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さーっと見ただけでは難解ですが。
歴史は坂上田村麻呂が登場する時代に遡るわけで、まぁ「神話」の世界かと。
古代より鈴鹿峠は交通の要所であり、都に出入りする人を監視する「鈴鹿関」があったそう。
人通りが密となり、金目の物を所持する通行人も少なからずおり(伊勢国から運びだされる水銀の運搬人も通過するわけで)、通行人を襲う盗賊がはびこっていたとのことで。
盗賊の親玉が「立烏帽子」という名の女。
都から立烏帽子を成敗するよう指示された坂上田村麻呂が鈴鹿山へ向かうも、見つけることができず、兵を返して一人鈴鹿山に残っていたら、一本の道が突如現れて豪華な屋敷へと続くので歩んでいけば、歳は14、5の立烏帽子を見つけるに至ったそうで。
坂上田村麻呂は「こんなに可愛い女を成敗するのは忍びないなぁ」と思っていたところ、立烏帽子は「悪の彼氏と婚姻したいのだが、返事が全然なくって・・・元々、悪役からはそろそろ足を洗いたいと思っていた所なの。もし、あなたが良かったら、私と一緒にこの国を悪から守らない?」と口説かれてしまった坂上田村麻呂。
予想外の展開ではあったが、坂上田村麻呂も血気盛んな青年、立烏帽子の口撃には速攻で撃沈され、何の何のそのまま二人は夫婦となり、その後は二人して鈴鹿山の安全を始めとしてわが国を悪からお守りされたよう。(私見がかなり入っていますのでご容赦ください)
立烏帽子は若干二十五歳にしてこの世を去ったが、後妻に小松の前を迎え引き続き諸国に出陣し悪退治に精を出されたそう。
坂上田村麻呂は九十三歳、小松の前は百十三歳と共に大往生でこの世を去るのであるが、坂上田村麻呂の遺体は鈴鹿山から鷲が、小松の前の遺体は鈴鹿山から白蛇がお迎えになり紫雲とともに運ばれていかれたそうで。
そして、後に鈴鹿山にて坂上田村麻呂は田村大明神、小松の前は清流権現として現れ、背の人々をお救いなされたそう。
なので、鈴鹿山って、鈴鹿峠の辺りことを指していると思うんですよねぇ〜
ここまで書いて気が付きました。そもそも祇園祭の山鉾は、「鉾」と「山」に分かれてました。だから「鈴鹿山」は「鈴鹿」+「山」で、鈴鹿の山じゃないことを。
現に鈴鹿山は、立烏帽子をお祀りされていますし。
だから、鈴鹿山は鈴鹿の山を崇めていないことが最後に分かった次第で(笑)
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