「よく士卒の耳目を愚(ぐ)にして、これをして無(む)たらしむる。」
「群羊を駆るがごとし。駆られて往(ゆ)き、駆られて来たるも、之(ゆ)く所を知る莫(な)し。」[テキストは銀雀山漢簡孫子に基づく]
『孫子』九地篇第十一より。
孫子の兵法は、戦争の技術である。なので、軍隊を効率的に動かす方法が書かれている。そこには、ときに人道を無視した恐ろしい方法が説かれている。
指揮官が軍隊を効率的に動かすために孫子が説くことは、「情報を下に伝えるな」である。これからどのような作戦を行おうとしているか、今からどの戦場に行こうとしているか、といった情報は、下位の士卒に説明などしてはいけない。
作戦は、非情である。囮(おとり)として前方に出す部隊は、敵の攻撃をわざと集中させることが目的であるので、死傷率は当然高い。威力偵察とは、わざと少数の部隊を敵軍と戦わせて壊滅させ、敵軍の数と装備の情報を収集することを目的とする。このような作戦を、士卒に事前に知らせて何の益があるだろうか。孫子は言う、指揮官は士卒を高きに置いてハシゴを外すようにしなければいけない。士卒は考える暇すら与えられず、戦うより他はなくなるようにする。そうしなければ、作戦どおりに士卒を動かすことはできない。
孫子は、このような窮地に放り込まれた士卒は「群羊(ぐんよう)」のようになる、と言う。何もしなければ死ぬ状況では、不思議にも指揮官の命令に従順に従って、団結して一斉に行動するのである。極端に追い込まれると不平を漏らすどころか、羊の群れのように上からの命令に従って動く。それが、集団心理というものだ。
では山登りの途中で道迷いや天候の急変などのトラブルに襲われたとき、人は「群羊」のようにならないであろうか。
人は自分の想像の範囲内で対処できない状況に置かれたとき、その心理は二つの段階を通るだろう。
第一の段階は、いわゆる「正常性バイアス」の状態である。いまの状況は、異常ではない。正常であるのだ、という防衛心理が働き、いったん冷静に行動する。しかしその行動は合理的な根拠なく行われるので、高い確率でさらに悪い状況に踏み込んでしまう。
続く第二の段階は、まさに「群羊」である。その場でもっともらしい提案を行う者に、皆で同意して行動する。しかしそのもっともらしい提案を行う者にも、実は合理的な根拠はない。それでも、判断を人に委ねてしまう。自分ではもう何をすればよいか答えを出せないからである。その果てには、最悪の結果が待っているであろう。
指揮官が確実な情報を持って勝率の高い作戦を取るならば、その配下が「愚」で「無」であればとても戦いやすい。だが、不確かな作戦を提案する者に集団が「愚」で「無」となって付いていけば、その結果は死へ至る「群羊」である。こうなる前に引き返す決断が、登山では重要であろう。
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