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吉田所長が福島のあそこにいたから
日本は幸運であった?、、、
なぜなら
彼の働きがなかったら
原発の事故はチェルノブイリの10倍になっていて
関東、東北、日本の3分の1は人が住めなくなっていたという
彼は現場を掌握し幅広い知識と経験を十二分に発揮して
事故の拡大を防いだのである
平成23年3月11日
東日本大震災発生
この瞬間から吉田所長と人々の壮絶な闘いが始まった
想定外の大きな地震であったにもかかわらず
吉田所長はただちに判断
迅速に指示を出して機敏に実行していく
津波により全電源が消失された時には
すでに消防車の派遣を要請していた!
電力がなくなった事態ですぐに消防車で
海水を引っ張り原子炉を冷やすしかないという
極めて早い判断が行われた
また原子炉への注水路を作るために
建屋に突入してバルブを人力で開けている
この判断が少しでも遅かったら
線量が高くなりもはや建屋に入れず
原子炉への注水も出来なくなっていた
間違いなく原子炉は爆発し
日本の3分1は住めなくなっていただろう
彼らプロフェッショナルの責任感にも
感銘を受けるが
事故当時、、、非番であった者達も集まって来た
地震後の混雑や悪路、その他もろもろの障害を乗り越えて
続々と原発にやって来る
そこが"死地"であることを知らぬ者はいない
家族を残して彼らは駆け付けた
それが使命であるかのように
作業に加わっていく、、、
注水のための電源確保
ベントのため、、、何度も何度も、、、繰り返し
その仕事を奪い合うようにして
高線量の中へ突入していく、、、
仕事の責任というものを越えた
日本人としての信念であったろうか?
自分達次第で日本の運命も決まるということを
その時誰もが感じていた
吉田所長はじめ現場責任者は誰もが死を覚悟していた
当然のことのように、、、
その彼らに「逃げることはできないぞ」と脅した人がいた、、、
命を掛けている者への心ない言葉、、、
死を覚悟しての注水は続けられた
東電本店から注水中止の命令が入る、、、
政府からも中止の命令が入る、、、
しかし、、、吉田所長には注水以外に
大事故を食い止める手段のないことが分かっていた
部下に「今からの命令はきかないように!」と伝え
「注水中止!」の命令を出した、、、
自衛隊の消防車の隊員達も
被曝を怖れずに闘い事態の悪化を食い止めるために
命がけで作業を行った
東電の社員はもとより
協力会社の人々も吉田所長のためならと
働いたという
69人の決死隊が出来た!
定年過ぎの人もいた、、、
19才の青年もいた、、、彼は暴力団だと言う
「今まで迷惑かけて来たから、、、」と
上層部の責任逃れ、、、
吉田所長がそこにいたこと
神様の計らいだったのでしょうか?
同年10月に突然の異変、、、吐き気と下痢に襲われ
2013年7月9日、、、58歳没
どうか安らかに、、、二度とこのような事故が起きないことを祈り
感謝の気持ちを込めて、、、(合掌)
福島が早く復興できますように、、、
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