60年ほど前の話です。
私は、小学校低学年〜高校生頃まで、約10年間、現在の北九州市門司区に住んでいました。
父の仕事の関係で、東京から列車に乗り、長旅を終え(その頃は山陽線等は、電化されてもいない。)門司駅に降り立ったとき、まず目に入ったのが、子ども心にも非常に印象的な、どっしりとした山体でした。
それまで住んでいた、横浜や目黒では全くといっていいほど、経験したことのない、優しく、それでいて堂々とした姿でした。(もちろん、富士山や箱根の山々など見たことはあったはずですが。)
その山が、戸ノ上山(とのうえさん,とのえさん?と、地元の方々は呼んでいました。正式な呼び方は知りません。)という山でした。
その日から、自分にとっての「裏山」(=『特別な山』と気づいたのは、ずっと後のことです。)が、戸ノ上山になりました。とはいえこの山は一般的には、それ程特徴のある山でもなく、標高518m、北九州市の中でも、門司区の中でも、これより高くまた有名な山は何座も存在します。
また、自分自身体力も無く、山登りにも、それ程興味が無かったので、実際に登ったのは、10年間で3〜4回程度だったし思います。
ただ、山頂付近からの関門海峡等の眺めは素晴らしく、今になって思うと、その頃もっと何回も、登っていれば・・・、と後悔しています。
今では、自分の足も悪くなり、また場所も遠く離れてしまいましたので、どうしようもありません。
登ることは、あまりしませんでしたが、身体も精神も弱い自分にとって、戸ノ上山はいつも優しく、励ましてくれているようでした。麓の池や小川、丘には、イモリやカエル、鮒、ドンコ等の小魚、山桜、ブナ、楓等々様々な動植物が棲んでおり、そのおかげもあり、大学は生物系を選んだのかもしれません。
門司を離れて千葉に就職し、利根川沿いの平地の真ん中にある街に赴任しました。「できるだけ田舎を」と希望して、それが叶い赴任したのですが、何か落ち着きませんでした。ずっと、不思議だったのですが、あるときふと思いました。その街は関東平野の真ん中で、遙か遠くに、筑波山の影が見えるだけで『山が無い!』のです。
それに気づいたとき、昔そばにあった『戸ノ上山』のことが、無性に恋しくなりました。
なんとか、再び門司駅に降り立って、『その姿』を眺めたいと思いますが・・・。
そのとき、何を語りかけてくれるのでしょうか・・・。
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