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ま、ちゃんとしたカメラ持ってないから安物コンデジでがんばって撮ってみました。拡大するとなんとなく土星っぽいのがわかるけど、さすがにガリレオ衛星は写ってないな…一眼ならばっちりなんだろうけど。
いつも歩いている堂平から見えてる、雲取山も酉谷と武甲山が一直線…でも、さすがに木星は遠いな。アーサー・C・クラークによると2001年には人類は木星にたどり着いているはずなんだけど?
ツァラトゥストラはかく語りき♪〜なんちゃって。
あ、ちなみに定峰峠の峠の茶屋は新年は3日から営業だそうです。
正丸峠の奥村茶屋は新年元日は5:30から初日の出営業なんですけど…さすがに混みそうだな。
「2001年宇宙の旅」懐かしいですね。。。
子供の頃は何かの付録を組み立てた天体望遠鏡で土星の環や木星の衛星などを見たりしていたので、今だにこういった夜空の出来事には興味があります。(笊ケ岳に向かう山行でのテン場で見たヘールホップ彗星は最高だったなぁ・・)
若い頃は大げさ?で嫌いだったR・シュトラウスの音楽も最近は素直に心に入るようになりたまたま昨日本当に久しぶりにツァラトゥストラを聴いたばかりでした。
「ツァラトゥストラはかく語りき」…それが何故か今では、「ツァラトゥストラはこう言った」などと、世の中の現代語化が進み時代の流れを感じずにはいられません。
そうですねぇ。ざっと家のレコード、CDを漁ってみたらシュトラウスはフランク・ブラレイのピアノソナタop.5、5つのピアノ小曲op.3、情緒ある風景op.9の1枚しかありませんでした。4つの情緒ある風景(5曲ある)の譜面は何故かあったりするのですが、ツァラトゥストラは2001年のサントラでした…とほほ。
今は、ちょうど火星もみえているので、空(宇宙)をながめていると太陽系の公転面を意識できたりして。薄ら天の川でもみえようものなら、天の川銀河(いまみえているのはペルセウス椀…春になれば未明に射て座方向の銀河中心がみえる?!)のダイナミズムを感じることができます。子供の頃は自宅からでも天の川が見えたのですが…小さなころから星を眺めるのは好きですね。
山に登ると、空(宇宙)が近くて。自分は厳冬期の赤岳頂上小屋からみた百武彗星で人生観が変わりましたね。子供の頃から夢見ていたハレー彗星の回帰が期待外れも過ぎてただけに、すでに話題にもなっていたヘールボップ彗星の前で、世間ではノーマークの百武彗星には驚きました。しかも、かつて歴史上のハレー彗星並みの視野角で100°を超え、満月の数倍の核、それを厳寒の雪山山頂で手が届きそうなくらいの大パノラマ。それでなにも感じないようなら、それは逆に不思議なくらいの衝撃でした。
そんなことがあったから、物事にも総合的俯瞰的かつ普遍的な見方をするようになってきているように思います。
そういう意味からすると、今のコロナ騒動やエネルギー問題には懐疑的な部分があるようにも思うのですが、誰が動かしているのかも分からない宇宙の在り方からすると、あまりに稚拙すぎる顛末を歩む人類に呆れるしかありません。
そういえば、ツァラトゥストラを書いたニーチェは、山登りに例えた言葉が多いような気もする。
みんな山に登ればいいのに…
ニーチェはワーグナーの熱烈なファンだったという、シュトラウスはあまり持ってないから、ホルストもいいけどニーベルンゲンリングでも聴きながら寝るとしようか?!
「山に登ると宇宙が近くて」というのは全く同感です。
裏剣の池ノ平や黒部源流一帯、朝日連峰の金玉水などで見た夜空は忘れられません。今や遠い昔になりましたが単独のテントから首を出してあまりに凄い星空や流星を見ると「こんなものを人間が見ていいのか」といった気持ちになりますね。
音楽もお好きなようですが、私もキ印に近い音楽好きでリングも時折無性に聴きたくなる事があります。(ワルキューレの幕切れが特に好き)
R・シュトラウスは今はオペラが面白いですね。
山の時間に近い時が過ごせるのは何といってもブルックナー。これはお好きですか?
