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「百名山」制覇なんて夢のまた夢…、「剱岳」や「奥穂高岳」また「大キレット」等、登頂や縦走に大変な困難な場所があり、とても自分では到底足を踏み入れることが出来ない場所がたくさんあります。
そんな私の唯一の“記録”は「JR全路線乗車」です。先日もその記録を維持するため、仙台地方の「仙石東北ライン」に乗ってきて、その記録をこの「日記」に掲載させていただきました。「JR全線乗車」といっても“暇”と“多少のお金”さへあれば誰でもできることなのですが、それなりに苦労もありました。
昨今、「秘境駅」が“鉄ちゃん”のみならず、マスコミ等にも広く取り上げられ、最近では北海道の函館本線の「小幌駅」が話題になりました。その「秘境駅」に類似して、1日の列車本数が極めて少なく、“乗る”こと自体がかなり難しい路線もかつては全国各地に点在していました。個人的には「難乗路線」と呼んでいました。
そこで今回はで自分自身がJR全線を乗り果たす過程(おおよそ1970年頃~1998年)で乗り果たすことに苦労した路線“難乗路線”を「BEST10」形式で報告させて頂きたいと思います。
第10位:三江線「三次〜江津」(広島県・島根県) 1日(全区間)往復本数3本
起点の両方の駅とも東京からの交通の便が良くなく、1泊が必要でした。現在、廃止の予定もあるそうです。
第9位:内子線「伊予大洲〜内子」(愛媛県) 1日(全区間)往復本数12.5本
列車本数は多いものの、ここも起点の両駅にたどり着くまでが一苦労でした。当時は「宇高連絡船」での四国入りがメインでした。
第8位:吾妻線「渋川〜大前」(群馬県) 1日(全区間)往復本数5本
大前駅の一つ手前の「万座・鹿沢口駅」までは特急をはじめ列車が多く走っています。
第7位:可部線※「広島〜三段峡」広島県) 1日(全区間)往復本数5本
当時この路線は途中の「可部駅」「加計駅」そして終点の「三段峡」と終点の駅名通り、3段階で列車本数が大幅に減っていました。
第6位:札沼線「札幌〜新十津川」(北海道) 1日(全区間)往復本数3本
現在でも途中の「あいの里公園」駅までは都市混雑路線、それ以降準ローカル線、ローカル線、超閑散路線と劇的に変化していく珍しい路線です。
第5位:五能線「川部〜東能代」(青森県・秋田県) 1日(全区間)往復本数5本
当時は「リゾート白神」のような観光列車が走っていなく、また途中の深浦駅での接続も悪かった為、全線乗車はほぼ1日がかりでした。
第4位:木次線「宍道〜備後落合」(島根県・広島県) 1日(全区間)往復本数4本
木次線の列車本数が極めて少ないうえ、当時「備後落合」駅での他路線への接続も悪く、何も無い駅周辺を2時間近く時間を潰すのに苦労しました。
第3位:和田岬線「兵庫〜和田岬」(兵庫県) 1日(休日全区間)往復本数2本
完全に通勤専用路線でした。特に休日は朝と夕方の2往復のみです。平日も昼間は全く走っていませんでした。
第2位:深名線※「深川〜名寄」(北海道) 1日(全区間)往復本数3本
全長121.8kmの長距離路線に加え、乗り換え必須の「朱鞠内駅」での接続も極端に悪かった分、今でも朱鞠内駅周辺の光景が忘れることができません。
第1位:岩泉線※「茂市〜岩泉」(岩手県) 1日(全区間)往復本数3本
比較的東京から近い割には日帰りが大変困難な路線でした。帰路、茂市駅からバスに乗れば盛岡駅で最終の新幹線に僅か10分の待ち合わせ時間で間に合うことが判明した時の感動は今でも忘れられません。
☆番外グランプリ☆:清水港線「清水〜美保」(静岡県) 1日(全区間)往復本数1本
乗ろうとした時は既に「廃線」となっていました。東京から近かっただけに大きな後悔が今でも残っています。
《お詫び》第3位の「和田岬線」、誤って廃線を示す(※)印を付与していました。現在もちゃんと運行しております。JR西日本及び沿線の皆様、また全国の”鉄ちゃん”をはじめお読みして頂いた皆様に深くお詫びして訂正申し上げます。(12月4日)
【注1】 ※印は現在は「廃線」もしくは「“難乗”区間廃止」路線です。
【注2】 1日往復本数は1993年3月号時刻表現在のものです。(清水港線を除く)
時は1970年代末 私の青春真っ盛りの時でもありました。山口百恵さんの「いい日旅立ち」が流行していました。“あゝ日本のどこかに私を待ってる人…”は、どっこもいませんでしたけど…
写真左:1993年3月号の時刻表
写真中:第3位の(通称)「和田岬線」の時刻表
写真右:「清水港線」1974年の時刻表より
aochanman777さん、こんにちわ。
私は鉄ちゃんじゃありませんが、
鉄道の旅はけっこう好きで、
この難乗路線BEST10の中では、
NO2の深名線のみ乗ったことがあります。
それも真冬の頃でしたから、深名線の魅力が
最もある時期だったと思います。
朱鞠内に何日かいたので、除雪車が走る姿なんかも
みていました。。。楽しい青春時代の思い出ですね。
あっ。。100名山は大キレット越える
必要はありませんので。。。涸沢からピストンなら
難度はさほどではないかと。
s-katayama様
早速のコメント、大変ありがとうございます。
−私は鉄ちゃんじゃありませんが…−
と書かれていらっしゃいましたが、地元の方と”鉄ちゃん”以外の方で「深名線」を乗車される方はそうそういないんじゃないのではと、個人的には思うのですが…(失礼しました!)
