1枚目:昭和35年8月(1960)西穂独標。上高地を旅行中に小梨平バンガローの管理人さんに「西穂に行くからどうだ」と誘われて、九州から来たという女性二人たちと登った時のもの。学帽、学生服、レインコート姿がおかしい。この時はガスで何も見えなく独標で引き返した。上高地は夏の終わりで静かだった。
2枚目:昭和36年8月(1961)愛鷹山塊、須津川沿いの山神社前でのキャンプ。この日は割石峠から越前岳まで歩き(第2展望台への分岐標識を見逃してしまったため)勢子辻に降りたあと国道をバス終点だったゴルフ場入り口まで長い道のりを歩いた。この山行が愛鷹山塊の始まりで、それ以降もいろいろなコースで良く登っている。
3枚目:昭和37年8月(1962)甲斐大泉駅から三ツ頭、権現、赤岳、硫黄と縦走し、夏沢峠から下り松原湖駅まで歩いたときのもの。キャラバンシューズ、編み上げ靴、ハンチング、チロルハットが懐かしい。ズボンはトレンカーやニッカーそしてチョッキが当時のハイキング姿の定番だったような気がする。この時の装備は三角テント、寝袋は米軍の放出シュラフだった。
toshi-17さんお久しぶりです。
亡くなったウチの父親が持っていたころと同じ時代の写真ですね。なんかホッとしました。コロナに負けずに頑張ろうという気持になりました。ありがとうございます。
自分でも何十年ぶりかに見た写真なので懐かしいです。
愛鷹山塊の写真も何枚か有りましたが、ずいぶんと変わっていますね。
コロナ禍で今年のミツバツツジは見に行けないですね。
すっかりご無沙汰しておりましたがお元気そうで何よりです。
コロナ騒ぎのお陰で私も近場の低山すら自粛しています。
早く治まってくれると良いのですが・・・。
同じです。
年を考えたら、大きなロスになりますがしかたない。
治まるのをじっと待つしかないですね。
ご無沙汰しております。
お元気ですか?
そこそこ元気で暮らしています。
不要不急の外出自粛の折り、この頃は一日一回の息抜き外出をするのみです。
元気に暮らしています。
古いことを見返すことも良いかもしれないですが、なんだかさみしい感じもします。
写真を整理してみると、susonoさんと登った武能岳東尾根や爺ヶ岳東尾根が出てきて懐かしかったです。
あと少し、残された時間を希望をもって進まなければと思っています。
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