![]() |
![]() |
この年末年始休みも、悲惨な山の事故が相次いでます。
所詮、報道から知れることしかわかりませんし、後から何を言ってもフェアではないことも重々承知しているつもりです。
しかし登山である以上、なにも冬山でなかったとしても、夏山であろうが、低山だろうが、牙をむくときは容赦なく襲い掛かってくる…山が恐ろしいのは“冬だから”なのでしょうか?
状況的にわかることとしては、奥穂、槍のケースでは登山計画書が出されていたということ。これは提出さえしていれば遭難しないというわけではありませんが、特に今回は救難要請に対し登山計画書を基に避難誘導を的確かつ迅速に指示できたということが生還につながるという、初動捜索活動において登山計画書の存在がたいへん役立ったケースといえます。
では、どうして遭難にいたってしまったのか?
実は、天候に回復の兆しがみえ救助活動が再開されつつも、強風でヘリが飛ばせず難航していた、まさにそのときに、ジブンたちもこの同じ山域にいたのです。
ジブンたちが天候をみてスタートを見送った中、なぜ嵐になるとわかっている日程を強行してしまったのかはわかりませんが、彼らの遭難発覚、捜索隊の指示により命からがら避難小屋に退避し救助を待っている間に、天候の好転を待ってこちらは登頂し下山してしまっている(しかも、こちらのルートでも別の遭難者と入違い?!)。
そこになんの差があったのか、積雪状況は当局に問い合わせ出来ますし(入山の可否も委ねる事だってできる…当時は笠ヶ岳、西穂に危険情報発令中!?)、天気予報では疑いようもないくらいに“最悪の天候”を迎えるということを、一般報道でもかなり以前から伝えていました。ジブンたちは日程を3日ずらし、彼らはそれをしなかった…。
この天候の読み違い?は誰の目からも明らかな“間違い(判断ミス)”だといえますが、「予定していたから」「現地入りしていたから」…と貧乏臭い考えで、そのとき天候が一時だけよかったとしても、あきらかに悪化する予報を蔑ろにして入山してしまったのは浅はかとしか言いようがありません。こうして、山は時にどんなちいさなミスも見逃してはくれません。
当然、技量や経験に関係なく、助かるときは助かるし、そうでないときは…そのときです。
しかし…、男体山と富士山の件については、そもそも冬季は原則として「登山禁止」の山であり、かぐらスキー場においても、雪山登山やバックカントリースキーにおけるガイドラインを設けて、それに沿って行動されるよう指導強化されています。
ところがこのスノーボーダーは、何を思ったのか立ち入らないよう指示されている「危険区域」に入り込んでしまってます。
このあたりは一部のコミュニティにおいては既に事実上形骸化してしまっており、いまさら「禁止」という言葉が荒唐無稽にしか聞こえないという人も少なくないでしょう。その是非については問うつもりもありませんが、報道のスノーボーダー救出現場の映像にあるとおり、
「スノボ客3人遭難、救出映像に映る“壮絶現場”」
出典 TBS News-i http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2387301.html
「ダメでしょう コース外滑走なんてしたら!
こっちだって命がけなんだぞ 何考えてんだ!!」
救助隊員のとっさに出てしまったこの言葉に、すべてがこめられているように思うのです。
ぼくらが「グレーゾーン」とか「自己責任」などと称し、また「罰則のある法令には違反していないなら合法」などと、たいへん身勝手な自己正当化してしまっている行為も、一度事が起こってしまえば社会的にはとうてい許されない“暴挙”であるという事実。
また、近年はインターネットなどにより、その“行為そのもの”が広まってしまうことによって、「俺でもできるんじゃないか」であるとか「みんなやっている」などと、それを助長していく環境の拡大も、こうした被害が増大している一因であるというのと同時に、こうしたインターネット環境が無法行為増長させる温床と化しているということに危惧の念を禁じえません。
これらの行為に、ある種禁断の果実にも似た魅惑が存在し。またこれら繰り返される悲劇の根幹にあるのが、その誘惑に打ち勝てない“精神の弱さ”といえなくはないでしょうか。
しかし、現に救助隊員たちのいのちが危険にこうして曝されている。民間協力者を含めた捜索隊が活動し続けていたのは、いつ雪崩が起きるかもわからない危険なエリアなのですよ!
少なくとも、こうした軽はずみな行為が、他人の命をも危険に曝しかねない凶行であるということと、それがその大きすぎる代償に替えらるものなのかどうか、ぼくらはこの真実を直視しなければなりません。
登山では「自己責任」などということはありえない…
残念ながら、それが今の社会的認知における「登山禁止」「立入禁止区域」をめぐる現状です。それが、理不尽だとか、不条理だとかいう以前に、社会には社会のルールがあるのです。
また、山岳遭難では、いつも技量や経験不足がとり立たされ、責めを負わされているケースも多々あります。
今回も彼らの技量不足を指摘する声や…、北アでは報道会見の場で「力不足でした」と謝罪するシーンもありました。しかし、果たしてそれで片付けてしまってよいものかどうかには疑問があります。
力があれば防げるのか?…
北岳のケースでは過去に大きな遭難をし救難救助されるという経験を持っている方が犠牲になってしまいました。そういう意味では、誰もがすることができない貴重な経験を、この方は既にもっていたといえなくありません。
しかし、その上でも登山計画書が未提出であったとのことです。これは男体山、富士山、そしてかぐらスキー場の件でも共通点です。提出してさえあればいい?!…などというものでもありませんが。どこか、怠慢、油断、甘え、気の緩み、のようなものがなかったのかと思わざるを得ません。
どんなに技量があろうと、どんなに経験を積んでいようと、そんな心の隙間に容赦なく鉄槌をくらわしてきてくれる…それが山というものの存在ではないでしょうか。
この冬の遭難事故では、生還者も多く、ある意味不幸中の幸いともいえ、亡くなられた方は残念ですが、それがせめてもの救いです。
救難要請に対し指示を受けながら自力避難ができた北アの2パーティはともかく。特にかぐらスキー場では、何故助かることができたのか?定期的に雪山訓練を行っているジブンたちからすると、たいへん失礼ながら違和感のあるケースでした。
あきらかにそうした経験をもたないスノーボーダーといえども、まるで “カタチ” からはいるファッションのように、彼らの間で唱えられれてた「最低限のサバイバル装備」を携えていたということが非常に大きかったということでしょうか。
しかしこれは、非常に “運” がよかったケースです。救助があと一日遅れていたら…絶望的だったかもしれません。
ただし、今後似たようなヒトたちが、これで “コレ” さえあれば助かるんだと油断してしまうようでは、今回のような幸運はそう何度も続くことなどないでしょう。現実に過去に九死に一生を得た方ですら…この冬に犠牲になられたりしているのです。
実際の生死の分かれ目というものは、そんなかんたんな事ではないと思いますが。
ただ、山に対する畏敬の念を常日頃から抱き向き合っていくならば、そうそう疎かで軽はずみな行動などできるよしもありません。畏れ多き山という雄大な存在、冬山が怖いのではなく…己の内にある“心の弱さ”、精神の甘えこそ、いちばん恐ろしいのではないでしょうか。