そもそも登山とは、アウトドアとはいうが、過疎地の山や谷の探検のようなもので。中央本線の「四方津」(しおつ)という駅には、およそ55年前に、一度だけ帰りに寄った記憶がある。それが30年前のバブルに異様に変化して、それを知ったのは、この30年間に国道20号という下道を数回は通った過去があり、通る度に目にするあの奇妙な作りは、まさかディズニーか、富士急のドドンパかと違和感があった。しかししょせんコモアとかいう名のバブルの分譲住宅が造成されただけの話で、どうしてJRの駅の形が変わるんだ。ああ中央線の夜行の23時55分にも過去に数回乗ったことがあって、この各駅のおかげで、沿線各駅はほとんど暗記したし、当時の中学生は駅のスタンプとともに、全員が鉄オタでもあった。
さて先日登山の行きに、夜間だったが、ついにこの駅見学することになってしまった。あの斜行屋根付きドームの通路の中は、どうなっているのか。
わくわく感満載で入ってみると、やはり予想通りというか、エスカレーターになっていた。夜間の冷やかしの客でもタダで乗れた。6段くらいに分かれていたが、どうやら規模は日本一で。ああ、バブルの時にJRと積水は悪だくみして、駅上の山を崩して広大な分譲住宅作った。1300戸、3600人くらいらしい。そこへ到達するには、もちろんカー付きの高級戸建てなのだが、ここから新宿への通勤は間違いなく中央線の1時間10分が最短で便利。その崖の上の我が家から駅まで、エスカレーターか、斜行エレベータもありますから、JRの運行一日20時間はずっと動いていますから、利用してくださいという、予想通りの奇怪化け物でもあった。
乗ってすぐに思いつく。駅と住宅の標高差は90m。階段ではおよそ無理。エスカレーターで10分以上。エレベータでも5分。エレベータのあの圧迫感は、そう中西部に向かう、セントルイスの巨大アーチのエレベと同じで、閉所の恐怖さえある。そうやって朝晩の通勤にこれを利用する。
そうなのだ。土合駅のあのバカげた階段は夢の崩壊のように、ここと同じ駅にエスカレーター作るはずが予算なくて、60年計画が今も頓挫して、それこそ石ころ登山道のようなものが階段わきに残る。あの歴史の残骸の醜態は大歓迎されるほど。そこにできるはずのエスカレーターは、きっとコレだったのである。土合は、複線化して地中駅ができたのは67年らしい。高校生の時に初めて山行で利用したのが72年。まだ新しい駅で、ここはスイスかと感動した。しかし280段というそのアホ階段を歩き、疑問を感じで、「登山とは斜陽産業か」と屈折もする。
間もなく田中角栄の新幹線計画が実行されて、駅の完成はとん挫したままになった。新幹線は80年代間もなくディズニーと同じころに開業した。いや60年代後半からの登山観光事業はJRの発展と共にと勘違いして、すぐにクルマ社会が到来し、関越道もできた。在来線などは誰も乗らなくなって、ついに今は日に5本程度の赤字廃線寸前。
後のバブルの頃にJRは新幹線に付随して、スキー場を経営しようと、ガーラ湯沢駅を新設した。バブルとは日本中を狂わせた。今の上越新幹線のその駅とスキー場の残骸(営業するが)見るにつけ、ばかげた有様笑い出す。貧乏企業の成り上がり計画の失敗。
同じなのだ。こちらはバブルの頃に、積水と談合して一儲けしようと悪だくみした。それを登山者が見ると、土合駅と同様。ああ今の東京駅の深い新幹線ホームとか、地下鉄の六本木当たりの深さよりも、四方津はおよそその3倍も深い。住民はどうもひと月1万円の維持費をJRに支払うとかで、なんじゃ。維持費は年間8000万円とか。いや都内に住む者、ひと月の駐車場代と比べて安い。高島平も多摩ニュータウンも住宅公団の過去のモニュメントとして残るが、四方津も同じようで、さながら土合も同じだ。でもいまとなっては、どれも褒められたことじゃなくて「残骸」というように映る。四方津を見ると、それが土合の完成型にはみえるが、それでも奇怪な残骸と判断するのはどうしてか。すべてが人口減に耐えられなくて、先細りだからなのか。
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