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毎年 数多く発生する 「道迷い」遭難。 山岳遭難のなかで4割をしめているという。
国内の山岳地帯は 世界的に見れば 比較的 地形などは、はっきりしているはずなのだが、それでも 「道に迷う」登山者は多い。
一方 世界中を ナビゲーションという観点で見渡せば 日本の山岳地帯よりも はるかに厳しい地理的条件のもとでのナビゲーションが必要になる 場所は たくさんある。
大海原。極地の氷原。雪原。大砂漠。大草原、高密度の熱帯密林。などなど。。。
どれも ナビゲーションして移動するには 日本国内の山岳地帯などとは 比較にならないくらい はるかに難しい条件がそろっている。
そうしたナビゲーションには難しい地帯で 古くから狩猟採集などで移動しながら 生活を営んでいる 先住民の人たちにとっては ナビゲーション術は生きていくうえで 絶対必要な技術である。
見わたせば なんにも 目印もない 大海原 大砂漠 大氷原 高密度の密林、こうした 難しい地理的条件を 先住民の方々は 悪条件を苦にせず 古くから 自由に行き来して 生活している。
たとえば、カラハリ砂漠 のブッシュマン、極北のイヌイト、ミクロネシア カロリン諸島の先住民。などなど。。
先住民族は GPSはもちろん 地図 磁石さえなくても 古来から 大海原、氷原、砂漠、密林、などを 自由自在に移動できる 優れたナビゲーション技術を 持っているのである。
先住民族の長い歴史の積み上げのなかで鍛えられた こうしたナビゲーション術は 一朝一夕に簡単に まねることのできない。
だが 人間には 本来 本当の触感の感覚は 備わったはずである。
ところが 便利さを求めて 生活する 現代人には 先住民の持っている 研ぎ澄まされた 触覚 方向感覚など 便利さのなかで 退化してしまっているのだろう。
先住民は 本来の研ぎ澄まされた 感覚 触感を 鍛えているのに対し、 現代人は 文明の便利さとひきかえに 人間が 本来持っていた大切なものを 失ってしまっているのだ。
現代の文明にドップリ浸かった 「現代人」は こうした先住民の 自然を読み解くような 本来人間に備わっているはずの すぐれた 本来の野生の触覚 研ぎ澄まされた 方向感覚など 数多くのことを あらためて自然から 学ばなくてはいけない。
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「 ヒマラヤの8000メートル峰でも、登頂率を高めるため衛星電話を使い、正確な天候、気温、風速風向などの情報を集めるらしい。
しかし僕は違うスタイルを選びたい。たとえ登頂に失敗したとしても氷河に寝ころんで気温の変動を肌で感じながら、稜線の風や雲の動きを観察して、出発するタイミングを見極めたい。
判断するという楽しみを失いたくない。
クライマー、いや人間は便利といわれるものを使い、何かしらの能力を失い始めているかもしれない。 」
『アルピニズムと死 僕が登り続けてこられた理由』山野井泰史 著 2014 山と溪谷社
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こんばんは!初めまして。
とても共感しました。
最近はGPSもそうですが、便利な装備が普及してきたようです。
イザ!という時に命を救ってくれるかもしれないし、時としてとても有用であるのは良くわかります。
反面現在地把握や、悪場を乗り切るとかの生物としての本能がどんどん退化してしまうような気がしています。
第六感と言われるものが人間は相当退化してしまったように思われますが、山に登っていると、動物や虫などはまだまだ現実に一つの感覚として持っているなと感じることが良くあります。
人間も完全には失ってないのではないかと思っています。
どっぷりと山に浸かっていると、第六感/山勘なくしては無事に帰れないことが良くあります。
便利な装備に頼らず、ヒリヒリするような緊張感を持って現在地を把握し目的地に到達し、天候を読み、悪場を乗り切り無事に家に帰れたというのは本当に充実感のあることで、自分も動物たちに少しは近づけたのだろうかと嬉しくなります。
本当に状況がひっ迫した時には、この感覚がものを言うような気がします。
登山の指向は人それぞれですが、個人的には人工物の一切無い千古不伐の山中を、数々の障壁をしなやかにかわして動物たちのように駆け巡れたら良いなと思っています
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