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こんなつまらない事をまた日記に書いてしまって、申し訳ないのですが、
自分の記録にもなるなぁと思い書いてみます

私が小学一年生の時に、弟が生まれたのですが、
学校が休めない私は、しばらく小学校の反対側にある親戚の魚屋さん

魚屋さんの家の方はとても良くしてくれたのですが、毎日お店は忙しく
あまりかまっては貰えずに、私は寂しい気持ちを抱えていました。
しかも、当時自分の事業を大きくしようと頑張っていた父は、
私に、「学校の帰りに自宅に一度寄り、出入りしている職人さんの3時のお茶休憩の支度(買い物とお茶くみ


それは小学校に入学したばかりの5月の事で、
魚屋のおばさんに鉢巻の洗濯を失敗されて、白っぽくされてしまった事(クラスで自分だけ変な色の鉢巻でした。)や、
自分の事を「お姉ちゃんね〜」と言う私が変だと、おばさんにしつこく何度も注意された事などと共に、私の中では寂しくもあり、悲しい思い出です

多分、そんなに長く続いたわけではないと思います。
せいぜい10日間くらい。
でも、そんな生活を暫く送ったので、急に大人びた子供になったのかもしれません。
ランドセルが嫌だと言いだしたのは、それから少ししてからですから

今では孫にデレデレのおじいさんになった父は、当時の事は全く覚えてないそうです。
ただ当時は、毎日必死で仕事をしていたと言います。
そして、子供だった私も親の必死さを感じたので、文句を言わずに毎日お茶を出したのでしょうね

今まで忘れていた細かいことまで、急に思い出しちゃいました。
つまらない話で、すみません

小学1年生なら7才、親に甘えたいし、愛されたい。学校も環境が新しいから緊張するだろうし、少しずつ友達ができて一緒に遊びたい。なのに、親は生まれたばかりの男の子だけ可愛がり、7才の女の子は追い出されてしまう、きっと寂しい、悲しい思いだったのでしょう。親にもっと自分を見て欲しい、というメッセージだったのでしょうか。
私の親は別の意味で子供の気持ちを全く理解してくれない人でした。それは何十年経った今でもわだかまりが解けていません。
親子って難しいと思います。
kihaさん
そんなに大げさな感じじゃないです
さびしい思いをしたのはその時だけですし。
ただ、大役を果たして“小1なりに“大人になったつもりだったのかもしれませんね。
私は父とは仲良しです
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