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本人には失礼を承知の上で、いってしまえばホームレスの老人と見間違えてしまう風貌に心を惹かれた。
一万日登山を目指すという途方もないことをする方だから、放浪の俳人、種田山頭火みたいな人なんだなとも思ったのだけれど、そうでもない。逆に家族思いの面もある。
そのくせ、登山する足の速さは、老人とは思えない速さだという、それも補給食を食べないばかりか、水もほとんど飲まない・・・・。
何なんだ? この人は? 僕はそう思った。
文中には、奈良男さんが書いた日記がところどころに引用されているが、文章がしっかりとマメに書かれている。奈良男さんは読書も趣味としているが、たくさんの本を読破していくうちに文章の書き方を学んでいったのだろうかとも思えた。
奈良男さんは生い立ちを読んでいくと、登山グループとかに所属した形跡もなく、奈良男さんの独創的ともいえる登山方法や、スニーカーを自分なりに改造したりして登っているのは、奈良男さんなりに自分で考えて、「奈良男流」ともいうべき登山方法を編み出していったのだなぁ〜と感じた。
雨や風の日もあれば、冠婚葬祭の日もあるが、それでも奈良男さんは登山を欠かさずに登り続けた。自分の生活の中に完全に登山を組み入れている、本当に奈良男さんは「信念」の人だという言葉しか、今の僕には思い浮かばない。
奈良男さんにとっての「信念」とは何か? 奈良男さんの登山の様子を呼んでみると、趣味という言葉で片付けるのには壮絶で、健康に長生きするためとは
違ったものを感じた。これから考えても、結局、奈良男さんは「信念」の人という言葉に落ち着いてしまうのだ。この「信念」がなくては約9700日一日も欠かさずに登れるわけがない。
この本を読破して思ったのが、もし、奈良男さんが一万日登山を達成したら、日記にどう記すのか、どういう言葉を喋るのか? ということである。恐らく、一万日も登山した人なんて世界中探してもいないはずである。その「信念」を貫き通した男の言葉を聞いてみたかったのだが、今や奈良男さんが鬼籍に入られて確かめようがないのが残念である。
僕は東浦奈良男という登山家の生き方を読んで、こういう山との対し方があるということを学んだ。決して、この生き方、山への対し方は誰でも真似出来るもんじゃない。
もし、真似するのであれば奈良男さん以上の「信念」が必要なのかも知れない。
なぜ?
・・に尽きるのかと思います。
私も発行初日に読ませて頂きましたが、いい娘さん達だ
と感じた印象がなぜか残っています。
nba01323さん、コメントありがとうございます。
「なぜ?」という言葉が大きく帯に書いてありましたね。それは読者ひとりひとりが読んでいって、その答えを探して欲しいという筆者の願いが込められているような気がします。
確かに、娘さんや奥さんの理解や協力があってこその約9700日登山ですよね。家族にも恵まれてるんだなぁ〜と思いました。
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