ちなみに、沿線には風情のある名前の駅が随所にありましたが、中でも「雨煙別(うえんべつ)」という駅名が私にとっては1番でした。”雨の煙のなかでの別れ…”すっごくロマンチックですよね!(もっとも駅の名前の由来は、アイヌ語で”悪い川”という、なんとも味気ないものなんですけど…)
あと、”百名山”、9月に登った「四阿山」、根子岳からの切れ落ちた稜線にビビッてしまい、完全なへっぴり腰での通過でした。この時点で「百名山」を断念したのは自分では”大正解”だと思ってるんですけど…
aochanman777さん、はじめまして。
日記いつも楽しく読んでいます。
僕も学生時代にJR全線完乗しましたが、
そのときは函館本線の滝川駅からバスに乗って、
JR新十津川駅近くのバス停で降りて、
歩いて新十津川駅に行きました
木次線と三江線は、家が松江市なので、
18切符で日帰り周回しました
新しくできた新幹線区間はまだ乗っていないので、
機会(&お金)があれば乗りに行きたいと思っています。
chikaku様
早々のコメント、大変ありがとうございました。
ご指摘頂きました「新十津川駅〜滝川駅」、私も決して忘れることのできない経験をしました。
札幌から[札沼線]で新十津川駅まで出て、そこから滝川駅まで移動し、その後深川駅から留萌本線に乗る予定だったんですが、北海道の広大さを今一つ理解していなかった私は、両駅の間を徒歩で移動する計画でした。
”30分もあれば余裕で着くだろう”という超甘〜い判断のもと、意気揚々と新十津川駅から歩きだしたのですが、歩けど歩けど滝川市街は見えず、時間だけどんどん過ぎて焦りまくっていました。その後半分走りながらも残り約15分くらいでやっと石狩川を渡る橋に辿り着いたのですが、と同時に”もう絶対間に合わない”という瞬間でもありました。
が、本当に偶然なことに、目的地でお客を降ろして滝川駅に戻るタクシーに出合うことが出来、車中、運転手の方に”そりゃ、無茶無茶だなぁ〜”と笑われながらも無事3分前に滝川駅に着くことができました。北海道の広大さを実感させられた時でもありました。
追伸:chikaku様もJR完乗されたんですね。来春には北海道新幹線の開業もありますが、近年中に[おおさか東線]が新規区間開業するそうです。
こんばんは、どうもはじめまして〜。ヘタレハイカー鉄ヲタとして、アップされた鉄ネタを楽しく拝見しております
長距離急行や長距離鈍行が全国を縦横無尽に走っていた70〜80年代に国鉄乗りつぶしをされたのを、何ともうらやましく思います……。私は撮り鉄ですので、乗りつぶしには手を出していないのですが(多分未乗路線の方がまだまだ多いです
リストアップはされていらっしゃいませんが、例えば「急行つくばね」に乗らないと通過できない小山短絡線なども乗られたのでしょうか?!
和田岬線は、平日の朝に訪れますと、103系の7連からサラリーマンがどっと吐き出されるのが圧巻で、超マイナー路線であるのを一瞬忘れるものがありますね♪
それにしても、たとえ1日に1本〜数本でも、廃止にならない限り毎日必ず時刻表通りにやって来ますので、乗りつぶし派は恵まれていると思います。超マイナー貨物専用線撮り鉄とかやっていますと、1日1〜2往復の貨物列車が荷主の都合で運休!という爆弾をいくらでも食らいますので……
1日1往復のロマン (笑) は、日本では近々新十津川が仲間入りするということで話題になっていますが、例えば東南アジアあたりのマイナー路線ですと1〜3往復というのが結構あったりして楽しいです
bobandou様
おはようございます!
