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時は私が小学校5〜6年生(11〜12歳)に遡ります。国語の授業で詩を書かなくてはいけなかったのですが、当時の私は何も思いつかず、こう書きました:
タイトル:「ない」
内容:「ないよ」
結果、担任の先生に「保護者がみんな読む文集に載せるのに本当にそれでいいの?真面目にやりなさい!」と怒られました。(笑)
「自分の心のままを書いただけなのに、なぜ怒られるんだろう?」と不思議に思い、教室を飛び出して、毎日ほとんどの時間を過ごしていた保健室や用務員室に行きました。(私が教室にいると、文科省の学習指導要領が終わらないという理由もあったようですが…)
その後、教科書を通じて谷川俊太郎氏の詩と出会い、そこから彼の作品を調べ始めました。その中でも特に衝撃的だったのが、「うんこ」という詩です。
うんこ
谷川俊太郎
ごきぶりのうんこはちいさい
ぞうのうんこはおおきい
うんこというものは
いろいろなかたちをしている
いしのようなうんこ
わらのようなうんこ
うんこというものは
いろいろないろをしている
うんこというものは
くさやきをそだてる
うんこというものを
たべるむしもいる
どんなうつくしいひとの
うんこもくさい
どんなえらいひとも
うんこをする
うんこよきょうも
げんきにでてこい
この詩は、一見ユーモラスですが、私たちの日常や人間の本質を考えさせる深い作品だと思います。この詩を読んだ瞬間、「詩ってこんなに自由でいいんだ!」と感じ、大きな衝撃を受けました。それ以来、「守破離」の考え方を大切にしながら、型にとらわれない思考や表現を追求してきました。
谷川俊太郎氏が生きた時代背景を知るたびに、彼の柔軟で自由かつ物事の本質を抉る表現がどれほど偉大だったかを改めて実感します。私の登山はまだ登山歴も浅く、登山系YouTuberや書籍などで登山ルール・マナー、装備、登り方などを学んでおりまだ自分なりのスタイルや表現が出せるレベルではないですが、自分らしい"登山スタイル"みたいなものを探求していきたいと改めて感じました。
心から御冥福をお祈りいたします。
参照:追悼・谷川俊太郎 あまりにも大きく、長くて広いその偉績を振り返る
https://realsound.jp/book/2024/11/post-1845978.html
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