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コースは 東之川から登り、瓶ヶ森〜子持権現〜石鎚山、面河へ下山。
( はじめての剣山が 前の年 1963年 昭和38年夏だった。)
1968年 昭和43年8月1日 石鎚登山ロープウェイ 開業。
1970年 昭和45年9月2日 石鎚スカイライン 土小屋まで 開通。
なので まだ ロープウェイ や スカイラインのない時代。
初日 バスで 東之川へ、東之川から瓶ヶ森へ登り 氷見二千石原で野営泊。二日目 瓶ヶ森から 子持権現 石鎚山と縦走し 二の鎖下で 野営泊。三日目は 石鎚山に鎖場経由で登って、面河へ下山。
そのときの 写真は いま手元に残っていないが 子持権現の鎖 三の鎖などの 鎖場の登下降、長かった縦走路など、コースの随所での出来事や光景は61年 経ても 記憶に鮮明に焼きついて残っている。
面河から 松山 までのバスは 狭い 未改良 未舗装の道のり を 延々と 砂埃あげて 走り、峠をこえ 砥部あたりの 平らな平野に 降りてきて ようやく舗装路にでて 砂ホコリから 解放されホッとした。
昔も 今も 石鎚山の 三の鎖 や 子持権現の鎖場など 変わらないが 大きく違うのは アプローチの交通機関。
昔は 山へいく途中の鉄道 道路 交通機関が 本当に 未整備で 行くだけで 大変 時間が かかり 山の麓の登山口へ 辿り着くまで 難行苦行で 難儀の連続。
登山口に 行きつくだけで 時間も、体力も だいぶ消耗してしまっていた。
それでも、登山口からは 元気よく、登山道をのぼり 山々を巡った。
いまは 交通機関も発展・進化し、高速道路の道路網も できて 奥深い山にも 標高 高いところ まで 舗装路が整備されて、以前は 何泊かのコースも 軽い 日帰りコースになってしまっていて 昔と今では まさに隔世の感がある。
深田久弥氏が 各地の著名な山々を 登られたのは これより 前のこと。
当時と 今では 山登りの 環境は 全然 違っていると思う。
でも いまさら ノスタルジーの 懐古趣味だけで 当時を ふりかえっても しょうがないが。。。
山登り以外で 翻ってみると、四国遍路巡礼では、 いまでも 交通機関を利用せず時間もかかり、労苦を伴うが 、わざわざ 歩いて 巡る 「歩き遍路」を 選ぶ方々も多くいらっしゃる。
実は 不便さこそが 山歩きの 楽しさを さらに倍加しているのと のちのち 気づく。
山登り そのものは 途中、苦労すればするほど やり遂げたという達成感や満足感は高まる ということ これは 今も昔も 変わらない。
反対に 楽すれば 楽するほど 山登りの達成感 満足度は 低くなる。
今も昔も 変わらないのは いかに 楽をするかでなく いかに 苦労するかが 山歩きを 貪欲に 楽しむ 重要なポイント。
そう考えれば 道路未整備、交通機関不便の時代というのは 山歩きを 思いっきり満喫できる いくつもの要素を たっぷり含んだ よき時代だった。
そんな よき時代から 山歩きを始めて 今日まで 山歩きを ずっと 続けられてきたのは なんと幸せなことだった のかと いま 改めて つくづく 思う次第です。
【趣深山ブログ】
https://shumiyama.hatenablog.com/entry/2025/06/24/213000
【その当時の概念図】
『四国の山と谷』松長晴利著 朋文堂 昭和34年第一版、昭和38年第三版75ページの「瓶ヶ森周辺並溪谷概念図」
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