自分も結構のぼっている方かと思っていましたが、池平も、朝日岳ものぼってませんでした。今は里山さんぽが完全に板についていますが。かつては、よくばり弾丸縦走ばかりで、テントは使わずツェルト山行、それも張らずにシュラフカバーにツェルトをかぶったまま、星空を眺めながら寝るのが自分の普通でした。
特別音楽好きということはないと思いますが、ピアノを習っていたのが災いして、ピアノ曲にはそれなりに造詣が深い方かも知れません。どちらかというと映画、いまどきのシネマファンというよりは、いわゆる名画に感動を覚えて、その音楽も気に入るというスタンスでしょうか。
ですから、ワルキューレ騎行は自分的には「地獄の黙示録」だったり?
ワーグナーといえばブルックナー。
レコード、CDのコレクションは多いんですけど。探してみたら、ブルックナーは一枚もありませんでした…とほほ。
映画「夏の嵐」で交響曲7番が使われていますが、ワグナーゆずりのぶ厚いブラスに、演奏家泣かせの超技巧で難解なフレーズ、音楽好きな人にとってはたまらない作曲家なのかも知れません。
確かに、星空の天場からブルックナーのような曲が聴ければ最高なのかも知れません。
でも、
やはり、音源を持って山に上がるというのは無粋というものだとも思います。大自然を前にして、そこにあるもの以外は何もいらない!
時間が許すならば、天幕縦走もまたしてみたいと思う今日この頃です。
20代前半にほぼ同じタイミングで山と音楽に嵌ったので、その頃は山に行けば音楽が聴きたくなり音楽を聴いていると山が恋しくなるような感じの日々でした。色々な趣味(道楽)を遍歴しつつ今に至りますが、山と音楽はわが人生の最大の楽しみとして変わらず日々を生きる糧となっています。
黒部五郎のカールの中のようにパイプオルガンの音が聴こえてきそうな場所もありますが、基本私も山で音楽を聴こうとは思いません。「大自然を前にしてそこにあるもの以外は何もいらない」というのは全くその通りだと思いますね。
ジャンルは問わず好きな作曲家やミュージシャンは数知れずですが、ブルックナーの音楽、特に交響曲7・8・9番のような曲のアダージョ楽章を聴いていると山の凛とした空気や風のそよぎ、小鳥の歌などが聞こえて、山にいるのと同じ時の流れが見えるので自分には特にかけがえのない音楽となっています。
機会があれば是非お聴きになってみてください。
いやはや、年末ブルックナー大人買いしてしまいました。
まずはウィーンフィルの古い録音を手に入る分一通り…3・4・5・7・8・9?
ブルックナーの残した楽曲は少ないのですが、同じフルトヴェングラー指揮の8番だけでも4通りの録音があるというくらいですから、フルコンプリートは無理ですね。
でも気が向いたら、現代録音の音源も聴いてみようかと。
ピアノ曲しか知らない所に、最初に衝撃を受けたシンフォニーはドボルザークの新世界よりで、そのまま主旋律の強烈な楽曲ばかり聴いてきたので。ブルックナーのようななにか物の流れ、沢のせせらぎだったり、森のざわめきだったり、星のきらめきだったり、自然法則の調和にも通ずる音楽性には感動を覚えます。
今、世の中のポピュラー音楽もなぜか主旋律のユニゾンばかりで、ハーモニーは時代遅れ扱いされてしまっていて、何か街で流れてる音楽の単調さに嫌気がさしていただけに、逆にブルックナーのような音楽には新鮮さが浮彫になります。
でも…、これは演奏家泣かせだわぁ♪〜
謹賀新年。
ウィーンフィルはブルックナーに最も向いたオケですが古い録音だとクナッパーツブッシュやシューリヒトなどの録音が定評があります。
比較的新しいものではカラヤンの最後の録音の7番。
ヨッフムのドレスデン、シュターツカペレとの全集やヴァントのベルリンフィルとの録音もいいです。
こういった音楽を聴いていると浮世のうさを忘れますね。。。
ついでながら、マーラーの3番や大地の歌など全ての作品の中からも自然の音が聞えますが、こちらは線的な対位法を極めた音楽で私はこれも大好きです。
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