読売新聞に感動した物語が掲載されていましたので、原文のまま掲載します。
「近所の定食屋」 松川理沙
「元気のいい挨拶だね」
そう褒めてくれたのは、登下校で必ず通るところにある定食屋のおばちゃん。私がまだ小学生の頃、朝と夕に外に出てきてくれて私たちを見送ってくれていました。そこの定食屋さんは、入り口に貼ってある紙がとても有名なお店でした。その貼り紙にはこうかいてあります。「こどもたちへ。おうちにごはんがなかったり、ひとりでたべるのがさみしいとおもったらいつでもみせにおいで」
ある日、親からご飯代として千円を渡されました。親はすぐに仕事場に戻り、一人でご飯を食べに行ったことがない小学生の私は、どうしょうかと悩んでいました。そこで、あの貼り紙、いつも挨拶をしてくれるおばちゃんの顔が浮かびました。私はその定食屋まで走り、ドアをあけました。
「おお、りさちゃん。こっちに座んね。」
と、事情も聞かずに席に通してくれました。待っていると、おばちゃんがあったかいお味噌汁とご飯、チキン南蛮を持ってきてくれました。
「一緒に食べよう」
と、隣に座り学校の話や家族の話などいろいろな話をおばちゃんは楽しそうに聞いてくれました。私は一緒にあったかいご飯を食べられることがうれしくて仕方がありませんでした。その日から、私はだれよりも大きな声で挨拶をするようになりました。あの日に食べたご飯を一生忘れることはありません。
中学生になってから、母が再婚したこともあり、隣の県に引っ越しをしました。いま、その定食屋さんは続いているのかもおばちゃんが元気に暮らしているのかもわかりません。あの日、おばちゃんに救われたことで私の人生が大きく変わったことは言うまでもありません。
今、私は定食屋さんを経営しています。あの定食屋さんのように全く同じ貼り紙を貼り頑張っています。私と同じような境遇を持った子供たちが食べに来てくれます。立て場が変わりおばちゃんはこういう気持ちだったのかと気づくことがたくさんあります。当時は、なぜ知らない子供にご飯を提供しているのかわかりませんでしたが、今ならわかります。「おいしかった。ありがとう」「またたべたい」などの純粋な子供の心に触れることができ、うれしくて生きがいになっているのです。私は、ご飯を提供した子供たちにはいつもこう言っています。
「お代はいいから、困っている人がいたらたすけてあげてね」と。
読み始めた時に、
「かつての、一杯のかけ蕎麦と同じかな?」と思ったのですが、
松川理沙さんは実在の人物で、なんと、実話を作文にされていたのですね。
誰しも、こうありたいと思ってはいるのですけれど。。
小さくてもよいので、善意の心を持って生きてゆきたいものですね。
コメントありがとうございます。あまりに感動しましたので、押し売ってしまいました。キーボードを打ちながら、はからずも涙ぐんでしまいました。最近、人間の愛、親子、隣人とありますが、詩や文章に触れると、年でしょうか、涙もろくなりました。
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