大変懐かしい内容のコメントお送りしていただき、大変ありがとうございました。bobandou様が書かれていらっしゃったように、確かに当時は様々な種類の列車、また様々な車輛が全国各地にあり、それこそ首都圏でさえ路線ごとに種々雑多な列車・車輛があり、今でも当時が”良かったなぁ〜”ってつくづく思ってます。(今では首都圏なんか、通勤電車も中距離電車もE233系の電車がメインになってしまって本当に残念です。)
ところで[急行つくばね]、残念ながら乗車していません。ですので小山駅を通過する専用路線(=短絡線)の部分は乗車していません。(どうも今ではその区間の線路も取り払われた模様です。)他にも貨物専用路線を走る臨時列車など、乗っていない”線路部分”!?はまだまだあるのかな、って思ってます。
一方、「和田岬線」、実は私が乗車した時は、”電車”ではなく”気動車”でした。確か古いタイプのキハ35系だったかと記憶していますが、普通他の線区ではせいぜい2〜3両編成で運転されているのが、和田岬線の場合は7〜8両程の長大編成での運行だったので、まさに圧巻な風景でした。しかも乗車定員確保のためだったか、車両の片側のドアを全て閉鎖し、座席に変えていたような記憶も…(←、確か兵庫駅も和田岬駅も両駅とも常にドアが開く方向が同じ側で決まっていたためだったような…)
当時は全く”写真”に興味が無く、当時の鉄道の写真の記録が全くありません。今にして思えば「記憶」だけが唯一の頼りになってしまい、つくづく後悔しています。
わが地元、岩手県の路線が1位に輝きましたね♪岩泉は龍泉洞という有名な鍾乳洞がありまして訪れたことがあるのですが、車で行ってしまったので岩泉線は乗ったことがありませんでした!もしかしてaochanman777さんは一気に何泊かして線路をつなぐのではなく基本日帰りでこなされたのでしょうか!?Σ(゚Д゚)
以前、話題にさせていただきました北上線、ほっとゆだ駅をご存知の上、温泉までご利用されていらしたとは!嬉しい限りです♪北上線からの景色はなかなか趣があるのではと田舎自慢してしまったり✨きっと全国のローカル線にはまたそれぞれの地域の美しい車窓があるのでしょうね♪
読み込まれた時刻表にaochanman777さまの電車への愛を強く感じます✨大変興味深く拝見させていただきました(≧▽≦)おもしろい日記をありがとうございます♪
chi-sukeさま
いつもいつも”楽しさいっぱい”のコメントお寄せ頂き本当に本当にありがとうございます!
(”山”に関する日記でしたらともかく、”鉄”に関する日記までお読みしていただくと、chi-sukeさまもいずれ近い将来”鉄分”がどんどん溜まっていって、プロフィールのイラストが現在の”ニャンコちゃん”から”蒸気機関車”にでも変わってしまうのでは…とすっごく心配していますが…、平気でしょうかねぇ!?)
以前にも”解説"!?させて頂きましたが、「岩泉線」、本当に計画段階から苦労に苦労を重ねた路線でした。なので実際に岩泉駅に到着した時は感慨無量だったのですが、ただ残念だったことは既に日没後の乗車だったので、沿線の風景がほとんど見ることができず、また岩泉駅でも折り返しの列車に乗車する関係で、「龍泉洞」はもちろん、駅から1歩も出られなかったことです。なので、近いうちにバスで元岩泉線の沿線を訪れてみたいと思っています。
当時は飛行機は非常に”高値の乗り物”で、とても社会人駆け出しの私には利用できず、北海道や九州、四国へは泊りがけでの旅行でした。(といっても、全国各地に夜行列車が縦横無尽に走っていたので、宿泊費はかかりませんでした。)
一方、現JR東日本管内では当時「EEきっぷ」という土日2日間乗り放題(新幹線もO.K.で\15,000)の切符が発売されていたので、これを最大限有効に利用してこの地域の鉄道を乗り果たしていました。
で、chi-sukeさまのご想像の”ローカル線からの風景”、もちろん日本各地の様々な異なった風景が楽しめますが、それ以上に楽しいのが”列車内の会話”です。各地の方言[←全く意味不明に陥るときも多々ありました。]に加えて、その地に住んでいる方でしか知らない”極秘情報”等々、地元の方々の会話を聞いているのが何より楽しみでした。なんたって”その場・その時”でしか経験できませんから!
改めましてコメントお寄せ頂きありがとごうざいました!
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