今もあの瞬間の恐怖と不安と震えと絶望感は消えません。
16年前、私の兄が神戸で阪神淡路大震災に遭いました。
大した怪我もなくて幸いでしたが、しかしライフライン復旧には数か月かかりました。
今回は妹の私がこの震災に遭いました。
兄同様、怪我もなく、無事に職場から家に戻ってこられたのが幸いでした。
兄妹そろって震災に遭い、父母はさぞかし心配したことでしょう。
兄もいち早く携帯に電話をかけてきてくれました。
その時は、太白区の職場から家に戻る車の中でした。
車を運転しながら余震の恐怖に怯え、
家にいた娘から写メで家の中のめちゃくちゃな状況を知らせてくれました。
(その後のことは言うに及ばず)
兄は今でも神戸に住んでいます。復興と再生の美しい街に住んでいます。
大好きな宮城も、時間がかかるでしょうが復興と再生を強く願います。
写真はカナダのロッキーマウンテンにあるコロンビアアイスフィールドの氷河の水です。
これを見て
「方丈記」(鴨長明)の冒頭文を思い出しました。
“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・”
800年前の、天災(火災、竜巻、飢饉、地震)の記述は今の時勢にも共通するものがあるような・・・。
でも、800年前と異なるのは人々の再生の力とその早さ。
日本全土から世界からいろんな支援があって感謝感謝です。
まだ、私の個人の力は何もできないけれど、復興と再生に手助けできれば・・と思います。
meikenさんも、まだ精神的に落ち着いていないようですね。
私もいろいろ考えてしまい、ボーっとしてばかりしています。
やらなくてはならない事があっても、さっぱり手に着きません。
こんな事ではいけないと思うと、ますます焦ってしまいます。
気持ち、早く落ち着きたいですね。
家に一人でいると落ち込みやすいですね。
こんなときこそ、お笑い番組見て笑いたい!
昨日は娘といっしょに根白石の「明日の湯」へチャリで行ってきました。
片道40分。ぜぇぜぇ でしたがやっぱり温泉はいいね〜
今日はガスの供給予定地域なのでガス屋さんを恋しく待っています。
娘は仙台の街に出て三越の“ジョアン”でパンを買ってきてもらえるように頼みました。
娘の進学のための引っ越し作業もしなくてはいけない、することいっぱいあるのに
何故かこうやってパソコンに向かっている・・・
setisetiさんの明るい話題お待ちしてま〜 す
meikenさん こんにちは。
地震以来、山の見える窓の外を毎日見ています。
今朝は夜明け前に起床の為、朝焼けの様子を見る事ができました。
山には雲がかかっていましたが、太陽の光が反射して、枕草子の「春はあけぼの・・・」
のような光景でした。
私も一人になるとどうしても感情にセーブがきかないのか、涙もろくなってしまいます。
一人言いってしまったり、最近はテレビのニュースをあまり見る事ができなくて情報はもっぱらラジオです。
meikenさんの日記を読んで、やっぱり皆そうなんだなぁと思いました。
安心してしまいました。(すみません・・・)
ガス、本日より本格的に再開ですね!おめでとうございます
私も月曜日はガス局からの「お知らせ」を首をながくして待ちます
こんなに早い復旧、本当に頑張ってくださった職員の方々に感謝です。
ガス屋さん、今日は来ませんでした。 修繕再開は2,3日かかるのかな。
待つのは慣れている。いつまでも恋しく待っています。
うちの娘はおととい、友達とチャリで多賀城塩釜までそこに住んでいる友達を訪ねて見て廻ったそうです。
テレビで報道されている通り悲惨な状況・・・
魚や貝が道路に揚がっていたとか・・・
大変な状況は繰り返しても暗くなるだけなので
これからどうするか、何ができるかという積極性とポジティヴな考えを持つようにしたいですね。
ときには、ここでいろんな思いをつぶやいて
また気持ちを入れ替えましょうよ。
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