあります。
高校を卒業した18歳の私は親元を離れ、大学のある網走の下宿先へ向かう所でした。
当時はまだ今のようにネットで簡単に情報が入る時代ではなく、かといってこの土地に知人が居るわけでもなく、自分がこれから住む土地についての知識はほぼゼロに等しかった訳です。
それでも若かった私は、新しい土地での生活に何となく希望を抱き、飛び込んでいった先がこの網走だったのです。
学生時代の4年間というのは、文字通り初めての体験ばかりで、未熟な自分の価値観を大きく変える出来事の連続でした。
金銭的な支えをくれた親はもちろんですが、当時の学友達、研究室の教授や先輩方、バイト先の先輩・後輩、地域でお世話になった方々、本当に多くの人に支えられて生活をすることができました。
しかし、この土地に住んでいると不便なのが交通手段の少なさでした。簡単にいうとクルマがないと自由がきかないのです。一年目の夏に早速運転免許をとると、学業そっちのけでバイトをし、親に何度も頭を下げ、何とか中古のSUZUKIエスクードを手にすることが出来ました。
18歳の私にとって、この広大な道東でクルマを手にできたことは、とても大きな自由をもたらしてくれました。ダートや雪道に強いとされる北見ナンバーのマニュアル車は、とても良く走ってくれました。どこまでも真っ直ぐ、空と山と海しか見えないような道を、お気に入りの音楽をBGMにひたすら走る。
北海道の主要な道は、4年間でたいてい走ったと思います。ドライブは好きでしたが、スキーやトレッキングなどのアクティビティには関心がなく、音楽やバンドサークルに没頭していましたので、今のように山に登るなど発想すらしなかったと思います…
住んでいたのは網走でしたので、やはりドライブで向かう先は、斜里や知床そして弟子屈方面が多かったです。このあたりは本当にいい温泉が沢山あるんですよね!
今回の旅で訪れた斜里岳、羅臼岳、阿寒岳はいずれもクルマの中からは見上げていたと思うのですが、あれから20数年経って、息子を連れて登ることになるとは思いもしませんでした。
今回の旅で息子が何を見て、何を感じたのか…
それは帰ったあとにゆっくり聞いて見るとして…最終日、あと少しだけ道東での残り少ない時間を惜しみながら過ごしたいと思います…
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