ヒマラヤ山脈の南麓に位置する
神秘の国 ブータン
ここに28年間の長きに渡って
「無私の貢献」を続け
ブータンの未来を拓いた一人の日本人がいた
ブータンの人々は彼のことを
「ダジョー ニシオカ」と呼ぶ、、、
(最高に優れた人と言う意味である)
**********
「西岡京治」
ブータンは九州ほどの小さな国で人口は当時70万人くらい
国民の大半は農業で生計を経てている
しかしながら自給率は低く60%に満たない状態であった
西岡がブータンに行くことになったきっかけは
恩師中尾佐助の推薦による
日本人で初めて正式に招待を受けた中尾は
ブータンより「農業技術者を派遣してほしい」と頼まれ
穏やかで謙譲 友情に厚く 誠実で努力家の
西岡の他にはいないと思った
1964年4月23日
西岡は新妻里子を伴いブータンに向かって飛び立つ
目的地はブータンのパロである
早速に 農業局へ出向く
すると
局長も職員もインド人である
インド政府から派遣されていて全て彼らが取り仕切っていた
初っぱなから冷たい歓迎を受ける
ブータンのことは自分達が一番よく知っていて
海の向こうの日本人なんかに分かる訳がない
彼らを納得させるには
実際に作って見せるしかない、、、
しかし
ブータンには試験農場が一つもなかった
政府に交渉して提供されたのは
僅か60坪しかない小さな土地であった
ここから始めるしかない
実習生としてつけられたのは
12.3才の少年3人
この3人が後にブータンのリーダーとして
活躍するようになることを
まだ誰も知らなかった
先ず始めに
大根の栽培を教えた
自らが土を耕し 種を撒き
土を被せ
一つ一つ丁寧に少年達に実演して教えていった
やがて
それまでブータンでは見たこともないような
りっぱな大根が育っていた
その成果に人々が集まって来るようになった
「日本人の畑でデカイ大根が出来た」
噂は瞬く間に拡がっていった
ある日
一人の人が来て声を掛けた
「私も大根を育ててみたい
その種を分けて貰えないか」、、、国王だった
2年目になると
試験農場を水はけの良い高台に移して貰えた
面積も3倍になる
知事や国会議員が次々に訪問する
その中の一人に助言され
栽培された野菜を
国会議事堂前で展示してみた
此れが大評判になり訪問客は益々増えていった
2年の任期が切れようとする頃
西岡は悩んでいた
ようやくブータンの農業がわかりかけてきたのに
ここで帰国しては今までの努力が
水の泡になってしまう、、、
悶々としていた頃
国王に言われた
「ブータンの為に任期を延ばして貰えないか」
西岡にとって願ってもない話であった
さらに国王より
広い農業用地が提供される話が出て
「ブータンに来てこれ程嬉しいことはなかった」と
話ている
西岡は稲作を考える
稲は他の穀物に比べたら
単位面積当たりのカロリーが非常に高く
麦と比較した場合8倍の人口を
養うことができる
ここに力を入れることで
ブータン政府の悩みの一つである
食料の自給率を大幅に上げることができると思った
しかし
大きな壁にぶつかった
日本の様な「並木植え」(縦横に間隔を開けて並べる)を
やったことのないブータンの人達は
並べるだけで収穫が変わるとは
信じられなかった
西岡は風の通りや日当たり
手押しの除草機などのことを丁寧に説明するが
昔からの農法を変えるのは
簡単なことではなかった
そうした中
試してみようと言う農家が現れた
西岡は祈るような気持ちで
稲の生育を見守った
もし収穫が上がらなければ
信頼も失ってしまう、、、
やがて実りの時をむかえる
結果は収穫してみるまでもなく
一目瞭然であった
40%の増産である
この結果に人々は驚き
次第に「並木植え」をする農家が増えていった
1972年
第3代国王が心臓発作のために
崩御されました
世界最年少の16才の国王が誕生しました
青年王は父王が絶対的な信頼を寄せていた
西岡さんに相談されました
「私はシェムガン県の貧しい人々のことを思うと
心が痛みます
西岡の農業技術で救って貰えないか」
西岡さんはまだ10代の若き国王の
民を思う気持ちに胸が熱くなり
奮い起ちました!
こうして
1976年国王自らの立案により
第4次5ヶ年計画
「シェムガン県開発プロジェクト」が始動
責任者は日本から来た
「神のクワを持つ男」西岡京治
彼は並々ならぬ覚悟を決め妻子を帰国させた
シェムガン県はブータンの中でも
極貧の地域で中央から「忘れられた土地」と
言われていた
人々は昔からの焼き畑農業で常に貧しく飢えていた
突然やって来た外国人をなかなか信用して貰えない
もし安易に信じて失敗したら
気がついた時には手遅れでみんな飢えて死んでしまいます
焼き畑では先の無いことは分かっている
しかし新しい挑戦は
住民にとっては余りにリスクが大き過ぎた
西岡は粘り強く諦めずに説得を続け
村人との話し合いは800回に及んだと言う
実直で忍耐強い彼の性格がここで生かされた
西岡の考えは
「身の丈にあった開発」
イタズラに莫大な費用をかけるのではなく
自分達でやれることを最大限に活かして
最小限の費用で効果を出す
古い壊れかけた吊り橋を付け替えるのも
コンクリートにしないでワイヤーで優れた吊り橋の
技術を活かして造る
水田に水路を引くにも土地の物を活かした
そうして
棚田が作られ
道路が作られ
17本の吊り橋
360本の水路
新たに作られた道路は
全長300キロメートルにも達した
この開発期間で彼らが開いた水田は
60ヘクタールに及ぶ
開発前は1.2ヘクタールしかなかった
人々の顔が自信と希望で輝き出した
シェムガン県はよみがえる
私達にはそれが出来る
そして 私達には ニシオカがいる
診療所が出来 学校が建てられた
もはや「忘れられた土地」ではない
5年後
シェムガン県はブータン有数の
穀倉地帯に生まれ変わっていた
西岡がシェムガン県を離れる時が来た
人々は
感謝、喜び、誇り、そして別れの切なさを
噛み締めていた
様々な感情がこみ上げてきて
涙を流す人も多かった
5万人を超える農民が安定して生活できるようになっていた
1980年
国王は西岡に称号を与えた
「ダジョー」
最も優れた人と言う意味である
長年のブータンの農業への貢献を
高く評価するものである
もちろん外国人では初めての称号である
その後12年ブータンで暮らし還らぬ人となった
享年59歳であった
国中から5000人以上の弔問客が訪れ
40人に及ぶ僧侶が読経をあげ
山々にこだました
葬儀は国葬として行われ
誰も経験したことがないほどの
盛大な葬儀であったという
ブータンは国 をあげて
西岡京治氏に感謝の心を捧げて下さいました
***********
彼はブータン国民の親日感情に
多大な影響を与え
その結果日本にもたらされた外交成果は計り知れない
国連でのこと
例えどんな場合でも必ず日本側に立って
擁護してくれる国 の一つがブータンです
1989年2月24日
ブータン国王(34歳)が
昭和天皇の大喪の礼に参列するために来日
他国の首脳の多くが日本からの
経済的な援助を受けようと
弔問外交を行っていた
そうした中で
何故弔問外交しないのか?と言う問に
「私は日本国 天皇への弔意を示しに
来たのであって
日本にお金をむしんに来たのではありません」
*************
心温まる親日の感情を
今も持ち続けてくれるブータンに
感謝と共に
日本は
失望されない国でありたいし
尊敬される国に
なって欲しいと思いました
西岡京治さんに感謝です
「ありがとうございました」と
お礼の気持ちでいっぱいになりました
ブータン国王が来日された時、その凛々しさと王妃の美しさに、とても麗しいものと感じました。
スピーチもプライド溢れた、なおかつ日本国民への親愛をこめたもので感銘を受けました。
どこぞの下品な三流国とはえらい違いです。
おっと、この場では政治的発言はひかえなければ・・・
なお、ブータンの農業発展に尽くされた西岡氏のことは存じておりました。
日本人として誇りに思います。
なにがレイプオブナンキンなのか、世界に害毒をぶちまけているのはてめーらだろうと思いますが、かの国の人と接すると、一人ひとりはとってもいい人なのが、これまたジレンマなんです。
(あ、ブータンの領地に野心を持っている国のことです)
そうですね、「日本」と「不丹」との懸け橋役の西岡氏でしたね。
帰国が決まっていたのに敗血症で帰らぬ旅に・・。
我が国には、この様に優秀な方が世界で活躍していますね。
>失望されない国でありたいし尊敬される国になって欲しいと思いました
そうですね、最近の日本人はマナ−の悪い人が多く見られる様になりましたが・・。
DSA さんこんばんは
昔 「反省するなら猿でもできる」みたいなのありませんでした?
最近思うのは下ばかり見てると気持ちまで下向きなりそうなの
素晴らしい人を見習ったほうがパワーアップできそう
西岡さんも「技術を伝えることよりも気持ちを変えることが大切だ」って 言われてるし
これからもどんどん素晴らし人とかピンチをチャンスに変えることお勉強して明るく楽しくです(*^▽^*)
それにしても西岡さんの粘り強さには感服しました
あと気品って国の大きさと全く関係ないですね♪
nonkibou さんこんばんは
素晴らし人がいてそういうかた達のお陰で尊敬されたりするのは
凄く嬉しいのに 今の日本の状態見られたら がっかりされないかと
少し怖い気持ちがあります
他人に要求しても無理なので個人レベルで一人一人が
心がけて行くしかないですよね?
優れた先人の方にはその当時の現地の方達と同じように
気持ちを揺すぶられる感じになります
それにしてもnonkibou さんて何でも知ってるんですね
itigoさんこんんばんは。
またもやコメントしたくなりました。
西岡氏は本当に立派な方ですね。
それとその昔、書かれている中尾佐助氏の本も読んだことがあります。照葉樹林文化論ですね。そしてその照葉樹林文化論を思うと、今度の大震災による津波を将来避けるために瓦礫と土で堤防を作り照葉樹を植えてその根で強固な堤防を作るという提唱され活躍されている宮脇氏のことを思わざるを得ません。
ブータンは国民総幸福量を掲げていますね。GNH。実際には鎖国していた頃の方が素朴な幸せ度だったようにも思えますが、私もいつかは行ってみたい国の一つです。
新国王がいちはやく多額の寄付金を大震災で寄付をされ、新婚旅行で来日されたときに美智子さんに両手で握手されたあったかい様子が今も思い出されます。
murren さんこんばんは
ホントに立派で尊敬できる方ですね
こういう方達を探すのが楽しくて!
見つけると万歳\(^-^)/したくなります
中尾佐助氏のこともご存知だったんですね
素晴らしいアイデアはどんどん取り入れ欲しいですね
西岡氏の様な人がこれからの日本には必要な人材だと思いました
「身の丈の開発」って素敵!
ブータン国王夫妻が余りにも気品があったので
日本の下品さん達が目立ってしまいましたね
外交上の重要な晩餐会に招かれながら
お金集めの自分のパーティの為に欠席なんて
税金泥棒もいいとこ、、、
(怒らない怒らない♪)←自分
素晴らし人がいらっしゃるお陰で救われてる感じ
きっと、、、私も、日本もね
いつも素敵なお話、ありがとう。
感動しました。
KAWA さんおはようございます
いつも読んで頂いてありがとうございます
これからもどんどん発信して行きますので
ヨロシクお願いします(^-^)
日本人の素晴らしい人探したら365日お話続けても
終らないって 嬉しいですね♪
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